新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

黒い城、松本城

2017年12月22日 | 日記


 松本城は黒い城だった。白い姫路城と好対照になる。幼いころから姫路城を見続けてきた私は、城はすべて白いものと思っていたが、黒い城もあったのだ。なぜ黒いのか気になるところだが、ネットで調べたことぐらいしかわからないからここへ書くことは差し控える。
 地図でみると、松本城は駅から近い。徒歩15分とある。駅から見えるはずだ。だが特急あずさからおりて駅前へ出ても何も見えない。高層ビルが視界を遮っている。立川や八王子駅前のビルほどの高さではないが、そびえ立つはずの城が見えない。近くまで行けばさすがにその威容を表す。平地に建つ城とはいえ、5階建てで天守閣を備えているのだから、まわりの屋敷や民家から見上げる高さだったはずだ。国宝というならまわりからの景観も含めてその価値全体を保存してほしい。
 姫路城は平地のなかでも少し盛り上がった丘陵に建っている。いまでも新幹線や在来線で姫路駅に近づくにつれ、その雄姿を眺めることができる。ただ姫路駅からの眺めは昔にくらべ、大きく変わってしまった。駅前のまっすぐな大通りの先に堂々と聳えていた白鷺城は、いまでは両脇に立つビルの谷間になさけない姿を現すにすぎない。下の写真は姫路駅、新幹線のプラットホームから撮ったものだ。
 尾張地方、犬山城を見にいった。これは近年まで個人の所有物だったために国宝でありながら公開されてこなかった。小さな城ながら、むかしの石垣をそのまま残している。訪れたのが数年前でありながら、なぜか強烈な印象を残しているのは、あまり手を加えないで昔のままの姿を残しているせいだろうか。
 岐阜城は山の頂上にあり、たいていの観光客はロープウェイでのぼっている。町からは一目瞭然によく見えるが、はたして城としての使い勝手はよかったのだろうか、と疑問がわいてくる。ロープウェイなどない時代、戦国武将たちは徒歩で城までのぼっていった、水をくみ上げた、と想像するとぞっとする。
 ひとくちに城といっても、それぞれに事情を抱えて建てられたことが推察できる。

 さて年末には、近江商人博物館と伊藤忠兵衛記念館を訪れることになっている。伊藤忠商事の祖、伊藤忠兵衛について調べているが、くわしく書いた本が見つからない。邦光史郎「豪商物語」がわずかに10ページほどを割いているのみだ。さらなるリサーチが必要だ。