本の整理を始めた。書庫代わりにしてきたスチール倉庫の、スチールが経年劣化で朽ち始めている。屋根の端が腐り出して、横から雨が吹きつけると中の本に雨がしみこむ恐れが出てきた。そこで倉庫の上段に収納している本だけでも先に避難させておきたい。さらにもう読み返す機会がないであろう本を処分したい。昨日書いたオギノの古紙回収ボックスが逡巡する私の背中を押してくれているし、涼しくなり、作業しやすい気候になったことも手伝い、きのうから本の整理を始めた。
ところがいざ本を捨てると、あとから後悔することになる。25年ほど前だったか、かなり思い切って大量の本を処分した。もうぜったいに読まないと思っていた本、たとえばフェルディナン・ド・ソシュール「一般言語学講義」を構造主義の元祖として読み返したくなった。しかしもはや手元にない。ほかにも岩波新書などを大量に処分したものの、後から後悔することしきり。やはり残しておけばよかったと思うものが次々に出てきた。年齢のせいで枯渇し始めたとはいえ、まだまだ知的興味はあちらこちらへと彷徨いつづけるかもしれない。
そうはいっても4畳半の書棚は満杯で、これ以上本を増やすことはできない。本を買い続けるには、読まない本を処分してスペースを確保するしかないのが実情だ。
グルメ本を処分した。20年前の味の名店を紹介したものなど置いておいても役立たないだろう。時代が変わり、次々に新しい名店が誕生している。健康本もしかり。日進月歩の世界だから、むかしの健康法はいまの不養生になるかもしれない。これらは思い切って捨てよう。
辞書類はどうだろう。リーダーズ英和辞典が2冊とリーダーズプラス1冊、広辞苑1冊が書棚のかなりのスペースを占めている。これらはすべて電子辞書に納められており、いまはそれを利用している。これら紙の辞書を捨てるか。ううう。これはつらい。紙の辞書には電子辞書にない重厚感がある。電子辞書は薄っぺらだが、紙の辞書は重厚。でも中身はすべて電子辞書に入っている。なくても不便はないといえばない。でも紙の辞書は捨てにくい。編纂者の魂が詰まっているような気がする。ここが思案のしどころよ。