高野裕次著
『中国経済 小康社会への鍵 ~物権法の確立とバランスの取れた発展~』⑤
<5.行政幹部の腐敗と汚職 レント・シーキングとクローニー・キャピタリズム現象>
1.レント・シーキングとクローニー・キャピタリズム現象
レント・シーキングとは、市場活動をせずに、公権力を利用することによって利益を追求する活動である。市場活動とは、法令というルール遵守を前提として、企業間で競争しながら利益を追求する活動(プロフィット・シーキング)である。中国では、毛沢東の死後、復活した鄧小平によって経済の改革開放政策が実施され、市場メカニズムによる資源配分が東部沿岸部から漸進的に実施されていった。しかし、政治的には共産党支配を基盤とする独裁体制に特別な変化はなく、国有企業と行政幹部の癒着、地方幹部の横領など、政治的には社会主義=つまり公的機関・組織特有の権力と経済改革の結果としての市場経済が結びつき、急成長を遂げているが負の面も拡大してしまった。そのため、未だに中国全土で市場が機能しているとは言えず、後者の健全なプロフィット・シーキングと同じぐらいレント・シーキングが蔓延しているとされる。
クローニー・キャピタリズム現象とは、一部の仲間意識や縁故によって結ばれた者の中でのみ資本主義経済が機能している状態を指し、そのために、その閉鎖的な中でのみ市場メカニズムによる経済資源が循環し、恩恵をその中の者のみが享受する状態である。中国では、こうした2つの現象が蔓延している。以下、これらの二つの現象から見られる中国の行政・共産党・企業幹部による汚職や腐敗の概要、背景について考える。
2.中国の汚職・腐敗概要
マクロデータを見れば、経済改革について高く評価をすることができる。しかしながら、中央政府でさえも実態を把握できぬほどの汚職・腐敗、具体的には、政府・行政・国有企業幹部の横領や脱税行為、そして賄賂。地方に至っては、94年に導入された分税制度の影響によって地方財政が苦しくなり、予算外収入が増加し、農民から恣意的な費用徴収がまかり通る人治が固定化されてしまった。そのために内陸の農民は貧しいにも関わらず、重い負担に苦しみ、社会問題といえるほど汚職や腐敗問題は増加傾向にある。都市部では、不動産開発のために、出稼ぎ労働者の住んでいる家を補償もなしに打ち壊し、追い出すといった土地開発業者と権力を利用した行政幹部の横暴が後を絶たず、出稼ぎ労働者が起こす「騒乱」が急増している。
1978年に経済の改革解放を決定してから、汚職・腐敗の問題は深刻化し、79年から97年までの汚職の摘発件数は年平均22%にのぼり、成長率を上回るスピードで増加の傾向にある。2001年に中国科学院「国情研究センター」主任の胡鞍鋼氏試算によれば、90年代後半以降、共産党幹部の汚職・腐敗がもたらした経済損失は、年平均9875億元~1兆2570億元に及ぶとしている。この数字はGDPの約15%になる(門倉貴史『中国経済大予測』p.84)。
最近(2006年6月~8月)、汚職や腐敗を理由に処分された地方幹部の具体例を挙げると、6月、北京市副市長が生活の腐敗と堕落などを理由に免職、海軍副司令官が収賄容疑で解任、安徽省副省長が金銭問題と生活の腐敗により定職処分。8月には福建省宣伝部長が違法行為・規律違反などで免職、上海市労働社会保障局長が収賄容疑で解任、中央の指示を無視して内モンゴル自治区主席が違法に発電所を建設したことにより自己批判処分、天津市検察長が職員の福利厚生、住宅問題などを通じて業者と結託し、不正を見逃して賄賂を受けた疑いもあり、規律違反で辞職(事実上の解職)などである(朝日新聞2006年8月30日朝刊より。原資料は新華社、香港中国系紙)。
3.汚職・腐敗の背景
