新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

「チェサピーク」

2016年04月08日 | 日記


 ジェームズ・ミッチェナーが書いた小説「チェサピーク」は、1580年代のチェサピーク湾岸に住み着いた人たちを描いている。
 エドマンド・スティード。イングランドの名家で生まれ育ち、根っからのカトリック教徒。ところが16世紀のイングランドではプロテスタンティズムの嵐が吹き荒れ、カトリックは肩身が狭くなる。

 カトリックはミサに参加すると罰金。
 カトリックはプロテスタント教会に行くことを拒むと罰金。
 プロテスタントをカトリックに改宗させると絞首刑。
 従来からの宗教を固持するものは迫害され、死のリスクを負う。
 
 このような厳しい宗教情勢のなか、一時は隠れカトリックを宣言していたエドマンドは最終的にアメリカ行きを選ぶ。自由の天地をめざしたはずだったが、プロテスタンティズムは新大陸をも席巻していた。肩身の狭い思いをしながらもチェサピーク湾岸に家を建て、郷里からカトリック信仰の妻を迎え、子ども3人をそれぞれローマやロンドンに送り、カトリックの伝道師、法律家、医師にする。
 エドワード・パクスモア。神は教会や偶像を介さず直接に人に語りかけるという教理を
信奉するクエーカー教徒であり、優れた大工だった。ロンドンからボストンへ逃れてくるが、ボストンではすでにプロテスタントたちのコミュニティーができあがっており、エドワードは鞭打ちの刑を受ける。馬車にくくりつけられて町じゅうを引きずり回されたうえ、チェサピーク湾岸へ送られる。そこでおなじ境遇にあったルース・ブリントンを妻に迎える。大工の腕を利用して前出のスティード家を助け、最後には大西洋を横断するための船を建造する。
 ティモシー・ターロック。ロンドンで盗みをくり返して逮捕された、小柄でイタチのような顔をした男。裁判官は絞首刑を言いわたしたあと、それを免れる手段としてアメリカ行きをもちかける。チェサピーク湾岸では働き手を必要としており、28歳のターロックに目をつけたのだった。ターロックの盗癖はチェサピーク湾岸に住み着いてからもなおらない。ずるがしこく振るまって3人の女とのあいだに6人の子どもをもうけた。だが子どもたちも親に似る。娘のフローラは実の兄と通じてネリーを産み落とす。そのネリーが前出のエドマンド・スティードの不肖の孫フィッツユーの愛妾におさまり、スティード家が経営する商店にわがもの顔で出入りし、フランダースから輸入した布など多くの貴重品を掠めとっていく。
 新大陸が罪人を受け入れたのは、未開地を切り開き、商品作物になるたばこ栽培などのために畑を耕すための人手が圧倒的に不足していたからだった。アフリカからは黒人奴隷がつぎつぎに送り込まれていた。黒人奴隷の場合は契約書なしで売買され、無期限に働かせることができる。白人の罪人の場合は通常は7年の契約期間を労働力として雇用し、契約期間が過ぎれば解放される。イングランドにいられなくなった人を新大陸へ送り込む、新大陸では肉体労働ができる若い人を求める、この両者の需要と供給がぴったり合っていた。だが、泥棒を送り込んだ結果として新大陸でも泥棒がはびこることになった。
 





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