鉄卓のブログ「きままに」

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さきたま古墳群へ-埼玉の旅1日目

2015-11-05 | 
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10月31日(土)

「第38回日本スリーデーマーチ」参加のため埼玉県へ。

埼玉県で思い浮かぶのは大宮にある鉄道博物館くらい。
羽田空港から京急電鉄に乗りJR品川駅発9時50分小金井行に間に合った。
40分でJR大宮駅着。ニューシャトルに乗り換え「鉄道博物館(大成)駅」下車。
ニューシャトルは東北・上越両新幹線が建設されるに伴い、その沿線地域住民の足として導入された新交通システムの旅客輸送機関。昭和58年12月に開業し、新幹線高架軌道の張出し部分を活用して、大宮と内宿(伊奈町)の間12.7kmを走っている。(埼玉新都市交通株式会社ホームページより)


(ニューシャトル)


(鉄道博物館駅)

鉄道博物館では「SUGOCA」に入館料支払いの登録をして、そのICカードで駅と同じように入場する。ここには数年前に来たことがある。今日はぶらりと廻るだけにしたがやはりウキウキする。昼食用に駅弁を買おうとしたが迷ってしまう。結局、背中のリュックに入りそうな大きさの秋田駅「日本海たこびより」を買った。たこの味付きご飯、たこうま煮、たこバーグ、たこそぼろなどが入っている。


(鉄道博物館内)


(鉄道博物館内)

ニューシャトルでJR大宮駅に戻り、次の目的地JR行田(ぎょうだ)駅へ向かう。駅横の観光案内所で行き帰りの説明をしてもらいパンフレットをいただき、バス停のベンチで駅弁を食べながら、12時50分発観光拠点循環バス待った。やがて来たバスに乗り「埼玉古墳公園前」で降りる。


(JR行田駅)

古墳公園内にある「埼玉県立さきたま史跡の博物館」にはコインロッカーは設置されてなかった。受付でスーツケースを預かってもらい古墳公園内の埼玉古墳群散策に向かった。
埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)は9基の大型古墳からなる全国有数の古墳群で関東では最も大きいのではなかろうか。古墳公園として散策コースも整備されている。


(奥に「さきたま史跡の博物館」)


(古墳公園散策マップ)

公園の中を通る道路を渡って直ぐのところに愛宕山古墳がある。古墳群の中では最小の前方後円墳で墳丘に石仏がある。うつかり見過ごして通り過ぎるところだった。


(愛宕山古墳)

真っ直ぐ進むと直径105m、日本最大の円墳、丸墓山古墳が見えてくる。学校行事であろう見学に来ていた小学生が記念写真を撮っていた。桜の木も多く4月は桜で綺麗だろうな。
頂上からは古墳群が見渡せる。
忍城(おしじょう)も遠くに見える。忍城は、豊臣秀吉の関東平定出陣の時、石田光成の水攻め大作戦に落ちなかった「浮き城」として有名である。


(埼玉村(さきたまむら)の時代から)


(丸墓山古墳)


(丸墓山古墳頂上から遠くに忍城)


(丸墓山古墳頂上から稲荷山古墳)


(丸墓山古墳頂上から将軍山古墳)

丸墓山古墳の急な階段をおそるおそる降りて、稲荷山古墳へ向かう。
稲荷山古墳は5世紀後半に造られた前方後円墳で、古墳群の中で最初に出現した古墳。1968(昭43)年の発掘調査で金錯銘鉄剣が発掘されている。ここの頂上からも古墳群や行田の田園風景を眺めることができる。


(稲荷山古墳)


(稲荷山古墳頂上)


(稲荷山古墳頂上から田園風景)


(稲荷山古墳頂上から丸墓山古墳)



(稲荷山古墳頂上から将軍山古墳)


次に向かった将軍山古墳は春先には墳丘一面に菜の花が咲くそうだけど今は秋。明治時代に横穴式石室が発掘され、その時の埋葬の状況が古墳の一角にある将軍山古墳展示館に復元されている。


(将軍山古墳展示館)


(将軍山古墳展示館内)

埼玉古墳群のほぼ中央にある二子山古墳でようやくコスモスと古墳を写真に撮る。二子山古墳は武蔵の国で最大の前方後円墳である。公園内には四季折々の花が咲くようだが、今日お花に会ったのはここだけだった。


