前号でとりあげた遇駕山のマツ林のふもとにあるのが、遇駕山村です。義和団事件のさい、北京から西安に逃れる西太后の乗った駕籠がここを通ったのが、名称の由来だそう。くわしい事情は忘れてしまいました。
緑の山のふもとにあるんですけど、水にはめぐまれません。なんどか井戸掘りに挑戦したんですけど、失敗つづき。2000年に私たちが実施したアンケート調査によると、1人1日の水使用量はわずか15.6リ . . . 本文を読む
三嶺村を黄土高原の典型的な風景、というふうに紹介したのは、はげ山、段々畑、浸食谷、土づくりの窰洞、といったものがそろっていたからです。そのうえに、写真の右のほうには狼煙台があり、これはおそらく明代につくられたもの。
アンズを成功させた渾源県呉城村は、もうちょっと東によりますが、同じような地形にあります。アンズ畑のすぐそばにも深い浸食谷がありますが、村の背後の浸食谷もそうとうに深い。
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大同から渾源にむかう途中の峠にあるのが三嶺村です。遠方からの観光客は、この村のそばでかならずバスを停め、ちょっとうえまで戻って、写真を撮っていました。黄土高原の典型的な風景で、かっこうのフォトスポットです。
友人の王有全が北楡林の郷長をしていたので、「あそこに駐車場をつくって、みやげもの屋を開いたらいい。国外からの観光客にとって、あそこの風景は懸空寺以上の価値があるよ」と私は話したんです . . . 本文を読む
平型関というと、中国で有名なのは日中戦争中の戦闘。林彪指揮下の部隊に、日本軍がはじめて大敗しました。1937年9月のことです。霊丘県に記念館があり、それについてはなんどか書きました。
今回は万里の長城の内城にある関所のこと。これが本来の意味での平型関です。近くの道路をなんどか通過しているのに、現場に立つのは今回がはじめて。びっくりするくらい、小さいんですね。内城の関所は、雁門関、紫荊関など . . . 本文を読む
JICAの草の根技術協力事業を、これまで3期にわたって受託してきましたが、2期目の南天門自然植物園を舞台にしたプロジェクトが、この6月で終了することになりました。で、東京の専門員の中田さん、大阪センターの中谷さんらが、終了時調査のために、大同にやってきました。JICAと関係するプロジェクトをみてもらったんですけど、農村のようすをみたいということです。そりゃ、そうですね。
急遽、大同県遇駕山村 . . . 本文を読む
村全体を見渡せるところにいきたいと思いました。そうやって撮ったのが、前回の写真です。周囲は360度、どこも山ですから、どこに登って撮っても、村の背景は山になります。平らなところは、ほとんどありません。
それでもこうやって農耕が行われています。石垣を積み、土を運んできて、畑にしてあるのです。
村の人たちの話では、私たちがくるのは、やはり早すぎたのです。もう少しすれば、山の斜面の全体で、野生 . . . 本文を読む
前回の狼煙台を目印にして、南側のわき道を下っていきます。細い道ですけど、ちゃんとコンクリート鋪装がしてあります。さらに小さなトンネル。くるま一台がやっと通れる幅と高さで、なかでは離合はできません。
その先にでてくるのが、桃源郷! 花塔村です。周囲をすべて山に囲まれた、小さな村。どのような歴史があって、ここにこのような村ができたのでしょう? あのトンネルができるまえは、外部との行き来はどうして . . . 本文を読む
霊丘県の南部を国道108号線が通っています。さすがは大陸。国道もきわめて長く、北京を出発点にし、雲南省の昆明までえんえんとつながっています。私がよく通うのは、霊丘県南部の上北泉村のまえから、南天門自然植物園とのあいだ。でも、この4月にもうちょっと足を延ばしてみました。
沙河をみたかったのです。霊丘県南部の山間、平型関の近くに水源があり、その後、独峪河と合流し、さらに繁峙県から流れてくる青羊河 . . . 本文を読む
霊丘の県城から上北泉村にいたる道路が、昨年の後半、全面的に改修されました。その期間、全面的な通行止めで、たいへんでした。石炭満載の大型トレーラーがひっきりなしに通行するため、鋪装がすぐに破れ、ガタガタ道でしたが、きれいに鋪装がやりなおされました。
唐河渓谷にあり、両側とも切り立った崖なので、片側1車線の道を拡幅することはできません。そして、迂回路がありません。
ここで毎回の . . . 本文を読む
さて、その室内です。この地方の農家は、土間とオンドルの生活なんですけど、これらの家は完全に都市化していて、ベッドと椅子の生活です。そして、靴は玄関のところでぬいで、室内ではスリッパ。
暖房は集中暖房。台所の燃料は天然ガス。面積は120平米ほどで、値段はきいたけど、忘れてしまいました。ここの農村に戸籍がある人だけその値段で買うことができるので、なかにはほかの人に名義貸しをした人もあるとか。
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ここの住宅、たいていは7階建てのようです。エレベーターがなくていいのが7階建てまでとか。私が訪れたのは5回の家庭でしたが、息を切らせることはありません。私たちの大阪の事務所が5階にあり、なるべくエレベーターをつかわないようにして、階段で鍛えていることが、こういうときに効果を発揮します。でも、高齢化すると、ちょっとつらいかもしれません。
感心したのは、屋上にずらりと太陽熱温水器がならんでいるこ . . . 本文を読む
新農村建設がはじまったのは、数年前です。そのシンボル的な存在がこういう中層の集合住宅。とくに都市近郊の農村でさかんに建設されました。
私は農家の生まれですが、自分の育った環境を考えると、農業と集合住宅を結びつけるのは、イメージのうえでも困難です。おそらく、場所としてはかつての農村にありながら、主に農業以外のしごとにつき、やがて都市化していく、そのような過渡期の存在のような気がいたします。
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あるじもでてきて、「生まれたばかりのラクダが、柵内にいるけど、みたいか?」とサービスしてくれました。もちろんみたい。最初にみた子ラクダは、3日前に生まれたばかりで、寝ていました。私がカメラをむけると、あるじは「私が追って立たせよう」といってくれます。すると、そのことばがわかったのか、子ラクダはえらく努力して、なんとか立ち上がり、乳を飲みはじめました。
そのとなり柵の母ラクダは、ほかのものにく . . . 本文を読む
あわてて逃げたんですけど、難なくセーフ。このラクダ、つないでないのに、ゆっくりとしか歩かないんですね。逃げ出すようすもない。
その理由がわかりました。ウマやウシのように、馬銜や鼻輪で縛らないかわりに、前脚2本と後足1本が縄で結んであるんですね。そのために、このラクダは、小股でしか歩けないのです。
フタコブラクダなんですけど、新疆でみたものよりは、ずっと小型。でも、こんなところでなんのため . . . 本文を読む
先週の土曜日、気晴らしをかねて、内蒙古の豊鎮と集寧まで足を延ばしてきました。8年まえにいったことがあり、その後の変化もみてみたかったのです。とにかくどこでも、道路の建築の熱狂ですね。片側4車線プラス側道、その車線が北京なんかより、ずっと広い。それがまっすぐに、どこまでも。
その帰り道、座席でうとうとしていたら、同行の誰かが、「ラクダだ!」といいました。すぐにくるまを停めて、カメラをもって飛び . . . 本文を読む