広く浅く

秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

バス関係の話題

2013-04-08 22:39:45 | 秋田のいろいろ
バス関連の話をいくつか。
●南大通り経由
4月から、なぜか北都銀行前を通らない南大通り経由に変わった、牛島経由日赤病院線。
駅発城南中学校経由日赤病院行きの正面の表示
系統番号は「561」だから以前の北都銀行前経由と変わっていない。もう一方の牛島小学校経由は「560」のままだろう。
このことからも「以前の経路を“廃止”した上で、南大通り経由を“新設”した」のではなく、単純に「経路を“変更”した」ことになる(どうでもいいことだけど)。

見づらいですが、下り561系統の側面
「中通病院」と「日赤病院」と、大きな病院が2つ出てくるのが特徴的。

後部は見忘れました。
正面も側面も「有楽町」を入れてもいいのではないだろうか。特に正面はスペースに余白があるし。

上りの秋田駅行きの正面表示は下りと同じレイアウトで、「城南中学校/牛島小学校」が小さい文字で、「南大通り・秋田駅西口」が大きな文字で表示される。【5月10日追記】後部は「南大通り・秋田駅西口」。

【5月3日追記】広小路/中央通り経由の各路線では、有楽町の車内放送で「中通総合病院、中通リハビリテーション病院、中通歯科診療所へおいでの方はこちらからどうぞ」とかいう広告(3つを経営する社会医療法人明和会による)が流れている。
有楽町よりも病院に近いバス停ができた南大通り経由では、この放送はどうなっただろうか。


●循環バスデザイン募集
以前から話はあった、秋田市中心市街地循環バスの車体デザインの募集が行われている。
秋田市内に居住また通勤・通学する、個人またはグループを対象に4月いっぱい募集し、「学識経験者、市職員等で構成する審査会で」「優秀作品4点を選定し、その中から2点を採用」。
同時に、循環バスの愛称も公募(こちらは個人のみ対象)される。

車体デザインの公募といえば、2011年に同じく秋田市が行なって現在も走っている秋田市らしいデザインのラッピングバスがある。それは、側面片面だけのデザインで、色数などの制限もなかったはず。
今回は両側面・前面・後部のすべてを募集し、使える色は3色に限られている。募集要項には書かれていないが、4月4日付秋田魁新報 秋田市地域面では「文字やイラストは不可」とある。
テーマは「既存バスとはっきり区別でき、親しみの持てるもの。」。「中心市街地の景観と違和感がない」という条件や「シンプルなデザインにしてください」という注記もある。

2011年のデザイン公募では、タイヤやウインカーなどを無視した応募用紙で募集してしまったため、採用作品でもデザインの肝心な部分が隠れて(カットされて)しまったものもあった。
(再掲)配慮が足りず、せっかくのデザインが切れている
その反省を踏まえたのか、今回は「(タイヤや灯火類で)デザインの一部が切り取られる事を考慮してください」との注意書きが添えられた。応募用紙も、実写の写真の塗装部分を白く塗りつぶしたもので、これなら寸詰まりの独特の車両でもサイズ感がつかめて、応募者がデザインしやすいだろう。
また、2011年のラッピングは、中ドアの下半分にも施されたが、今回の車両の中ドアは全面がガラスのため、ラッピングしない。

応募用紙がそういうものだということは、現在使われている「834」「835」の2台の寸詰まりエルガミオに採用作品をラッピングして引き続き使うのだろう。ただし「バスの車種(大きさ)等が変更になる場合がある」との注記もある。
中心市街地循環バスは、予備を含めると、どうしても3台は車両が必要。現在はそのために小型のリエッセ「129」も入っているわけだが、これはどうなるんだろう。緑色のままだろうか。

デザインや愛称の募集が行われたのは、「循環バスが一般路線バスと区別しづらい」「だからはっきりと分かるようにして利用を増やしたい」という意図。それは分かる。
だけど、弘前の循環バスなんか、一般路線バスと同じ塗装だし(昔は子どもが描いたどこか毒々しい塗装の車もあったが…)、「土手町循環100円バス」「城東環状100円バス」というそのまんまの名称。それでも、たくさんの利用者がいる。ほんとうにニーズに応えたものなら、塗装や名前なんてどうでもいいことになる。
(同じ弘前でも、観光路線の「ためのぶ号」は名前が付いているが、利用低迷で後に減便・値上げ・冬期運休というケースもある)

【5月31日追記】デザインと愛称が決定したことが秋田市都市整備部交通政策課(以前の担当だったまちづくり整備室が4月末で廃止されたため)から発表された。
塗装はぞれぞれ大学生5名(【6月1日付魁から追記】秋田公立美大の3年生=短大2年次終了後編入したのだろう)と小学生2名(【6月1日付魁から追記】市立中通小5年生)のグループの作品で、どちらも水色系統。
愛称は小学生(【6月1日付魁から追記】市立明徳小6年生)が応募した「ぐるる」に決まった。
【6月1日追記】デザインは103点、愛称は50点の応募があった。

※続きはこちら


●社長からのエール
秋田魁新報経済面で「エール新社会人ヘ」というのが連載されている。「聞き手」として記者名が出ているので、ひとり語り形式のインタビューのようだ。
5日付に掲載されたその4回目は「渡辺靖彦氏(県商工会議所連合会会長)」。※「辺」は正しくは、中が「口」のほうの難しい字
秋田商工会議所の会頭であり、秋田中央交通の社長でもある。

内容は失敗を恐れずに挑戦しなさいということで、それはあなたに言われなくても、他の誰かが(誰もが)言っている気がするのは、いいとして。
バス会社社長としてではなく、秋田経済界を代表してのインタビューだったのだろうが、以前の朝日新聞秋田版のインタビューと同じく、いろいろと…
抜粋します。
「県経済の活路を見いだすためには、既存の県内企業が力を付けることが鍵となる。」
→そう思うなら、ぜひとも御社にも、もっと力を付けていただきたい。

「(ダーウィンの進化論を引き合いにし)成功する人は、世の中の変化に対応できる人だと思う。」
→成功するバス会社は、町や利用者の変化に対応できるバス会社だと思う。

「秋田の企業にはチャレンジ精神が不足している。」
→その最たるものの1つが、おたくの会社じゃなりでしょうか…
朝日のインタビューで「100円均一のバスを走らせ、活気を取り戻したい。」とおっしゃっていたけれど、結局自力で実現できず、秋田市にやってもらっているじゃない。

「私は大学卒業後、都内のバス会社に2年間勤めた。大過なく過ごしたが、(中略)思い切った挑戦をするべきだったと後悔している。」
→これは別にいいんじゃない。そのお陰で、高速バスを共同運行し、中古車を譲ってもらえているんだから。
むしろ、「都内のバス会社」じゃなく、自分が社長の「県内のバス会社」で「思い切った挑戦をするべき」じゃないの?

「五城目町住、73歳。」
→へー。秋田市内に住んでいるかと思っていた。
中央交通自体は1953年に創業地の南秋田郡五城目町から秋田市に移転しているが、ご本人は引っ越していないのか。
毎日通勤しているんだろうか。それとも秋田市に別宅でもあるのだろうか。

「小田急バス勤務を経て1965年に秋田中央交通入社。」
→上記、2年間の在籍と併せて考えれば、渡辺氏が小田急にいたのは、1963年~1964年頃か。
小田急では、長野電鉄の羽田孜氏と同職していたと聞いていたが、羽田氏が小田急にいたのは1958年~1968年10月だそう(10年もいたのか)。
(信じていなかったわけではないが)お2人の在職期間が重なっているから、ウソではない。
コメント (6)
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