高野裕次著
『中国経済 小康社会への鍵 ~物権法の確立とバランスの取れた発展~』⑦
<7.中国政府の対応>
1.人口抑制政策 独生子(一人っ子)政策
一人当たり所得=総所得/人口である。従って、所得をあげるには、人口を減らすか、総所得をあげるかの二つの方法がある。中国政府は、両面から人口問題に取り組んでいる。
1950年ごろに6億人台だった人口は、70年代の改革解放のころには、10億人近くに到達していた。57年には、北京大学の学長馬寅初が人口問題の危険性を説くも、毛沢東は、戦争の影もあってか、労働力こそ国力として人口抑制を退け、馬寅初は、60年に公職から追放されている。そして60年代を通じて膨張は続き、現在の約13億人に至っている(村山宏『異色ルポ 中国・繁栄の裏側』p.108)。
鄧小平が実権を手にした直後の1979年に人口抑制政策、「独生子(一人っ子)政策」が導入された。一人っ子政策は、4段階によって推進された。
第一期(79~84年)全国計画出産弁公室主任会議が中心になって国策として軌道に乗る。
第二期(84~85年)国連の国際人口会議で、強制中絶や女嬰児殺害によって人口抑制をしていると中国を批判し、国連人口基金の援助停止を決定。それを受けて、第二子出産条件を緩和する。
第三期(86~87年)農村の抑制政策は、第一子が女児の場合、政策実施は困難とされ、農村部において全国的に緩和される。(社会保障の不備や貧しさから中国農村では女子より男子を重宝する傾向がかなり強い)
第四期(87年以降)各地区の計画出産条例の制定・改定が繰り返され、チベット自治区以外では、制定が完了される(若林敬子『人口超大国の行方』pp.65~67)。
このように政府は、人口問題に取り組み、ある程度の抑制には成功している。都市部においては、かなり厳格に独生子政策が実施されている。だが、所得の低い中西内陸部では、男子は貴重な労働力であり、将来的には親の面倒を見る社会保障的な側面もあるため、第一子が女の子の場合、戸籍に登録されずに成長している人口が多い。誰も中国の人口の真実数を掴めていないのが現状である。
結局、世界で始めて、国が個人的な出産に対して関与する人口抑制政策では、当然のごとく限界がある。根本的な解決は、農村から都市へ、農業部門から工業部門への余剰労働力の移動を促進するために国内外の民間活力を利用するためのインフラや各種制度を整備し、雇用を創出するための産業を興るよう仕掛けを作るしかない。従って、中国の中央および地方政府は、連携しながら、ハードとしての各種のインフラを財政投資によって整備し、ソフトとしての財政による人的資本投資、さらには制度的な企業への優遇処置の実施に全力をあげるべきである。
次に、全面的小康社会実現のカギ、農村部の一人当たり所得を向上させるための政府重点政策 西部大開発について考える。
2.東部と西部内陸を結合させるために 西部大開発
中国の内陸発展は、毛沢東の国防上の理由から重工業を内陸へ移転するという60年代半ばの三線建設まで遡ることができるが、改革解放政策が展開され、10年を経過した88年に鄧小平は、次のように語っている。「沿海地域は、対外開放を加速し、2億人の人口を擁する広大な地帯をまず発展させ、内地(内陸部)の発展を帯同させる。これは大局にかかわる問題である。内地はこの大局に従わなければならない。そして、発展が一定の段階まで、到達したとき、今後は沿海がより大きな力を使って内地の発展を助ける必要がある。これもまた一つの大局である。そのときは沿海がこの大局に従うべきだ」(加藤弘之『シリーズ現代中国経済 地域の発展』p.42)。
東部の経済開発は、軌道に乗り、成長の恩恵を東部、特に工業・サービス業に従事する人々が手に入れはじめた(図18「地域別 工業付加価値額と農林水産業生産額」図19「地域別固定資産投資額推移」)。それなりに資本・技術は蓄積され、高度成長も続き、税収も増えた(図14「財政収入内訳とその推移」図20「地域別都市農村の所得格差」)。中西部へと市場を開発していくチャンスである。
格差問題は、江沢民政権から問題視されており、1999年に陝西省を視察した折に、「時期を逸することなく、中西部地域の発展を加速させるべき、そのために西部大開発について研究するべき」と語った。
