2021年10月10日(日)
今日は、長崎本線浦上駅(長崎県長崎市)

現在の長崎県、佐賀県、熊本県は、古代、ひ(火・肥)の国と呼ばれていた。
律令政治の頃、ひの国は肥前の国(長崎・佐賀)と肥後の国(熊本)とに分かれる。
明治維新の後、肥前の国は東側が佐賀県、西側が長崎県に分かれる。
昨日は肥前の国の佐賀県、今日は肥前の国の長崎県のウォーキング。
浦上駅前には「国鉄原爆死没者慰霊之碑」が建っている。

スタートして、すたすたと歩いて行ったのはいいが、あれぇ、道を間違えているようだ。
マップにある「山王神社」に着かない。
どうしょう思い歩いていると、マップにある「坂本国際墓地」への矢印があったので向かう。


そして、ウォーキングコースへと出た。
参加している人たちが次から次へと歩いている。
山王神社は行ったことがあるので戻るのは諦め、前も後ろもウォーカーの中、安心しながら先へと進む。
浦上街道の案内から階段を下る。
階段や坂を上ったり下ったりしながら浦上街道を歩く。




一旦下ったところで見上げると、西九州新幹線のトンネル工事現場。浦上街道も寸断されているようだ。

西九州新幹線は、長崎駅~武雄温泉駅間が2022年秋の開業予定で工事が進んでいる。
が、佐賀県内の武雄温泉駅~新鳥栖駅間の工事は目途が立っていない。
佐賀県が工事費の費用負担に見合うだけのメリットが無いことで建設に難色を示している。
これまでも関係者の話し合いは持たれているようだが、メリットを示すことは出来ていないようだ。
肥前の国が長崎県と佐賀県に分かれずに一つの県であったなら、このようなことも無かっただろうに、と思う。

(スタート受付で貰ったパンフレット)
また、工事現場の横から坂を上って、浦上街道へ戻る。そして階段を下る。


「日本二十六聖人記念館」の横に出る。

1597年長崎で処刑された26人のブロンズ像、「日本二十六聖人記念碑」。

記念館に入る。初めてのような気がする。
ザビエルの渡来から明治時代までの日本のキリスト教の歴史を中心に学べる。
さまざまな書簡、さまざまな像などが展示されていて、迫力がある。
これだけのものを一度に見る機会はあまりない。

(日本二十六聖人記念館のパンフレット)
記念館横にある聖フィリッポ西坂教会。

勝海舟は、1855(安政2)年から4年間この地(大乗院)に宿泊し、海軍伝習所の伝習生となり、オランダ海軍から指導を受けた。

少し歩いて「長崎歴史文化博物館」へ。


何度か通り過ぎたことがあるが、今日は入ってみよう。
常設展の歴史文化展示ゾーンでは、江戸時代、長崎と中国やオランダとの交流の歴史が学べる。
学校では、江戸時代は鎖国で、長崎の出島が唯一、外国と交流するところだった、と習った記憶がある。
展示では、「幕府は長崎・対馬・薩摩・松前の4つの窓口を通じて海外と交流しました。」との説明がされていて、学校で習ったのとは違い、新鮮な感じがした。
今は、学校ではそのように習うのだろうか。
展示は期待以上に充実していた。
坂本龍馬と2ショットの写真も撮れる。
常設展の長崎奉行所では、奉行所が復元されている。
奉行所の復元は珍しいと思う。
興味津々、見て回った。

お腹も空いてきた。ゴール目指して歩く。
長崎はいたるところに、このような説明板がある。立ち止まっては読み、立ち止まっては読みしながら歩く。



長崎県庁が、この近くにあったような気がするが。


出島の洋館を左手に進む。

ゴールは長崎港。

今日も、デジタルスタンプ。

ゴールのところには、テラス席で海を眺めながら食事ができる店が並んでいる。一軒の店のテラス席へ。昼食。
久しぶりの生ビールを海を眺めながら・・・、美味い。


スタートの受付でいただいた物をリュックから取り出し確認。

食事を終えて、路面電車で長崎駅へ。

新幹線の開通で、駅周囲も駅舎も在来線のホームも変わって、初めて来た。

白いかもめで帰路。

今日のウォーキングを終える。
今日は、長崎本線浦上駅(長崎県長崎市)

