原田マハさんのストーリー展開があまりに鮮やかで、つい書いておきたくなった。ほんの断片にすぎないが、ここに記すことをご容赦願う。
貧乏画家アンリ・ルソーは生活費を切り詰めてカンヴァスと絵の具を購入していた。妻に先立たれてからはひとり暮らし、みすぼらしいアパートの5階に住み、ひたすら絵を描いていた。栄養不足のため体が弱り、同じアパートの下層階に住むジョゼフと妻ヤドヴィガがときどきみずからの貧しい生活を切り詰めながら食料を届けていた。ジョゼフはなんとなくではあるがルソーの画才に惹かれるものを感じていた。
アンデパンダン展に出品された絵から、いち早くルソーの画才を見抜き、自宅に招いて宴を催したのは当時、新進気鋭のモダン・アーティストだったパブロ・ピカソだった。ルソーとは父と子ほども年齢差がある若いピカソだったが、従来の価値観を打ち破った絵を描くことを追求していた。
ルソーが貧しくてカンヴァスも買えない窮地に陥っていることを知ったピカソは、自分が描いた大きな(200センチ×300センチ)絵をもってルソーのアパートを訪れ、「これに絵を描け。力をふりしぼって描きたいものを描くんだ。それがモダン・アートだ」といった。新しいカンヴァスが買えない場合、いちど描いた絵のうえに絵の具を塗り重ねることは当時としてはめずらしくなかったようだ。こうしてピカソの絵のうえにルソーはみずからの絵の具を重ねていった。ピカソとはまったく異なる絵ができあがった。世紀の名作「夢」の誕生だった。モデルはルソーがひそかに恋い慕っていた階下の住人ヤドヴィガだった。夫ジョゼフがルソーを想い、妻をモデルに差し出したのだった。渾身の力をふりしぼって「夢」を描いたあと、ルソーは静かに息をひきとった。こうしてまたとない世紀の名作、ピカソの絵のうえに描かれたルソーの「夢」ができあがった。
わが家の書棚に美術出版社が発行した「世界の巨匠シリーズ」18巻が鎮座しているが、ピカソもルソーも入っていない。このシリーズが発刊された1970年代、二人の巨匠はまだあまりにモダンすぎたのだろう。
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