こうした汚職・腐敗の問題の背景には、一つは体制移行が漸進的であり、未だに物権法が確立していない状況を利用する機会を政府・行政・国有企業幹部に与えていること、市場のルールに従って競争し、利益を追求するよりも許認可権を持つ行政・共産党幹部と国有企業幹部が話し合いによって自分たちの都合がいいようにルールを作り、利益を貪っていること(レント・シーキング)、二つ目に、中央と地方の税制関係が曖昧で、94年に分税制を導入した結果、地方財政が苦しくなり、そのツケを貧しい農民に払わせることで対処していることが問題である。そして、三つ目として、そもそも中央政府が把握しきれないほど中央・地方の公的機関で働く人間が多いことに起因する。観光資源を利用したサービス産業や中小企業など民営企業を育成することで国有企業人員や公務員を吸収する必要がある。
一つ目は、物権法、ここでは、特に所有権を問題にする。国有企業改革によって国有企業から民営企業となる際に、所有が曖昧なために、雇用された経営者によって国有財産が処分されている。さらに体制移行過程にあり、既に述べたように漸進的改革による結果、計画価格と市場価格が存在し、安い計画価格を高い市場価格で転売すれば、容易に利益を上げることができる状況を官僚や企業に与えていることが汚職・腐敗の要因となっている。物資の割り当てを官僚が行うために立場を利用すれば何の困難もなく大金が懐に入る状態に置かれている。この問題はコーポレート・ガバナンスとも大きく関係する問題で、例えば株式上場することで直接金融により資金を調達した場合、その企業は誰のものとなるのか、ディスクロージャーに関する法など企業と投資家間の情報の非対称性をどのように解決するのか、など所有権に関する問題は多く、根深く長期間を要する。歴史からみる紛争は、他人と共同で物を所有する人たちの間で起こるものである。いらぬ紛争を防ぎ、効率を追求するには財産権を定義し、各経済主体の役割を明確にする必要がある。
公私の区別が曖昧な法の不整備による人治や、党と政府、政治と企業といった行政機構人事や企業人事に党の介入が存在するなど、その原因は、長期にわたって共産党一党独裁を維持している体制そのものにあるとするのが中国の著名な経済学者樊綱(ファンガン)である。彼による腐敗の定義とは、「公の権利を悪用し、私利を求める」ことである(樊綱(ファンガン)著 関志雄訳『中国 未完の経済改革』p.15)。「公の権利を悪用し、私利を求める」という行為は、まず「人事制度」に関係し、人間すべてが「公正無私」ではなく、一部分の人は、「私欲」を持っており、機会さえあれば、権利を利用して私利を求めることを認めるとするならば、いかにして私欲の少ない、公利のために勤勉な努力を惜しまない人材選抜システムを確立するかを研究する必要があるとし、国家機関や国有企業の人事制度、職員の選抜制度及び官僚の任命制度を改革し、「悪い人」が権力につく機会を減らすことが腐敗を防止する方法としている(樊綱(ファンガン)著 関志雄訳『中国 未完の経済改革』p.16)。
違法行為が蔓延していることに関係することとして2つ目に挙げているのが、法の不整備である。そして、これらを整えるにはただではできず、取り締まるためのコストがかかると主張し、腐敗撲滅運動のコストに対する直接利益は、回収したお金や物品、間接利益として民衆の怒りや社会の安定、みせしめ効果があると述べている。しかし、根本原因は、現在の中国の経済体制上「腐敗行為を行う可能性のある人間の絶対数が非常に多く」、人数やコストがかかりすぎるために上記の2つでは根本の解決にはならない。その根本的な解決策としての結論が、「公の権利の数を縮小」させること、としている(関志雄HP 中国経済論 ファンガン著『腐敗の経済学原理』2002年1月)。
二つ目に汚職・や腐敗の温床の要因と考えられるのが、94年に行った税制度改革(分税制導入)である。その結果、上級政府に税収が集中し、下級にいけば行くほど財政収支が悪化したことで、地方行政幹部は、負担を農民に求めてしまった。そのため、中央政府は2005年に農業税を全面廃止し、代わりに地方への移転支出を増加させたが、これは使途が決められており、農業税の減少分を補うには至っておらず、根本的な解決になっていない。例えば、中央・地方政府の共有税を見ると、増値税の比率は、中央75:地方(省)25、企業所得税は中央60:地方(省)40で配分される。その後、さらに同じように省から県・郷政府へと配分される。そのためにもともと裕福ではない県や郷政府の財源が減少する結果となってしまった(関志雄 HP 中国経済新論 精華大学 劉玲玲 張凱雲 程子建『県と郷における財政難への処方箋』2005年11月29日)。
