新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

1968年民主党大会(その2)

2020年07月17日 | 日記

 大きな、うるさい声でめちゃくちゃな鳴き方をする鳥が、家の前の電線に止まっていた。ガビチョウのようだ。

 リンカーン・パークはシカゴ中心部から2マイル北にある湖岸公園だ。東はミシガン湖に面し、南には高層マンションがそびえる。湖からの風が涼をもたらし、夏の暑い夜をすごすにはうってつけの場所であり、多くのデモ隊が集まっていた。過激な言動をする一部過激派を除いて大部分は平和にロック音楽を聴き、アジ演説を聴き、会話を楽しむ穏健な人たちだった。ただ街当局は夜11時以降の公園使用禁止令を出していた。日曜夜11時、大部分は帰宅したり、宿泊施設へ向かったりしていたが、約1千人がなお公園に残り、夜を明かそうとしていた。
 警察による一方的な暴力が始まったのはこの瞬間だった。公園に残る平和な人たちを血まみれにするどころか、その暴力は取材していた報道陣にも向けられた。記者証をコートにピン留めしたニューズウィークの記者は、警察の邪魔をしたわけでもないのに殴りつけられ、メモ帳と写真のフィルムを没収された。7人の記者が犠牲になったことから、報道陣が警察のおもなターゲットであったことが推察できた。メディアはことあるごとに警察の捜査の行きすぎを報道してきたし、人種差別問題がもちあがるたびに警察を告発してきた。だから警察のメディアに対する恨みは積年のものがあった。デイリーも同じ考えだった。「記者だからなんでもできる、法を犯してもよいわけではない。どんなことでもできるというのは新聞、テレビ、ラジオの特権ではない」と息巻いていた。