2000年の第9期全国人民代表大会第三回会議で、西部大開発推進が採択された。そして同年、国務院(行政のトップ機関)に西部開発指導グループが設立され、その下に弁公室が設けられ、そこに企画・政策策定・管理・事務調整などを推進させた。さらに2001年に承認された、第十次五ヵ年計画(2001~2005年)によって「西部大開発を実施し、中部・西部地域の発展を加速させ、合理的に地域経済の構造を調整して、地域経済の調和発展を促進する」指針が明示された(大西靖編著『中国 胡錦涛政権の挑戦』p.81)。こうして、西部大開発、中部発展の加速、東部発展のレベルアップという優先順位のもとで、全体計画が策定された。
西部大開発とは、東部沿岸部と西部内陸部の経済格差を是正、全面的な小康社会を実現するために、西部内陸部に重点的に財政支出を行うことでインフラを開発し、東部と西部が事実上分断され、二重構造だった経済を有機的に連結させる戦略の試みである。
西部大開発の対象地域は12地域、当初は、内陸中西部全体が対象だったが、資源をできる限り傾斜配分できるように、西部10地域に、広西チワン自治区、内蒙古自治区を加えた12地域となった。それでも、中国全国土の7割、人口約3億7000万人=約28%、GDPは3兆3390億元=18%に及ぶ(図7「地域別のGDP・一人当たりGDP」)。
柱としては、
①財政資金の重点傾斜投入
②インフラと法整備による投資環境の改善
③外資投入領域の拡大
④科学技術教育の拡充と人材育成などである(鮫島敬治・日本経済研究センター『中国 WTO加盟の衝撃』p.280)。
重点任務として
①インフラ建設
②生態環境保護の強化
③農業基盤強化 工業構造の調整
④科学技術教育
⑤外資導入促進の5点が挙げられている。
最も西部に必要なのは、発展のメカニズムであり、メカニズムのエンジンである民間投資である。そのための前提条件となるのが、各種のインフラや制度である。①のインフラ建設について、2000年から10大プロジェクトが始まった。
①西安-南京鉄道の西安-合肥区間
②重慶-壊化間の鉄道
③西部地域の自動車道路
④西部地域空港
⑤重慶のモノレール
⑥ツァイダム盆地の天然ガスパイプライン
⑦四川省紫平鋪と寧夏の黄河砂坡頭の水利建設
⑧中西部の耕地の樹木や草の栽培幼稚への転換
⑨青梅省カリウム肥料プロジェクト
⑩西部地区大学のインフラ建設
である(加藤弘之『シリーズ現代中国経済 地域の発展』p.157)。鉄道や高速道路が多いが、企業家の投資が向かうまでには、長期の時間を要するだろう。2004年末現在では、国主導で新たに60プロジェクトが始められ、「西気東輸」、「西電東送」、青梅-チベット鉄道、水利ステーション、交通幹線、空港建設など建設資金総額は8600億元に達し、2700億元が国債資金によって賄われた(大西靖編著『中国 胡錦涛政権の挑戦』p.84)。
西部大開発戦略は、三段階に分けて考えられている。第一段階は、2001~2005年の第十次五ヵ年計画期間、第二段階は、現政権があたっている2006年~2010年の第十一次五ヵ年計画期間、そして第三段階が2016年~2030年で国際化・都市化の加速、民主と社会発展の全国平均水準化が想定されている。
西部内陸を発展させるためには、財政支援(図「中国の中央政府財政支出における山農支出項目」)のほか、経済のエンジンである民間投資増加も欠かすことができない。そのために優遇税制などについても外資企業に対して、①国が奨励する分野に投資した起業については、企業所得税の引き下げ33%~15%、②交通・電力・水利・放送事業を西部地域で立ち上げた企業に対しては減免処置、国内企業についても営業開始から1~2年目は所得税免除、3~5年目は所得税を半減するなどの処置がとられている(加藤弘之『シリーズ現代中国経済 地域の発展』p.157)。広大すぎるプロジェクトなため、この西部大開発も体制改革と同様に漸進的に進められている。
3.西部大開発の現時点における評価
開始から5年以上が経ち、西部大開発の成果も漸進的にだが、国家予算内基本建設投資の増加速度を見ると成果が現れ始めているかにみえる(表4「1996~2004年国家予算内基本建設投資の地域分布、」「中国の各地域GRP成長率」図21「中国の中央政府財政支出における三農支出項目」参照)。西部大開発対象地域への2004年度の地域別直接投資実行額を見ると内蒙古自治区、新疆ウイグル自治区、チベット自治区への直接投資が急増していることも分かる(図22「地域別 直接投資実行額」参照)。
