インクルーシブな社会のために

障害の有無程度に関わらず支え合う社会へ ~ハマジョブネットワーク~

7月31日(木)のつぶやき

2014年08月01日 | Weblog

瀬谷区認知症講座の一コマ。大盛況でした。私は、とある企業が製品を試用したいとの提案があったので立ち会い。たまたま講師の薗田碵哉先生とご縁があり、貴重なお話をいただけました。 pic.twitter.com/XE3H91w7Uq


【読了】『空が青いから白をえらんだのです ―奈良少年刑務所詩集― (新潮文庫)』 booklog.jp/item/1/4101352…


法人は移っても本人の生活は続く。引き続き注視。"@KanalocoLocal: 資金繰り悪化のPWL 全事業が別法人に | カナロコ kanaloco.jp/article/75517/… #神奈川新聞"

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施設にいた時、腰痛予防は最優先課題の1つだったので気になる。→都道府県で指導に温度差 福祉施設での腰痛予防の取り組み|福祉新聞 fukushishimbun.co.jp/topics/4979


好き嫌いで言えばカジノは好きではないし、自分や家族が住む所にカジノがあるのは嫌。福祉施設ではないから、必要性も感じない。だが、あってはならないとする明確な理屈はない。この時、経済界から地域振興のため誘致必要と言われると、首長としては誘致を決断せざるを得ないのかな、とも思う。

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だがそれでよいのか?原発や基地も似た流れで誘致を受け入れ、その負の側面を実感した時は遅い。そのダメージは得てして生活に困難がある人ほど被るため、メジャーな問題になりにくい。もちろん原発や基地とカジノは違うが、誘致の動機は構造的に似ているのではないだろうか。


そう考えると、市民感覚の好き嫌いも、誘致を判断するためのあくまで一要素としては必要なのではないか。商売は自由だと思うが、国や自治体が税金を投入して特別にカジノを誘致することには心理的抵抗があり、私の理性はそれを抑えることができない。なぜカジノなのかという疑念が優ってしまう。