たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

「中学生日記より」その60

2022年06月21日 18時31分44秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

「中学生日記より」

「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に 一度書き込んだことの有る「中学生日記より」を 改めてリメイクしてみようと思っているところだ。「中学生日記」とは 中学生だった頃のM男が ほんの一時期付けていた日記帳のことで 数年前に実家を解体する際に発見した、ボロボロのゴミ同然の日記帳のことだ。土産物の小綺麗な空き箱や包装紙、冠婚葬祭ののし袋に至るまで 廃棄処分するという感覚が全く無かった父母が、子供達の教科書やノート、通信簿、図画工作作品等も押し入れの奥に詰め込んでいたもので、その中に有った。まさに「タイムカプセル」を開けるが如くの感じで、ページを捲ってみると、すっかり喪失してしまっていた記憶が、断片的に炙り出されてくる。まさか 60数年後に、ブログで第三者の目に晒される等とは 当時のM男は想像もしていなかったはずで 下手な文章、下手な文字、誤字脱字多しの日記である。


その60 「臨海教育」

昭和30年(1995年)7月22日、金曜日、天気 晴

1限目、社会、 → 臨海教育
2限目、図画、 → 々
3限目、理科、 → 々
4限目、国語、 → 々

1、9時半(発の)、汽車で、(海へ出掛けた)
  3時(15時発の)汽車で、(帰ってきた)
2、父(が)、キリギリスのかご(虫籠)を買ってきた

(宅)15時50分

1、夏休み直前のその日は、社会、図画、理科、国語、午前中の授業をつぶして、「臨海教育」だったようだ。M男の通っていた1学年1クラスの小さな山村の中学校には、当時、プールは無く、村落の子供達は、夏になると、近くの川の淀み等で、水浴び(水遊び)するくらいしか無かったものだが、学校で、1年に1回、全生徒を、日本海に面した隣町の海水浴場へ連れて行っていたものだ。ただ、今のようにバスで移動等は無く、最寄りの駅に集合し、汽車で往復だった。海水浴場とは言っても、当時は、海の家や更衣室等の設備は無くて、海辺の近くの神社の境内の物陰で着替えたり、休憩したりしたようだ。波打ち際は、遠浅の砂浜ではなく砂利状、数メートルで、ガクッと深くなる日本海、しかも、流れが早く、余程自信が無いと沖へ泳ぎ出ること等出来ず、「泳ぐ」等というには程遠く、ほとんどが、寄せ返す波と戯れる程度であったが、それを「臨海教育」と言っていたのだから笑えてしまう。子供達にとっては、それでも楽しかったことには間違いないが。
2、当時の子供達は、学校から帰ると外で遊ぶのは当たり前で、真夏の炎天下でも、麦わら帽子を被って、キリギリスやオニヤンマ等を捕まえたり、夜は、ホタルを捕まえたり、結構、昆虫も遊びの対象だった気がする。その日、父親が勤務先からの帰りに、竹ヒゴ製の虫籠を買ってきてくれたようだ。多分、友達が持っていて欲しくなり、強請ったのだろう。


コメント    この記事についてブログを書く
« 夏至 | トップ | 減らしても増える一方カード類 »

コメントを投稿

M男のあの日あの頃(the good old days)」カテゴリの最新記事