しかし、そもそも政府の目的は、バランスある発展、中国全土における小康社会の形成である。そのためには西部内陸において、投資に見合うような市場の形成、100~200万人規模の工業都市が最低100~200箇所形成することが最低目標となるだろう。漸進的改革を志向する中国においては、まだ西部大開発が始まってからまだ5年しか過ぎていないといえるが、2020年に全面的な小康社会の達成を掲げている。東部は、達成できるだろうが、西部内陸においては、環境圧力や水不足、財源不足など多くの資源が不足している。また、ほとんどの西部地域で、5年分の一人当たりGDP合計は、上海の2001年度一年分のGDPにしかならない(図23「地域別5年分(2001年~2005年)の一人当たりGDP合計」参照)。最も貧しい地域である貴州省にいたっては、上海直轄市と約10倍の格差が存在しているため、上海の5年分の一人当たりGDPを生み出すのに、貴州省では、50年もかかる。財政資金をさらに西部へ傾斜配分し、インフラと各種制度の優遇処置によって、西部企業の自力発展、東部の工業企業や海外企業の誘致という両面からさらなる努力が必要である。
4.前提としての法治
西部大開発とともに、早期に実施しなければならないのが、物権法の確立である。物権法の確立が、貧しい西部地域にとっては、社会保障にも等しいからである。なぜなら、物権法が確立すれば、地域行政幹部の恣意的な費用徴収もなくなる。さらに、西部大開発によって、西部内陸の都市化を進め、産業が立地すれば、東部沿岸部に出稼ぎへ出る必要もなくなり、差別的な扱いを受けることもなくなる。東部都市部の急激な人口流入による治安の悪化、スラム化も防げるようになる。
法治は、中国全体にとってプラスである。司法関連の職員の育成・増加は欠かせないが、人でなく法に統治を任せることで、かなりの行政職員を減少させることができるだろう。そして、法治を整備することで、三農問題のうちの違法な幹部の恣意的で過剰な費用徴収も、急減させることができる。
西部内陸の農民・都市部労働者にとっても、物権法を頼ることが可能になれば、泣き寝入りしてきた行政幹部による職権乱用にも、法に則ったかたちで対抗する手段を得ることになる。
逆に、法に則った徴税に関しては、きちんと納税する義務を負う。こうした法治によって、取引=所有権の移転、さらには「契約の履行義務の発生」という制度が、市場参加者の間で認識されれば、市場の持続的な発展にもつながる。
法治の確立には、教育が最も不可欠となる。中国の全主要都市の中学・高等教育機関で、社会倫理を教育し、大学・大学院においては法曹教育課程を設置し、法治の確立に努めなければならない。
2002年に江沢民党総書記に代わって胡錦涛が党トップに就任した。2003年には、国家主席に就任、温家宝総理と政権を担う。そして、2005年に軍の主席に就任し、3つの権力(①国家組織のトップ国家主席、②共産党のトップ党総書記、③軍事組織のトップ党中央軍事委員会、国家中央軍事委員会国家主席)を握り、政治基盤は安定軌道にのった。2006年に第十一次五ヵ年計画が全国人民代表大会で承認され、引き続き東部・中部・西部に加えて、東北地域の吉林、黒龍江、遼寧の三省がバランスある発展のための重点地域に加えられた。地域のバランスある発展が意識され、三農問題、内陸農村の発展が重点課題として強調されている。
工業化・都市化を加速するために、インフラ整備、生態環境保護、科学技術教育、人的資本の開発=教育など、政府は、西部地域の投資環境の改善、貧困地域の所得増加、そして2020年の全面的な小康社会実現を実現させなければならない。
しかし、いまだに汚職や腐敗は増加傾向にあるし、東部・西部の格差は、拡大傾向にあることも事実である(図23「地域別5年分の(2001年~2005年)一人当たりGDP合計」)参照。特に、中西部における貿易額は、東部に比べれば無きに等しいことが数字に表れている(図24「地域別 貿易額」参照)。これらを克服するための「持続的なバランスのとれた発展」には、物権法の確立こそ欠かすことができない必然的な制度である。