(二子山古墳)

最初とは少し離れているが、公園の中を通る道路に戻って渡る。人家の中を通っていくと鉄砲山古墳がある。江戸時代、古墳の周辺が忍藩の砲術練習場になっていたことからこの名がつけられている。古墳の整備が行われていて青いシートが張られていた。


(鉄砲山古墳)

紅葉した木々の向こうには中の山古墳が見える。古墳群の南端にあるので訪れる人は少ないようだ。周掘りが復元されていた。


(中の山古墳)


奥の山古墳は鉄砲山古墳の横にある。周掘りが復元されている。


(奥の山古墳と周堀)

博物館に近いところに瓦塚古墳がある。整備にともなう発掘調査で多くの埴輪や土器などの遺物が出土している。そのためかどうかは分からないが、古墳の直ぐ横に「はにわの館」があり、はにわ作りの体験ができるようになっている。出来上がるまで2時間程かかるようだ。


(瓦塚古墳)

パンフレットには約3km、2時間ほどの散策コースと記されていたが、少し急いだので1時間ほどで一周した。

「埼玉県立さきたま史跡の博物館」へ戻り、館内を見学。展示してある国宝「金錯銘鉄剣」は、1968年に稲荷山古墳で発掘されているが、それから10年後、鉄剣に文字が刻まれていることが発見されその文字の中に「ワカタケル大王」と読める文字があったことで一躍話題になった。「ワカタケル大王」は第21代雄略天皇に比定されている。
熊本県菊水町(現和水町)にある江田船山古墳から1873(明治6)年以降に発掘された銀錯銘大刀(1965(昭和40)年に国宝に指定)に文字が刻まれていた。記されている大王の名は文字の判読が難しいことから諸説あったが、今では稲荷山古墳の文字とも比較検討されて「ワカタケル大王」とされている。そういうことから埼玉県の稲荷山古墳から出土した剣の文字解読は熊本では当時大ニュースであった。
稲荷山古墳は5世紀後半に築造されたと推測されており、江田船山古墳は、5世紀末から6世紀初頭に築造されたと推測されている。5世紀から6世紀頃のヤマト政権は埼玉や熊本の地方の豪族とも関係を保ちながら、次第に支配を強めて行ったのだろうか。

博物館では、「古墳の終焉と律令時代の幕開け」という企画展があっていた。九州の博物館では弥生時代を中心とした企画が多いように思う。今、福岡市博物館では「新奴国展」が、八代市博物館では「交流する弥生人」が開催されている。九州と関東では古代歴史への関心に違いがあるのだろうか。

博物館の直ぐ傍には埼玉県名発祥の碑があった。明治4年県が設置されたときは、「埼玉県」と「入間県」の二つに分かれていたが、明治9年に今の圏域となり、県名は「埼玉県」となった。律令制度のころは「前玉(さきたま)」と呼ばれていた。と記されている。


(埼玉県名発祥の碑)

古墳公園を後にして観光拠点循環バスで秩父鉄道行田市駅へ。
行田市駅は昔のままの駅舎で、ICカードも使えない。JRもその他の私鉄もどんどん合理的な駅舎に生まれ変わっていく。ここは懐かしい、ほっとする、そんな感じの駅だ。
秩父鉄道寄居(よりい)駅まで50分程。途中、秩父鉄道熊谷駅でSLと行き違った。


(秩父鉄道行田市駅)


(秩父鉄道行田市駅)

寄居駅で東武鉄道東上線に乗り換える。東武鉄道鶴ヶ島駅に小川町乗換して約1時間で着いた。3日間滞在するホテル「シティ・イン鶴ヶ島」にチェック・インする。


(東武鉄道寄居駅)

ホテル近くのファミレス「とんでん」で、お勧めメニューのそばと寿司のセットに冷酒で夕食をとった。土曜夜の書き入れ時にに一人で入ったが、料理を運んでこられるとき、お茶を入れ替えてくれるとき、従業員の皆さんは丁寧に挨拶されるのが印象的だった。

乗り鉄を楽しんで、埼玉と熊本の歴史に触れ、埼玉の皆さんに親切にしていただき1日目が終わった。


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