2019年4月20日(土)
今日は、新幹線、白いかもめと乗り継ぎ長崎本線長崎駅へ。
(今日のマップ)
今日のマップはいつもより詳しい。悲しいかな、メガネをかけないとよく見えない。遠近両用メガネを持ってこなかったので、マップはポケットに入れてスタート。
(長崎駅)
矢印を頼りに歩く。どこへ行くかも楽しみ。
(矢印)
幾つか曲がったり、信号を渡ったり。いよいよ、坂へ。
矢印には、「直進」と書いてあるけど、「上り」というのも作ってもらいたい、と思いながら上を眺めて気合を入れて坂をあがる。
(坂を上る)
階段も上がる。
(若宮(勤皇)稲荷神社へ)
(若宮(勤皇)稲荷神社へ)
もともと若宮稲荷神社と呼ばれていたが、幕末の頃、勤皇の志士たちが勤皇稲荷と称し参拝した。
(若宮(勤皇)稲荷神社)
柱が方形の鳥居。旧長崎奉行所内の稲荷神社にあったものを当地に移された。
(方形の鳥居)
さらに、上がって行くと標高約152mの風頭山の上にある「風頭公園」に着いた。
(風頭公園からの眺望)
公園には、「坂本龍馬像」が建っている。
(坂本龍馬像)
(坂本龍馬像)
(坂本龍馬像)
どこを、なにを、遠くを見つめる「坂本龍馬像」。私が見つめるのは眼下。今日のウォーキングのメイン「帆船」。
(展望台より帆船)
メイン会場目指して、下る。
(風頭山頂上付近の岩)
この辺りの坂本龍馬に関する施設などへの案内板などは地元の人の手作りが多い。行政よりも先に地元の人たちが盛り上げてきたのだろう。
(手作りの案内板)
手作り感いっぱいの「亀山社中資料展示場」。亀山社中のメンバーの写真、坂本龍馬が関わった幕末の人たちの写真などが展示してある。入館料は無料だが、募金を。
(亀山社中資料展示場)
コースには入っていないが、「亀山社中記念館」へ。何度か来ているので入口の写真だけ。
(下り沿いで)
(亀山社中記念館)
すぐ傍には、日本で最初にブーツを履いたといわれる、「坂本龍馬のブーツ像」。
(坂本龍馬のブーツ像)
(下り沿いで)
(下り沿いで)
寄り道からコースに出て、なお下って平坦な道へ。歩く。「鍵屋」は元禄時代の創業。
(くすり鍵屋)
(変な自動販売機)
さらに歩いて、中島川に架かる「眼鏡橋」へ。川沿いに「風花や錦絵めきて眼鏡橋」下村ひろしの句碑。
(句碑)
(眼鏡橋)
(川沿いの「水害復興と友好の記念碑」)
(川沿いの藤)
(錦鯉も泳いでいる)
(ここにも鯉)
2017年11月に完成した、新たな出島の表門橋。国指定史跡「出島和蘭商館跡」のため、石垣などの遺構保存と両立させるのにさまざまな工夫が施されている。
(出島の表門橋)
メイン会場へと歩く。暑くなってきた。
(道沿いで、駐車場?)
(道沿いで)
(道沿いで)
長崎水辺の森公園の「帆船まつり会場」に着くも、帆はあがっていない。
カメラを持っていると、地元の人たちから聞かれることもある。「いつあがるんですか?」「さぁ。」としか答えられない。
お昼時なので、喉を潤そう。
帆船を眺めながら、ビールと蒸牡蠣。そして、サバサンド。美味しい。
(サバサンド350円)
サバサンドを食べていると、ロシア海技学校、水産学校の練習船「パラダ」の帆があがりだした。
1853年、ロシアの艦隊が、アメリカのペリー駿河来航の後、長崎に来航した。その時の旗艦が「パラダ」という名称だった。
(ロシアの帆船「パラダ」)
(ロシアの帆船「パラダ」)
(ロシアの帆船「パラダ」)
その隣、やはりロシアの極東海洋大学の練習船「ナジェジュダ」の帆もあがりだした。
1804年、ロシアの使節が通商を求めて長崎に来航。その時の旗艦が「ナジェジュダ」という名称だった。
(ロシアの帆船「ナジェジュダ」)
(ロシアの帆船「ナジェジュダ」)
(ロシアの帆船「ナジェジュダ」)
練習生は、帆の調整に駆け上がる。
(ロシアの帆船「ナジェジュダ」)
日本の航海練習船「日本丸」の帆はあがっていない。船内の見学には、長蛇の列が出来ている。
(日本丸とロシアの帆船)
(日本丸見学に長蛇の列)
(韓国の帆船「コリアナ」)
帆船まつり会場を後にし、ゴールの長崎駅へ。
(帆船まつり)
長崎市は路面電車の街でもある。
(路面電車)
14時10分頃、ゴール受付を済ます。
(長崎駅)
14時46分のかもめで帰路。ビール飲んでいるので寝過ごさないよう、「新鳥栖で乗換だよ。」と自分に言い聞かせ、今日のウォーキングを終える。
今日は、新幹線、白いかもめと乗り継ぎ長崎本線長崎駅へ。
(今日のマップ)
今日のマップはいつもより詳しい。悲しいかな、メガネをかけないとよく見えない。遠近両用メガネを持ってこなかったので、マップはポケットに入れてスタート。
