新・日曜炭焼き人の日記

炭遊舎のホームページで書いていた「日曜炭焼き人の日記」を引きついで書いていきます。

サグレス岬

2014年08月31日 | 日記

 司馬遼太郎の「街道をゆく23 南蛮のみちⅡ」を読み返した。マドリッドからトレド、エル・エスコリアル宮を見学し、リスボン特急でリスボンに入る。マドリッドでは天正遣欧使節に思いをはせている。リスボンの海軍博物館を訪れたときには、あらかじめ館長に手紙を書き、カラベラ船の甲板がポルトガル人によって発明されたものかどうかを調べてくれるように依頼していた。甲板についてはポルトガルの発明ではなく、かなり古くから使われており、おそらくアラブから伝わった造船術だろうという返事だった。該博な知識とそれにもとづいて作り上げたいわゆる司馬史観はわかりやすい。
 司馬はポルトガルの南西端に突出しているサグレス岬を訪れる。エンリケ航海王子がこの地にサグレス航海学校を建設し、航海術の研究と教育を推進したとされてきた。ところが近年、それに疑義が差しはさまれ、航海学校は存在しなかったのではないかという説が有力になっている。司馬遼太郎はサグレス航海学校の存在は伝説にすぎなかった可能性があることをすでに承知していた。
 そのうえでこう書く。「その高所からあらためて岬の地形を見、天測の練習に仰いだであろう大きな空を見たとき、ここにはたしかに世界最初の航海学校があった、というゆるがぬ実感を得た。」
 私はここに司馬遼太郎の真骨頂をみた思いがした。学説を承知しながらも、自分の足でたしかめ、実感したことを最大限に尊重して歴史観を作り上げていく。学者との違いかもしれない。