あじさいの季節。わが家の庭にはおそらく20種類ぐらいのあじさいが植えてある。写真はダンスパーティーと名づけられたあじさい。
午前10時、月例のズームミーティング開始。40分で切れるので更新して2ラウンド分、気のおけない仲間との雑談会を楽しんだ。
7月上旬に奈良へ行く相談をしている。補助が受けられないか。政府の発表では県民割を全国に拡大して7月前半から開始するという。7月前半というのは7月15日までを意味する。私たち3人の旅行予定は7月5日と6日の1泊2日だ。間に合わないだろう。残念!
奈良在住のUくんは宿泊助成とクーポン券が使えるかもしれない。兵庫、宝塚在住のSくんは同じ関西ブロックだから、いまの県民割が拡大適用されるかもしれない。神奈川在住の私はどう考えても一銭の恩恵も受けられない。まあ、それでもワクチン接種証明ぐらいは携行していこう。
奈良ではSくんの友人が博物館に勤めているので、会って話を聞かせてくれるかどうかコンタクトをとってくれている。知り合いが案内してくれるほど恵まれた旅行はない。奈良在住のUくんもまた奈良には詳しいが、やはり博物館勤務のある種、専門家の話を聞きたい。
奈良時代については私も自分なりに調べている。地形、地政学的にみている。奈良時代には十数回の遷都を繰り返しているが、そのなかで大阪へ2回、琵琶湖畔つまり大津あたりへ2回遷都している。そして最後にはもちろん京都へ移るわけだが、なぜ琵琶湖畔に落ち着かなかったのか。気候の面でも農業、漁業の面でも京都より琵琶湖畔のほうがずっと有利な位置にある。最初に琵琶湖畔に遷都したときは、ちょうど白村江の戦いに敗れたあとだった。朝鮮半島まで行って唐、新羅の連合軍と戦い、日本軍は敗北した。ひょっとすると朝鮮半島軍が日本の朝廷を攻めてくるかもしれない。奈良は大阪から近く、位置的に攻め込まれやすい。琵琶湖畔なら琵琶湖を通過して北陸へ逃れられる、と考えたに違いない。だとしたら、そのまま琵琶湖畔に落ち着いてもよかったはずなのに、しばらくして都はまた奈良へ戻っている。大津あたりはなぜ居心地が悪かったのか。なぜ琵琶湖畔でなく京都に都が移されたのか。鴨川が氾濫を繰り返していた京都へなぜ・・。いつかこの謎を解き明かしたいと思っている。