(長崎駅)
矢印を頼りに歩く。どこへ行くかも楽しみ。
(矢印)
幾つか曲がったり、信号を渡ったり。いよいよ、坂へ。
矢印には、「直進」と書いてあるけど、「上り」というのも作ってもらいたい、と思いながら上を眺めて気合を入れて坂をあがる。
(坂を上る)
階段も上がる。
(若宮(勤皇)稲荷神社へ)
(若宮(勤皇)稲荷神社へ)
もともと若宮稲荷神社と呼ばれていたが、幕末の頃、勤皇の志士たちが勤皇稲荷と称し参拝した。
(若宮(勤皇)稲荷神社)
柱が方形の鳥居。旧長崎奉行所内の稲荷神社にあったものを当地に移された。
(方形の鳥居)
さらに、上がって行くと標高約152mの風頭山の上にある「風頭公園」に着いた。
(風頭公園からの眺望)
公園には、「坂本龍馬像」が建っている。
(坂本龍馬像)
(坂本龍馬像)
(坂本龍馬像)
どこを、なにを、遠くを見つめる「坂本龍馬像」。私が見つめるのは眼下。今日のウォーキングのメイン「帆船」。
(展望台より帆船)
メイン会場目指して、下る。
(風頭山頂上付近の岩)
この辺りの坂本龍馬に関する施設などへの案内板などは地元の人の手作りが多い。行政よりも先に地元の人たちが盛り上げてきたのだろう。
(手作りの案内板)
手作り感いっぱいの「亀山社中資料展示場」。亀山社中のメンバーの写真、坂本龍馬が関わった幕末の人たちの写真などが展示してある。入館料は無料だが、募金を。
(亀山社中資料展示場)
コースには入っていないが、「亀山社中記念館」へ。何度か来ているので入口の写真だけ。
(下り沿いで)
(亀山社中記念館)
すぐ傍には、日本で最初にブーツを履いたといわれる、「坂本龍馬のブーツ像」。
(坂本龍馬のブーツ像)
(下り沿いで)
(下り沿いで)
寄り道からコースに出て、なお下って平坦な道へ。歩く。「鍵屋」は元禄時代の創業。
(くすり鍵屋)
(変な自動販売機)
さらに歩いて、中島川に架かる「眼鏡橋」へ。川沿いに「風花や錦絵めきて眼鏡橋」下村ひろしの句碑。
(句碑)
(眼鏡橋)
(川沿いの「水害復興と友好の記念碑」)
(川沿いの藤)
(錦鯉も泳いでいる)
(ここにも鯉)
2017年11月に完成した、新たな出島の表門橋。国指定史跡「出島和蘭商館跡」のため、石垣などの遺構保存と両立させるのにさまざまな工夫が施されている。
(出島の表門橋)
メイン会場へと歩く。暑くなってきた。
(道沿いで、駐車場?)
(道沿いで)
(道沿いで)
長崎水辺の森公園の「帆船まつり会場」に着くも、帆はあがっていない。
カメラを持っていると、地元の人たちから聞かれることもある。「いつあがるんですか?」「さぁ。」としか答えられない。
お昼時なので、喉を潤そう。
帆船を眺めながら、ビールと蒸牡蠣。そして、サバサンド。美味しい。
(サバサンド350円)
サバサンドを食べていると、ロシア海技学校、水産学校の練習船「パラダ」の帆があがりだした。
1853年、ロシアの艦隊が、アメリカのペリー駿河来航の後、長崎に来航した。その時の旗艦が「パラダ」という名称だった。
(ロシアの帆船「パラダ」)
(ロシアの帆船「パラダ」)
(ロシアの帆船「パラダ」)
その隣、やはりロシアの極東海洋大学の練習船「ナジェジュダ」の帆もあがりだした。
1804年、ロシアの使節が通商を求めて長崎に来航。その時の旗艦が「ナジェジュダ」という名称だった。
(ロシアの帆船「ナジェジュダ」)
(ロシアの帆船「ナジェジュダ」)
(ロシアの帆船「ナジェジュダ」)
練習生は、帆の調整に駆け上がる。
(ロシアの帆船「ナジェジュダ」)
日本の航海練習船「日本丸」の帆はあがっていない。船内の見学には、長蛇の列が出来ている。
(日本丸とロシアの帆船)
(日本丸見学に長蛇の列)
(韓国の帆船「コリアナ」)
帆船まつり会場を後にし、ゴールの長崎駅へ。
(帆船まつり)
長崎市は路面電車の街でもある。
(路面電車)
14時10分頃、ゴール受付を済ます。
(長崎駅)
14時46分のかもめで帰路。ビール飲んでいるので寝過ごさないよう、「新鳥栖で乗換だよ。」と自分に言い聞かせ、今日のウォーキングを終える。
長崎は観光スポット・ご当地グルメがたくさんあるので、ゴール受付が15:00までというのは早い感じがします。
メイン会場の帆船は、白い帆が青空に映えてとてもきれいで圧巻ですね。一度でいいから帆船まつりへ行ってみたいです。
※今月のJR九州ウォーキングは仕事などの都合で1回も参加していませんが、29日にようやく参加できそうです。
長崎は遠いですが、機会を作って是非行かれて下さい。
楽しかったです。