ジェームズ・マレー。英語辞書の金字塔といえるオクスフォード英語大辞典を編纂した。語釈を歴史の古いものから順に配列した辞書だ。いまの辞書は使われる頻度によって語釈を配列してある。つまり辞書を引く人の便宜を考慮し、使用頻度が高い用法を先頭から順に配列してある。マレーの辞書を手に取ることはまずないが、その偉大さは若いころから聞き知り、図書館などでときに畏敬の念を抱きながら開いてみたものだ。
マレーの孫娘が記した伝記には、若いころさまざまなことに関心をもち、研究と教育に打ち込むようすが描かれている。スコットランドとイングランドの境界地域に生まれ育ったため、みずからをボーダラー(境界人)と呼んだ。地理的にも言語の面でもスコットランドとイングランドを隔てるものはなにもない。それなのに人為的な境界が存在する。人為の不自然さを目の当たりにして育つ。みずからの周りにあるものすべてに興味をもち、植物標本を集め、地層の研究にいそしみ、地中から出土する土器を採集する。外国語学習にもいそしみ、十代の後半からは地元の学校で生徒たちの教育に当たる。生徒たちに地層を見せたり、古代建築物を見学させたりしながら、みずからの研究結果を披露するので生徒たちから人気を博した。
1858年、19歳で英語の発音に興味をもち、エディンバラ大学へ教わりにいく。そこで出会ったのが音声学者アレクサンダー・メルヴィル・ベル教授だった。ベルは発音記号を考案し、どのような言語でもその発音を正確に記述する方法を確立していた。ベルはマレーの才能を見抜き、家に招待し、個人的なつき合いをはじめた。当時十代だったグラハム・ベルは彼の息子だった。電気のことを学びたいというグラハムに、マレーはバッテリーとボルタ電堆を自作してみせる。のちに電話機を発明するグラハム・ベルは、のちにマレーを「電話機の(生みの親でなく)生みのおじいちゃん」だといっていたらしい。
さてマレーをロンドンの言語学会に紹介したのもこのベル教授だった。ここからマレーの人生は一気に辞書編纂へと移っていくのだろうか。いやまだまだ紆余曲折があるに違いない。K. M. Elisabeth Murray “Caught in the Web of Words”
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