5月5日、今日は 1948年(昭和23年)に祝日法により定められた国民の祝日 子供の日である。
「子供の人格を重んじ幸福をはかり母に感謝する日」と定義づけられているのだそうだ。
当地 絶好の行楽日和、
近所のお宅の鯉のぼりが 五月晴れの空に映えている。
10連休も後半、今日も全国各地の行楽地は大変な賑わいになっているに違いない。

最近は 住宅事情や少子化の影響だろうか、鯉のぼりを自宅敷地内で飾る家が少なくなっている気がする。
その代わり そんな鯉のぼりを集めて 大量の鯉のぼりを並べて飾るイベントが各地で開催されている。

戦後まもない昭和20年代、30年代、北陸の山村で 幼少時代を過したが、当時(今もそうかも知れないが)、4月から5月は、田打ち、代掻き、田植え等の農繁期であり、家族総出で野良仕事をしていた時代、
子供の日や端午の節句に因んだような思い出等は まるで無い。
ほとんどが農家の村落だった。鯉のぼりを飾る家等皆無であり、端午の節句を祝い、鯉のぼりを飾る風習は 都会の風習?、町の人がやること?だと思い込んでいた子供だった気がする。
鯉のぼりが泳ぐ情景は もっぱら絵本や童謡の中の世界で、憧れていたのだと思う。
後年になって、鯉のぼりが泳ぐ情景を初めて目にしたのは何時頃、何処でだったか記憶曖昧だが 異常に感動したような気がする。
高齢者になった今でも 鯉のぼりの情景に出会うと ちょっぴりときめいてしまうのである。
童謡 「こいのぼり」 作詞 近藤宮子 作曲 不詳、1931年(昭和6年)発表 (YouTubeから共有)
童謡 「鯉のぼり」 作詞 不詳、作曲 弘田龍太郎 1913年(大正2年)発表、 (YouTubeから共有)
鯉は 中国で出世の象徴とされている縁起のいい魚なのだそうだ。
黄河の上流に竜門という険しい滝が有り そこを登れた魚は竜になれると言われていて 唯一登れて竜になったのが鯉だという話なのだ。
よく 音楽家や役者が一流になるために通過するコンクール等を登竜門と呼んでいるが その由来である。
端午の節句を祝う習慣は 奈良時代から貴族の間で有ったようだが 当時は 子供のお祝いではなく菖蒲や薬草で厄除け健康祈願することが主体だったようである。
鯉のぼりを立てるようになったのは 江戸時代からのようだ。
江戸時代、武家屋敷で男の子が生まれると家紋の付いたのぼりを立てる習慣が有ったが 縁起の良い鯉に置き換えられ 次第に庶民も真似して飾るようになり 定着していった。
初期には 黒い真鯉1本だったが 赤い緋鯉、青い子鯉が加わり家族を表すようになり さらに 橙や緑の鯉も加えた5色の鯉のぼりも人気となり、真鯉の上に厄除けとして吹き流しが加わっていったということなのである。