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たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

ここ数日、暑い日が続いており・・

2022年05月30日 15時21分21秒 | 畑日誌(見様見真似の野菜作り)

ここ数日、25℃超、30℃前後の暑い日が続いている当地、
今日も、最高気温、27℃~28℃だったようで、
人間も、熱中症厳重注意だが、畑の野菜もピンチ、
昼過ぎから、水やりと相成った。

ナス、キュウリ、トマト等、夏野菜に、たっぷり水やり

覗いてみると、トマト、キュウリ、ピーマンに、実が生り始めており

 

ピーマンは、初収穫(2個だけ)

イチゴ、サニーレタスも、収穫

サトイモが、やっと発芽し始めた。

タマネギは、そろそろ収穫適期?、
数日中には、収穫しないと・・・、

キヌサヤ、スナックエンドウは、おしまい。片付け。
この跡地には、ポット蒔き、育苗中の
インゲンマメを植え付けることになり、
支柱は、そのまま残し・・・、

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イベリス・ブライダルブーケ

2022年05月30日 11時06分26秒 | 爺さんの備忘録的花図鑑

これまでやたら撮ってきた写真が、外付けHDに大量に溜まってきており、時々、その気になって、不要、無用写真を大胆に削除しながら、散歩、旅行、山行・・・等のファイルに仕訳分類整理を進めているところだが、懐かしい写真を見掛けると手が止まってしまい、そんな古い写真を引っ張り出して、ブログネタにしているという次第である。


毎年、この時期、散歩・ウオーキングの途中で撮っている花の一つに、「イベリス・ブライダルブーケ」が有る。今年は、どういうわけか見掛けない内に、花期が過ぎてしまったようだが、昨年までの写真が有り、引っ張り出してみた。草花に疎い爺さん、「イベリス・ブライダルブーケ」なる花名を初めて知ったのも、つい最近のことで、しかも、知ってもそのそばから忘れてしまう老脳、毎度、サッとは花名が出て来ず、「えーっと?、えーっと?、なんだっっけ?」を、繰り返している始末である。また思い出せなくなる前に、ブログ・カテゴリー「爺さんの備忘録的花図鑑」に、書き留め置くことにする。

「イベリス・ブライダルブーケ」を、初めて見掛けて撮ったのは、
5年前、2017年4月29日、散歩・ウオーキングの途中だったようだ。
その時はやはり、花名を知らず分からずで、
「みんなの花図鑑」に、教えてもらい、
初めて、花名を知ったような気がする。

2018年4月9日、散歩・ウオーキングの途中で撮っていた
「イベリス・ブライダルブーケ」

 

2020年4月17日、散歩・ウオーキングの途中に撮っていた
「イベリス・ブライダルブーケ」

昨年、2021年4月7日、散歩・ウオーキングの途中に撮っていた
「イベリス・ブライダルブーケ」


イベリス・ブライダルブーケ

アブラナ科、イベリス属、常緑、1年草、または 多年草、
    別名 「宿根イベリス」「トキワナズナ(常磐薺)」
       「キャンディタフト」
原産地 ヨーロッパ南部、アフリカ北部、西アジア等、地中海沿岸
樹高 10cm~60cm
花色 白色、赤色、ピンク色、紫色、、
   葉が見えなくなる程、沢山のブーケのような白い花を咲かせる。
開花時期 4月頃~6月頃
花言葉 「心をひきつける」、「初恋の思い出」、「甘い誘惑」


草木に疎い爺さん、毎度、混同してしまう花のひとつ、
「オルレア(ホワイトレース)」
👇
こちら


 


「中学生日記より」その59

2022年05月30日 09時12分53秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

「中学生日記より」

「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に 一度書き込んだことの有る「中学生日記より」を 改めてリメイクしてみようと思っているところだ。「中学生日記」とは 中学生だった頃のM男が ほんの一時期付けていた日記帳のことで 数年前に実家を解体する際に発見した、ボロボロのゴミ同然の日記帳のことだ。土産物の小綺麗な空き箱や包装紙、冠婚葬祭ののし袋に至るまで 廃棄処分するという感覚が全く無かった父母が、子供達の教科書やノート、通信簿、図画工作作品等も押し入れの奥に詰め込んでいたもので、その中に有った。まさに「タイムカプセル」を開けるが如くの感じで、ページを捲ってみると、すっかり喪失してしまっていた記憶が、断片的に炙り出されてくる。まさか 60数年後に、ブログで第三者の目に晒される等とは 当時のM男は想像もしていなかったはずで 下手な文章、下手な文字、誤字脱字多しの日記である。


その59 「麦刈りとうどん作り」

昭和30年(1995年)6月19日、日曜日、天気 晴

1、かわら(川原)の北の畑(田)の麦かり(麦刈り)をした。

全く、記憶に無かったことだが、この日、川の近くに有った田んぼの1枚で作っていた麦を刈る手伝いをしたようだ。6月中旬、梅雨の真っ最中、もしかしたら、晴れる日を待ち構えていたのかも知れない。丁度、日曜日で、晴。隣リ町の印刷店・文房具店に勤めていた父親も、休んで、一家総出で、麦刈りをしたのだと思う。もちろん、稲刈り鎌で麦株を刈る作業、丸めて運ぶ作業、全て、人力、汗水垂らす仕事だったが、中学生ともなれば、一人前の人足扱い、手伝うのが当たり前の時代だったのだ。当時、村落の農家のほとんどは、稲作中心だったが、田んぼの一部に麦を植え付け、収穫した麦を、製粉し、「うどん」や「団子」等の材料にしていたような気がする。汽車やバスで、隣リ町に出掛けなければ、蕎麦屋も中華食堂も商店も何も無い村落の暮らし、例えば、「うどん」にしても、外食したり、出前を取ったり、買ってきて食べるということは考えられず、M男等は、「うどん」は、自分の家で作って食べる物と思い込んでいた位だった。
記憶曖昧だが、刈り取った麦は、リヤカーで運び、稲架(はさ)掛けし、乾燥させた後、脱穀、農協の製粉所に持ち込んで製粉、うどん製造機で出来た「生うどん」を持ち帰り、座敷等で、物干し竿に吊るし、何日かで乾燥させ、あとは、包丁だったかハサミだったかで適度の長さに切り揃え、完成・・・という具合だったような気がする。そんな手間暇掛かる「うどん作り」も、その後、次第にやらなくなった気がするが、その頃には、簡便な商品が出回ってきたからなのだろうと思う。たった1行の日記から、当時の情景までが、炙り出てくるから不思議である。