広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

美短入口のその後

2015-06-28 23:34:33 | 秋田市営バス
2013年春に秋田公立美術工芸短期大学を4年制化して、秋田公立美術大学が開学した。
それに伴って、最寄りバス停が「美術工芸短大入口」から「美術大学前」に名称変更されていた
※バス停の位置は変わらない。「前」から「入口」に変わった理由などはこちら

一般的にバス停の名称変更時には、従来の表示板の上に新名称を重ね貼りする場合や、表示板部分だけを交換(台座や脚はそのまま)することもある。
しかし、美短→美大の時は両側ともポールごと新しいものに交換され(ポールの支柱がピカピカだったので)、美短入口時代のバス停はそっくり撤去されていた。
2013年3月撮影上り側
交換前の美短入口のポールは、市営バス時代に設置されたもので、中央交通への移管時に社名部分だけを重ね貼りしたものが使われ続けていた。
2001年3月撮影上り側。支柱がきれいなので設置間もない頃?
なお、市営バス時代には秋田大橋の架け替えで取り付け道路の線形が変わった(2001年11月)のに伴い、バス停の位置が若干変動している。
上の写真は架け替え前の上り側で、現在より数十メートル南のガソリンスタンドの真向かいにあった。下り側は、逆に北側に数十メートル移動しており、かつては交差点の先(南側)にあった。
余談だけど、ガソリンスタンドは閉店・解体され、現在、ローソンが建設中。7月9日に「秋田新屋大川町店」としてオープン予定。この近辺は10年くらい前にサンクスが閉店してからコンビニ空白域だったのが解消され、美大関係者は便利になる。
ちなみに、この道路(秋田大橋を含む)は現在は県道56号線だが、2003年までは国道7号線だった。

それから、冒頭の改称直前の美短入口の写真で、下に中央交通の社名が浮き出ている理由。
ここが中央交通へ移管されたのが、2段階だったから。2001年春に新港線だけが移管、1年後の2002年春に新屋線が移管されている。
したがって、2001年度の1年間だけは、市営バスと中央交通で1本のバス停を共有していたため、下段に中央交通の社名を表示していた。2002年以降に、下段を消して(=赤を重ね貼りして隠して)、改めて上段の社名を書き換えたという経緯。
(再掲)同じ移管経緯だった2001年度の「ダイエー前(現・大町通り)」。美短入口と同じ書体だから、新屋線のポールは同じ時期に更新されていたのだろう。(ニューシティ前への変更時? に角型表示板に交換済み)


さて、ここから本題。撤去された美短入口の(ポールや表示板の)その後である。
2つのうち片方は、前にコメントで教えてもらっていた。
表示板が広告入りお城のデザインだった「城バス停」がわずかに設置されていたのが、今年春頃までに標準デザインのものに更新された。元美短入口が、その更新用の1つになっているという。

それは、秋田市中央部から離れた場所で唯一、城バス停だった、外旭川小学校前の「神田」停留所下り側。
ストリートビューより(背の低いほうは笹岡方面のマイタウンバス用だが、終点であるためか今は撤去された)
秋田市中央部の城バス停は角型2色(緑+黄)の表示板で更新されたのに、神田だけは円形3色(=元美短入口)で更新されたそうだ。
現地へ。
左が市営バスの初代接近表示付き(市営バス時代の見直しにより2代目に更新されず使用停止)だった上り側、右奥に城バス停だった下り側。

 
中通一丁目、二丁目と同じくローマ字表記が上、広告の位置もなんかきゅうくつ。もう少し上手にデザインできないもんでしょうか…

それはともかく、肉眼ではもっとはっきり分かるのですが、
 
「市営(秋田市章)バス」「美術工芸短大入口」「BIJUTSU KOGEI TANDAI IRIGUCHI」のカットシール文字がはっきりと透けていて、間違いなく元・美短入口だったものだ。
脚の少々雑な貼り方の反射材や若干下寄りの時刻表の枠は、ストリートビューの城時代と同一に見えるので、ポールごとではなく、表示板だけを交換したことになる。

(再掲)2005年下り神田
市営バス末期の2005年時点では、おそらく昔からの表示板にバス停名だけを透明シールに印字して貼り直したものだった。その後、城バス停に交換されたことになるから、城バス停は10年足らずだった。

今は神田線なのに神田を通らないバイパス経由が登場して、神田を通る便は毎時1本程度に減ってしまった。ゆくゆくはこちらを通らなくなってしまうのかもしれないけれど、もうしばらくは活躍することだろう。



そうなると気になるのが、美短入口の“片割れ”の行方。
全バス停を調査するほどのことでもないし…と思っていたら、偶然、発見してしまった!
これだ!
「楢山本町」の下に「美術工芸短大入口」が透けている。

カット文字の「神田」とは異なり、上の市営バス末期の神田と同じく、「楢山本町」の文字を透明シールにおそらくレーザープリンターで印字したものを貼った、少々お手軽版。
遠目に見れば違和感なし
こちらも脚以下はそのままで表示板だけの交換かもしれない。

この「楢山本町」バス停は、片道のみ、平日1本しか通らない。(反対側にはポールがない)
秋田駅→築地→楢山→旭南→大町→保戸野→手形→秋田駅と運行する「楢山回り大回り線」である。市営バスから移管された路線で、かつては逆方向の「手形回り」もあったが市営バス時代に廃止、楢山回りも減便された。
現在は平日の7時20分に通るだけ

かつては同じ名前で(ほぼ)向い合っていた2つのバス停(の表示板)が、名前を変えて離れ離れになって違う道を歩むとは、感慨深い。
となると、美短入口時代のどちら側に立っていたものがどちらかが気になってしまう(のは僕だけ?)が、冒頭とその次の写真にヒントがあった。
上り側の表示板は、平らではなく下部のボルトがある部分が凹んでいるというか、曲がっていた。

更新後の神田のほうは、この部分がきれいに平らなのに対し、楢山本町は、
曲がっている
したがって、美短入口上り側→楢山本町、美短入口下り側→神田下り側と転用されたようだ。


表示板の下に浮かび上がる文字のおかげで、今は亡き秋田市営バスの面影をたどることができるわけだが、中央交通さんはこれでいいのだろうか。「自費で購入したものじゃなく、秋田市から譲ってもらった物を使い回してますよ」と言っているも同然なのに。
転用する時に、以前の文字をこそげ落としてから貼り直すのって、そんなに手間かな。
5年、10年と使い続けるものなんだから、見映えへの配慮が必要じゃないだろうか。

と言っても、一方では、オリジナルのバス停も登場していた。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 杏梅/川口あんぱん | トップ | 駅弁/煮玉子 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