千里徒然

大阪吹田 暇人写真日記

本庄水管橋の運命

2019-02-15 13:50:13 | カヤック


本庄水管橋

 

これまで本庄水管橋のことを幾度かこのブログで取り上げてきました。

今から108年前、1911年(明治41年)に完成したこの水管橋は、その3年後に淀川北岸の柴島(くにじま)に新設された浄水場より大阪市内に水道を供給するために、淀川に架けられた水道専用の橋であった。橋には2本の水道管が通っており、淀川を越えたあと東と西との経路に拡がって大阪市内に水道を供給する役割を負っていた。

この橋は随分前にその役割を終え、静かに淀川の上に横たわっているだけであった。

カヤックをしていて初めてこの橋の存在を知ったが、川の途中で橋が無くなっているその佇まいの奇妙なことや、レンガ造りのシックな橋脚は人の目を引きつけるには十分でした。

いつしか、この橋の周辺が私の淀川のカヤックで一番好きなフィールドになっていました。

しかし、とうとうこの橋が取り壊されて撤去されるということを知り、名残惜しく思う今日この頃なのでありました。

 

その本庄水管橋のことで、最近嬉しい出来事がありました。

先月、本ブログのコメント欄に建築デザインを専攻している大学4年の女子学生さんから、私のブログの本庄水管橋の写真の使用許可の依頼を受けました。

グーグル・アースで淀川沿いを調べていて偶然この奇妙ないでたちの橋の存在を知り、調べを進めていくうちにやはり橋が取り壊される運命にあることを知ったそうです。

彼女は卒業制作のテーマにこの消えゆくさだめの本庄水管橋をモチーフとし、その行く末に思いを馳せて作品づくりをしているそうでした。

若い学生さんが私と同じようにこの橋に興味を持ち、消えゆくその橋に想いを寄せているということを知り嬉しくなりました。

これまで撮りためていた水管橋の写真、気に入った写真をどうぞ使ってくださいと、まとめて提供しました。

どのような作品になるのだろうかと気になってましたが、先日彼女から卒業作品展を梅田キャンパスでやっています、という知らせを受けました。

https://school.japandesign.ne.jp/sotsuten-schedule/2019/01/14038/

職場の近くであったので、連休明け初日の昼休みに作品展に出かけてきました。

彼女の作品には素敵な文章が添えられていました。

「 明治40年、大阪市北区豊崎、淀川の上で、自分たちの未来のために橋をつくる人たちがいた。中には2本の水道管が通され、「本庄水管橋」という橋が架かった。柴島浄水場から淀川を越え、大阪市へと水を運ぶ役目が与えられたこの橋は、市民の日常生活を通し、大阪の発展を支える大切な街の一部となった。

 遺産として残される建築・土木物は、世界中に存在する。一方で、現役時代の活躍も虚しく、どのような役割をしていたか知られないまま消えていくものもある。現在、撤去工事が行われている「本庄水管橋」もその一つだ。役目を失い不要物となった橋が撤去される運命を変えられないのなら、撤去されていく過程で、橋の為の建築を考える。

 橋に、風などの自然の力をエネルギーに変える機能を持たせ、生まれたエネルギーを自分の為に使う。自分を魅せ、今まで近づいてもらうことが出来なかった人間と出会い、最後には自分自身を解体する。橋の為の建築は橋の終活となり、その姿は、役目は失っても風景の一部として生き、人々の記憶に引っ掛かる。」

 

私もこのブログに本庄水管橋の記録を残し、自分の中の記憶としていつまでも留めておきたい。

 

 

卒業作品展の様子です。

 


出来上がった作品。ブログに載せてもええ?と聞いたら、このような写真となりました。