新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

ジェームズ・ミッチェナー

2016年04月02日 | 日記


 マイアミ・オープンで錦織圭が決勝戦まで勝ちすすみ、男子テニスの王者、セルビアのジョコビッチに挑むことになりました。これは楽しみです。
 曇天のなか、城山の「カタクリの里」と津久井湖城山公園へ行ってきました。写真は開きかけたほうき桃、タイワンドウダンツツジという名札がついた花を横からと下から撮ったもの、それに城山公園の満開の桜です。

 アメリカの歴史小説作家として筆頭にあげたいジェームズ・ミッチェナーの作品「チェサピーク」を読み始めた。アメリカ東部ヴァージニア州植民の起源にさかのぼる、といってもアメリカの比較的みじかい歴史を表すかのように1580年代から1620年代を題材にしている。イギリスの英国国教会成立の裏事情を背景に、ボストンへ渡った清教徒よりも早い時期に、ひとりの熱狂的カトリック、スティードがチェサピーク湾の島に住み着いた。先住民の部族の掟のかたぐるしさから逃げ出してきた若者ペンタクオッドの協力を得て、島に土地をえ、粗末な小屋を建て、田を耕し、海の幸や山の獲物を食料とした。やがてイングランドの郷里から妻を迎え、息子たちを授かり、万事がうまくいきそうに見えたとき、先住民たちとの間でもめ事が起こった。原因は他のイングランド植民者が金儲けのためにと持ちかけたたばこ栽培にあった。たばこはお金になる。広大なたばこ畑を確保するために先住民たちが大事にしている森林を焼き払わなければならなかった。鹿が逃げまどい、ビーバーが隠れ家を失う。それまでスティードに協力を惜しまなかった先住民たちは、ついにスティードと袂を分かった。イングランド人と先住民の価値観の違いをよく表している一節を邦訳してみる。

 スティードはこの滝のように浴びせかけられる非難のことばに気後れしたが、それでもみずからを奮い立たせて彼らを説得しようとした。
「ペンタクオッド、きみは分かっていない。森を燃やせば、たばこが作れる。もっと多くのたばこを栽培できれば、ハケット船長の船がもっと頻繁に来るようになる。そうすれば、きみたちは猟をするための銃をもてるんだ」
「あなたが来るまえは、銃を使わないで獣肉を得ていました」
「それだけじゃない、鏡も手にはいるし、スミス船長からもらったような羅針盤だって・・」
「北がどちらの方向かはちゃんと分かっていました」とペンタクオッドはいった。

 イングランド人スティードとアメリカ先住民ペンタクオッドの価値観の違いは明らかだ。森の獣は銃で撃ってしとめるもの、北は羅針盤で知るものと思いこんでいるイングランド人に対し、獣は銃がなくても捕獲できるし、北がどちらかはほかの方法で十分に知ることができるとアメリカ先住民はいっている。
 スティードにはイングランドから迎えた妻との間に3人の息子がいる。教育も自分たちがしなければならなかった。算数と歴史、ラテン語とギリシャ語を教えている。りっぱなカトリックに育て上げるには古典語の知識は必須で、ツキディディスをギリシャ語で、セネカ、キケロをラテン語で読まなければならないというのだ。
 これにはたまげた。さてさて、この先どのように展開していくやら・・。

    








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