現在の長崎県、佐賀県、熊本県は、古代、ひ(火・肥)の国と呼ばれていた。
律令政治の頃、ひの国は肥前の国(長崎・佐賀)と肥後の国(熊本)とに分かれる。
明治維新の後、肥前の国は東側が佐賀県、西側が長崎県に分かれる。
昨日は肥前の国の佐賀県、今日は肥前の国の長崎県のウォーキング。
浦上駅前には「国鉄原爆死没者慰霊之碑」が建っている。

スタートして、すたすたと歩いて行ったのはいいが、あれぇ、道を間違えているようだ。
マップにある「山王神社」に着かない。
どうしょう思い歩いていると、マップにある「坂本国際墓地」への矢印があったので向かう。


そして、ウォーキングコースへと出た。
参加している人たちが次から次へと歩いている。
山王神社は行ったことがあるので戻るのは諦め、前も後ろもウォーカーの中、安心しながら先へと進む。
浦上街道の案内から階段を下る。
階段や坂を上ったり下ったりしながら浦上街道を歩く。




一旦下ったところで見上げると、西九州新幹線のトンネル工事現場。浦上街道も寸断されているようだ。

西九州新幹線は、長崎駅~武雄温泉駅間が2022年秋の開業予定で工事が進んでいる。
が、佐賀県内の武雄温泉駅~新鳥栖駅間の工事は目途が立っていない。
佐賀県が工事費の費用負担に見合うだけのメリットが無いことで建設に難色を示している。
これまでも関係者の話し合いは持たれているようだが、メリットを示すことは出来ていないようだ。
肥前の国が長崎県と佐賀県に分かれずに一つの県であったなら、このようなことも無かっただろうに、と思う。

(スタート受付で貰ったパンフレット)
また、工事現場の横から坂を上って、浦上街道へ戻る。そして階段を下る。


「日本二十六聖人記念館」の横に出る。

1597年長崎で処刑された26人のブロンズ像、「日本二十六聖人記念碑」。

記念館に入る。初めてのような気がする。
ザビエルの渡来から明治時代までの日本のキリスト教の歴史を中心に学べる。
さまざまな書簡、さまざまな像などが展示されていて、迫力がある。
これだけのものを一度に見る機会はあまりない。

(日本二十六聖人記念館のパンフレット)
記念館横にある聖フィリッポ西坂教会。

勝海舟は、1855(安政2)年から4年間この地(大乗院)に宿泊し、海軍伝習所の伝習生となり、オランダ海軍から指導を受けた。

少し歩いて「長崎歴史文化博物館」へ。


何度か通り過ぎたことがあるが、今日は入ってみよう。
常設展の歴史文化展示ゾーンでは、江戸時代、長崎と中国やオランダとの交流の歴史が学べる。
学校では、江戸時代は鎖国で、長崎の出島が唯一、外国と交流するところだった、と習った記憶がある。
展示では、「幕府は長崎・対馬・薩摩・松前の4つの窓口を通じて海外と交流しました。」との説明がされていて、学校で習ったのとは違い、新鮮な感じがした。
今は、学校ではそのように習うのだろうか。
展示は期待以上に充実していた。
坂本龍馬と2ショットの写真も撮れる。
常設展の長崎奉行所では、奉行所が復元されている。
奉行所の復元は珍しいと思う。
興味津々、見て回った。

お腹も空いてきた。ゴール目指して歩く。
長崎はいたるところに、このような説明板がある。立ち止まっては読み、立ち止まっては読みしながら歩く。



長崎県庁が、この近くにあったような気がするが。


出島の洋館を左手に進む。

ゴールは長崎港。

今日も、デジタルスタンプ。

ゴールのところには、テラス席で海を眺めながら食事ができる店が並んでいる。一軒の店のテラス席へ。昼食。
久しぶりの生ビールを海を眺めながら・・・、美味い。


スタートの受付でいただいた物をリュックから取り出し確認。

食事を終えて、路面電車で長崎駅へ。

新幹線の開通で、駅周囲も駅舎も在来線のホームも変わって、初めて来た。

白いかもめで帰路。

今日のウォーキングを終える。
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