極私的デンデケデケデケ

音楽との出会いからバンド活動を辞め、社会人になるまでをつづっております

渡哲也

2020-08-16 09:24:34 | Weblog
渡哲也さんが亡くなりました。

私は渥美のように俳優としての渡に思い入れはないが、このブログで2017年に書いている。

哀悼の意を表しましてここに再掲いたします。

以下(渡哲也と高嶋忠夫 - 極私的デンデケデケデケ2017年12月10日)

2017年11月16日、文化放送 「くにまるジャパン極」
ゲストは俳優の六平直政。

渡哲也との初対面の話がおもしろかった。この話はウィキペディアにも載って
いるので、いろいろなところで話しているのだろう。

美大の彫刻科に入ったこともあり、バイトは大道具の仕事をよくやったそうだ。
石原裕次郎の葬儀の舞台も設営したことがあるという。

ビートたけしの「BROTHER」という映画で渡と初競演となり、楽屋に挨拶に行った。

渡の楽屋には渡の他、石原プロのお偉いさんとかもいて、かなりの威圧感があった。
渡は奥の方の椅子にどーんと座っていたそうだ。

六平は渡の弟の渡瀬恒彦とはドラマで競演しており、親交もあった。その旨を話すと

「それは、愚弟が、お世話になりまして」と渡。少し世間話をした後、渡が
「して、六平さんは生活の糧を、これまでどのように得ていたのですか?」と、聞くので、

「まあ、大工ですね。大道具とか舞台とか、そうそう、石原裕次郎さんの葬儀もやりましたよ」
と、軽く言うと、渡は

「え、、先代が、、お世話になった、、、」と、絶句し、椅子から降りて正座して、
「それはありがとうございました、、」と深々と頭を下げたという。同時に石原プロの幹部
そのほか、全員が正座してしまい、六平いわく

「変な空気になっちゃった」らしい。

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六平直政(むさかなおまさ)は「六平」という私の父親の名前が名字なので、
昔からとても気になる俳優なのです。

六平直政
コメント
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