新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

団塊の世代が70歳になる

2017年06月04日 | 日記

 写真家チョートクさんが古希を迎えたらしい。写真家仲間がしてくれる古希の祝いを本人がおどけて生前葬と呼んでいる。1947年生まれだから満年齢で70歳になる。このような祝い事は日本の習慣としては数え年で数えてするものだが、そんなことはこの際どうでもよい。70まで生きながらえることは古来希なことだから、これはめでたいことだ。
 1947年生まれは戦後のベビーブーマーの頂点を形成している。きわめておおくの人がこの年に生まれた。小説家の堺屋太一はこの年代の人たちをまとめて団塊の世代と呼び、それが人口に膾炙した。
 団塊の世代は戦争直後の食糧難の時代に生まれた人たちだ。この時代、一年ごとに食糧事情がどんどん好転していった。彼らが中学校を卒業する1960年代はじめには、経済が発展途上になり、高校進学率が高まっていった。1965年にはすでに大学進学が経済的に夢ではなくなっていたから受験戦争が発生した。その父親たちが先頭にたってがむしゃらに働き、生み出した1970年代の高度経済成長は大きな消費世代を形成していた団塊の世代があとに控えていたからこそ実現したのだった。現役世代が退役した人たちを支えるいまの年金制度は、いわば団塊世代がその親たちの面倒をみる制度だった。団塊世代はバブル経済を生み出し、その後の長い経済氷河期をも経験してきた。時代の荒波に飲まれながらも果敢に生きてきた団塊の世代に敬意を表したい。(私も団塊の世代に附属する年代なのだが・・)。
 団塊の世代から生まれた子どもたち、つまり団塊ジュニアは東京では1972年に現れた。人口の増減をグラフに書いたときの先端部分はむろん1947年のそれほど鋭角的ではない。なだらかな山だが、いちおうは第二次ベビーブームだったことが見てとれる。この年に生まれた子どもたちが中学校を卒業する1988年、受け入れる高等学校側は対応に迫られた。そして第三次ベビーブームが計算上は1997年にあったはずだが、もはやその山はほとんど見られなかった。
 団塊の世代は戦争の産物だ。戦争が終わり、戦地から男が帰ってきた。そして生まれたのが団塊の世代だった。団塊の世代がいなくなったときにはじめて戦後が終わる、といっても過言ではない。平成時代が終わろうとも、昭和の戦後はまだこれから20年つづくだろう。




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