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たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

堺屋太一著 「三人の二代目」

2018年12月23日 08時46分52秒 | 読書記

図書館から借りていた 堺屋太一著 歴史小説 「三人の二代目」(講談社)(上)(下)を やっと、やっと、やっと 読み終えた。
記憶力、気力、視力減退の爺さん、長編小説は 敬遠していたはずなのに、つい手を伸ばして 読み始めてしまったもの。
上杉景勝、毛利輝元、宇喜多秀家、三人の二代目の生涯と とりまく時代の激しい変遷を同時進行的に描かれている長編小説。
歴史の勉強をするが如く 前後の関連を読み返しながら 読み進めなければならず、正直 疲れ果ててしまった。
つい最近まで 読書の習慣等まるで無かった爺さん、
もちろん 堺屋太一氏の作品を読むのも初めてのこと。
元通産官僚、元経済企画庁長官、元内閣特別顧問、元内閣官房参与・・・等という略歴を持つ 小説家、作家 堺屋太一氏には、
「油断!」、「団塊の世代」、「峠の群像」等々、現代小説、歴史小説等 数多の著書が有る。 

  「三人の二代目」(上)(下)

堺屋太一著 「三人の二代目」

(目次)
(上)「北の異変」、「選択と集中」、「義か利か」、「赤い知恵・黒い知恵」、「それぞれの春」、「天下の形勢」、「天秤(てんびん)傾く」、「新たな戦局」、「改革は難しい」、「鬼が出た」、「戦(いくさ)に是非なし」、「天下布武(ふぶ)大戦略」、
(下)「天変人異」、「業火の後」、「二代目の覚悟」、「天下分け目の水無月(みなづき)」、「天秤(てんびん)の分銅」、「待つことの勇気」、「新しい天下」、「天下の形」、「天下統一」、「偽りの日々」、「問題の人」、「決断の秋(とき)」、「生き残る戦い」、

 

天正6年(1578年)3月9日の昼下がり 越後春日山城の陣屋で 出陣前の上杉景勝(24歳)
お館上杉謙信が 卒中で倒れたことを聞き、「何、お館様が・・・」、
驚きの声を発する場面から物語が始まっている。
即 生涯妻子を持たなかった偉大な領主 上杉謙信の跡目争いが発生することになる。
上杉景勝は 謙信の姉(仙桃院)の子供(謙信の甥)、
(謙信の姉は 嫁いだ坂戸城主長尾政景が溺死したことで未亡人となり 謙信が引き取り春日山に住まわしていた)。
跡目候補には もう一人、景勝の姉(謙信の姪)の婿 上杉景虎(前小田原城主北条氏康の七男)がいる。
(謙信から 自身の名「景虎」まで与えられたいた)。
景勝は 「御館の乱」で 景虎を討ち 上杉二代目となるが 母親仙桃院(謙信の姉)には頭が上がらず なにかとお伺いをたてる。
領地内での反乱、越中、信濃、上野等 四方との戦い、信長や秀吉との確執、豊臣末期、五大老に名を連ね、家康と敵対し、和睦し 江戸時代に入り 米沢30万石を保ち続けた。
古希を超えた母親仙桃院にして 「先代の謙信公は稀代の英傑と言われたが 生涯に得た領地は やっと60万石、景勝そなたはその半分を保てれば上出来でしょう」と言わしめ 「なるほど」と景勝は頷く。まさに 生き残る戦いが続いたのだ。



物語は 同時進行で 二人目の二代目毛利輝元を描き出す。
毛利家は 「三本の矢」で知られているように 毛利元就が 毛利隆元、吉川元春、小早川隆景、三頭体制を敷いていたが 長男隆元が急死、元就は その子供輝元(元就の孫)を跡継ぎし 後見役になった。
8年後には元就が死去、20歳代の輝元が名実 お館になった。 
元々 決断力に欠ける輝元、小早川隆景、吉川元春という叔父の存在があって、力量有る専務に ぼっちゃん育ちの社長が 右往左往している、優柔不断な二代目として描かれている。
豊臣末期、五大老の一人となったが 専横極める徳川家康阻止の旗頭になり、関が原の戦いの総大将となった毛利輝元に対し、
家康は 「捕縛した石田三成らは極刑に処す。そうであれば 敵軍総大将に就いた毛利殿に何の咎めもなしとは参らぬ」と 言い渡した。
中国八ケ国123万石から37万石になった毛利家、髪を落とし 名を宗瑞と改めた輝元は その後再建に取り組み 戦国大名が半数以上消え去る中で生き抜いた。

三人目の二代目、宇喜多秀家の物語は 天正6年(1578年)3月23日、上杉謙信が死んでから10日経っている備前岡山城本丸奥座敷から始まっている。
城主宇喜多直家(50歳)とお福(30歳)の子 八郎(6歳)は 教育ママ、母親お福の完璧なレールに素直に乗って、豊臣末期の五大老の一人となり やがて 時運に巻き込まれ、関が原の戦い後は 休復と改め 島津家の庇護を受け 大隅に仮寓、
家康の裁きで 久能山に幽閉され さらに八丈島に流刑となり、明暦元年(1655年)、関が原の戦いに関与した全てが死に絶えた後まで生き、長寿を全うした。
イメージとしては 素直な子供、さわやかなイケメン青年、物事の裏を読めない真面目人間。
休復が幸せだったのは 「太閣を一度も裏切らなかったこと」との誇りを持ち続けたことと、愛妻豪姫の全き愛情を得ていたこと。
と作者は 述べている。
八丈島には 満足そうな表情をした休復の木像が有るのだそうだ。

随所に 作者堺屋太一ならではの 現代の企業経営、人事等に例える記述もあり 「フム、フム」頷いたりしてしまう。
情報収集、情報分析、微に入り細の戦略、等々、
ボリュームが多き過ぎて 読み切るに やや梃子摺る作品だと思われた。


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2 コメント

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Unknown (ミミ3103)
2018-12-23 15:04:34
タケさんの好きな歴史・時代小説の読書はまだまだ続きますね。二代目・・大体誰の?か想像つきましたが私も2、30年若かったらタケさんのわかりやすいあらすじですぐに本に飛びついてたでしょう。でも悲しい事に最近の私、メガネ(勿論老眼鏡😅)を付けるとすぐに睡魔に襲われるんです・・・友とラインしててもいつのまにか途中でスマホ落としてる事しばしば😨・・・
そんなわけでタケさんの読書紹介だけでスッゴい長篇小説も私のゆるい頭の中では読んだ気分😅
どうかお許しを・・・
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ミミ3103さん、こんにちは、 (takezii)
2018-12-23 16:11:26
何の気なしに 借りてきてしまい、読み始めましたが、全然進まず、最後まで読めそうにないと 一時観念しました。
なんとか 読み切りましたが やっぱり 長編小説は 敬遠した方がよさそう、
思い知らされました。
コメントいただき有難うございます。
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