ある本を読んでいて謡曲「天鼓」の話にであった。そこから私の古い記憶がよみがえってきた。
謡曲「天鼓」
むかし中国に天鼓という少年がいた。天から鼓をもらいうけ、妙音を発する鼓を打って楽しんでいた。それを聞きつけた帝王が少年からその鼓を召し上げようとする。少年はそれを拒む。怒った帝王は少年を川に沈め、むりやり鼓を奪う。しかし宮廷でだれが打っても鼓は音を出さない。しかたなく帝は少年の父親を召し、鼓を打たせる。すると鼓は妙音を発する。帝は少年を哀れんで、沈めた川のほとりで追悼の宴を催す。すると少年の亡霊が川面に現れて鼓を打ち、舞をまう。
子どもが小学生だったころ、PTA主催の講演会があった。そのころ委員をしていたので、藤野に住んでいた児童文学作家、今西祐行氏に講演を依頼した。すると今西氏は上の謡曲を引き合いに出し、「戦前、戦中のコミュニケーションは1対多であった。天皇が声を発すると国民はそれを聞く。文句はいっさい言えなかった。その権威を拒否したのが天鼓だった」というような話をされた。この話は、それから20年以上を経たいまでも私の耳にこびりついて離れない。
今西祐行氏はすでに鬼籍にはいられて久しいが、若いころNHKラジオで聞いた「肥後の石工」の朗読も忘れられない。
薩摩の国で石橋をつくる。そのために肥後の国からおおぜいの石工を呼び集める。当時、橋は他藩との戦争が起こった場合、戦略上の兵器として使われた。つまり、石をひとつ取り去れば、橋全体ががらがらと崩れ落ちるような仕掛けを施したのだった。橋が完成すると、その秘密を知っている石工たちをそのまま郷里へ返すわけにはいかない。橋づくりに加わった石工たちを刺客が狙う。石工たちは郷里へ帰り着かないうちにつぎつぎに殺されていった。ひとりだけ刺客がなんとなく魅力を感じ、殺せない石工がいた・・。
ものを書けば長く記憶に残る筋の話を書き、講演をすればまた耳にこびりついて離れない話をする作家はめずらしい。
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