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損得や勝敗が基準の韓国人、美醜が基準の日本人

2021-07-06 02:46:57 | 韓国旅行

 
損得や勝敗が基準の韓国人、美醜が基準の日本人
 
日本人には、「みっともない」ということばがある。
なりふりかまわずに利を漁るのは、みっともないことで日本人は見苦しいすがたを他人に見られることを最大の恥とする。
 
テニスの世界的名選手だった清水義造が、大正9年(1922年)のウインブルドン大会で見せた“ゆるい1球“は、日本人の美意識を世界に示したプレーとして、いまなお語り草になっている。
 
清水は、対戦者のチルデン(米国)がボールを打ったあと転倒したのを見て、相手コートにゆるいボールを返したのである。
西洋人は驚きこれを美徳としたが、日本人にとっては当たり前のことだった。
転倒した相手を見て、強打でポイントをとるのは、みっともなく見苦しいことだから負けるより恥ずかしい。
 
西洋にも「良心に恥じる」という宗教的感覚がある。
心をお見通しの神の前で、みっともない真似はできないというわけである。
日本人のフェアプレーは、世界に定評があるがオリンピックやサッカーの国際試合における韓国人のアンフェアな態度やラフなプレーには、世界中から非難が浴びせられている。
 
韓国人には、勝敗や損得が唯一の価値で、そのためならどんな卑怯な手を使ってもゆるされるとする。
他人にどんなみっともない姿を見せても、神にダーティな心を見抜かれても平気なのである。
韓国人には、他人の目や神という審査員が不在だからである。
 
日本人には、「人の振り見て我が振り直せ」ということわざがある。
他人のふるまいを見て、戒めとするわけだが、そこには自分のふるまいを冷静に観察する第三者の目を持たなくてはならない。
それが大人になるということで、子どもは自分を客観的に見ることができない。
 
韓国人は恥を知らないのではなく、自分を客観的に見る目を持っていないのである。
自分を見る客観的な視点がなければ、罪も恥もあったものではない。

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