602話)遇駕山村

 前号でとりあげた遇駕山のマツ林のふもとにあるのが、遇駕山村です。義和団事件のさい、北京から西安に逃れる西太后の乗った駕籠がここを通ったのが、名称の由来だそう。くわしい事情は忘れてしまいました。

 緑の山のふもとにあるんですけど、水にはめぐまれません。なんどか井戸掘りに挑戦したんですけど、失敗つづき。2000年に私たちが実施したアンケート調査によると、1人1日の水使用量はわずか15.6リットルで、7県21の村でいちばん少なかったのです。

 日本の外務省草の根無償資金協力の助けをえて、2007年から井戸掘りに挑戦しました。そしてたいへんな苦労の末に、それを成功させることができたのです。地元の水利関係者は、「あなたたちは門外漢だからできたんだよ」と話したそう。むずかしいことがわかっている専門の機関は、この村を避けていたんですね。その通水式のもようが中国サイトにとりあげられています。(ただし中文)
http://you.kantsuu.com/200812/20081209125758_133631.shtml
 
 ことしの夏にいってみると、村のはずれ、山に近いほうに、家畜の飼育上を建設中でした。政府の支援でつくられ、ウシ、ブタ、ヒツジなどを飼育するそう。経済的な自立に役立ってくれると、うれしいんですけど。これも水があるからできたことで、なにをやるにも水がないことにはどうにもなりません。写真左のほうの白い塔が、掘った井戸のそばの水道タンクです。
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Unknown (土八路)
2010-11-15 21:38:28
说到义和团事件(过去称伟大的反帝爱国运动),我现在通过网络才知道义和团是多么愚蠢。现在中国对历史进行反思,包括太平天国运动,都是非正义的。

我2008年去三十里铺,还看到当年西太后走过的路。
 
 
 
聚楽堡には西太后が泊まった家があります (高見)
2010-11-16 18:17:49
遇駕山村からちょっと西北にいったところにあるのが聚楽堡村です。最近は巨楽と書くようですね。采涼山プロジェクトの造林を聚楽郷と協力して実施しましたので、聚楽堡村の農家に泊めてもらったことがあります。そのとき、近くに、西太后があのとき泊まっていった家があり、その記念の木でつくった対聯をみせてもらいました。
 
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