三つ目として、そもそも地方の内陸に行けば行くほど、公務員の人数が多く、農業が経済の主体であるために資本蓄積を行う余裕はなく、観光資源は豊富な地方も多いが、交通インフラが整備されていない状況と関連する。従って、中央からの財政移転が必要不可欠である。日本のような地方交付税交付金のように、一度吸い上げてから配分するような方法は、領土が広く、人口が多いために中国では不向きである。財政によってインフラを整備し、観光産業を発展させ、余剰な公的人員を吸収し、工業とともにサービス産業も育成する必要がある。また、教育は私的財だが、正の外部性を持っているので、基礎教育への財政投入も欠かすことができない。そうしなければ、内陸部における市場はいつまでも発達せず、事実上中国に分断された経済地域が生まれてしまい、格差は拡大しつづけ、国民生活を守るはずの政治家や行政と地方の農民との間で対立的な構造が生まれてしまう。
ルールを作る側に汚職や腐敗が蔓延するようでは、健全な市場は育たず、歪みは拡大・常態化し、国民の間に疑心暗鬼が生まれる。さらに食べることにさえ必死な農民は集団・組織化し、暴動のインセンティブにつながっていく。結果的に、急進的な改革を強制的に迫られるかもしれない。既にその兆候はみられ、賃金未払い、土地の強制収用や幹部腐敗への抗議など暴動を含めた抗議行動は、2005年度に確認されているものだけで、8万7000件と公安省が発表している(各種新聞報道2006年8月4、5日)(表2「経済犯罪の一部具体例、表3「公務員の腐敗・汚職の立件数」参照)。
現体制においても、鄧小平の「4つの原則=社会主義の道、プロレタリアート独裁、中国共産党の指導、マルクス-レーニン思想」や江沢民の「3つの代表=共産党は生産力、文化、人民の3つを代表する」というスローガンからも分かるように路線変更は見受けられず、共産党を頂点とした指導原則を前提としているために、腐敗撲滅のための体制改革と党の存在意義の間にジレンマが存在している。漸進的アプローチを採り続けるならば、この腐敗・汚職問題を放置したままでは、時が経てば経つほどサンク・コストは増加し、解決のための将来コストも高くつきことになる。従って、解決策を模索しながらも、この問題に現政権は真っ向から挑まなければならない。
問題は、格差問題とも関係している。高度の経済成長を続けているうちは、中国人口の7割を占める農民にとって、こうした腐敗や汚職も許容範囲かもしれないが、大多数が、自分たちは、土地や戸籍制度に移動を縛られて貧しい状況にあるのに、人民の代表であるはずの党幹部が関与し、公権力を利用して数百万元~数千万元の所得を得ている(レント・シーキング)人間が多ければ、その事実に内陸部の農民が気づいたとき、もしくは、経済成長が止まりその恩恵を感じなくなったとき、言い換えれば、トリックル・ダウンすら有効でなくなったときに暴動へと発展する可能性が急速に増す。
依然、政治権力としての公権利を有する人間の絶対数が多いため、政府規模の縮小が腐敗・汚職の根本的な解決策となる。
中央と地方の権力関係では、既に述べた通り、94年に分税制が導入され、中央と地方の財政収入が明確に分けられてから中央財政は急激な伸びを見せたが(図11「中国国家財政の推移」)、逆に地方の税収は減り、ここから地方幹部が農民から恣意的な費用を徴収するという現象が多く発生するようになった(図14「財政収入内訳の推移」)。そのため農民の生活はいっそう貧しく苦しくなり、民工潮(出稼ぎ労働)というかたちとなって就職先・より高い所得を求めて都市へ向かう構造がうまれた。