普段よく見聞きしている言葉の中にも、あまりよく分かっていない言葉が、結構有るものだ。
よく分かっていなくても、知ったかぶりして、ブログ等に平気で書き込んだりし、時々、「もしかして、その使い方、間違ってないかい?」・・・等と自問することも有る。
365日、漢字パズル?、漢字クイズ?等に没頭している妻の座右には、「国語辞典」「漢和辞典」「日本語に強くなる本」「四字熟語辞典」「役に立つ・故事・ことわざ・慣用句・辞典」等々が、積まれており、たまに、手を伸ばし、チラ見して、確認することも有るが、いい加減に使っている方が圧倒的に多く、恥を晒しているのかも知れないと思っている。
毎年、ポカポカ春陽気を迎える頃になると、よく使われる、故事・慣用句、「春眠暁を覚えず」も、そのひとつである。
その意味や、語源・由来等を確認し、ブログ・カテゴリー 「つぶやき・うんちく・小ネタ・暇つぶし・脳トレ」に書き留め置くことにする。
加齢と共に、日の出前に目覚めてしまうことが多くなり、「春眠暁を覚えず」等という言葉を発することも無くなってしまっているが、若い頃には、起こされないと、8時、9時になっても、目覚めないということもよく有ったような気がする。
最近でも、いったん目覚めてから、「いかん、いかん、もう少し寝ないと」と、ウツラウツラしている内、眠り込んで、結局、朝寝坊!となってしまうことも有り、春先には、その傾向がある。
「春眠暁を覚えず」とは、「春の夜は眠り心地が良いため、朝が来たことに気付かず寝過ごしてしまう」という意味の言葉で、中国の唐代の詩人 孟浩然(もうこうねん)の漢詩「春暁(しゅんぎょう)」の冒頭の部分に由来している。
(ネットから拝借画像)
「春暁」 孟浩然
春眠不覚暁
処処聞啼鳥
夜来風雨声
花落知多少
しゅんみん あかつきを おぼえず
しょしょ ていちょうを きく
やらいふううの こえ
はな おつることしる たしょう
昭和30年代の高校生時代、2年生だったか3年生だったかの記憶は曖昧だが、確か1年間だけ、「漢文」という教科が有った。なんで覚えているかというと、その「漢文」担当教師が、父親の小学校同級生のI教諭だったことで、ことさら緊張感が有ったからだ。
ただ、当時(その後もずっとそうだが)、「漢文」等というものは、別世界のものという感が有り、珍紛漢紛、ただ単位を取るために、学んだようなものだが、返り点(レ点、一二点)だ、置き字だ、漢文を日本流に読むルールが理解不能で苦手教科の筆頭、結局、なーんにも身に付かなかったような気がしている。
後年になってからのこと、「春眠暁を覚えず」という慣用句に出会い、その由来が、漢詩の一節であることを知り、高校時代の「漢文」の授業の情景まで思い出したものだった。
漢詩の形式には、「絶句(ぜっく)」と「律詩(りっし)」が有るのだという。
「絶句」・・四句からなる詩、
「律詩」・・八句からなる詩、
さらに、「絶句」の内、1句の字数が五字のものを、「五言絶句」、1句の字数が7字のものを「七言絶句」というのだそうだ。
従って、上記 「春暁」は、「五言絶句」のいうことになるのだろう。