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秋田市を中心に青森県津軽・動植物・旅行記などをご紹介します。

十和田観光電鉄線

2011-08-17 22:35:20 | 津軽のいろいろ
※この記事の内容は津軽地方のことではありませんが、便宜上「津軽のいろいろ」カテゴリーにします。
十和田市からの帰り道。※前回の記事
今回は「東北ローカル線パス」という、東北6県のJR東日本全線と私鉄・第3セクター鉄道のほぼ全社・全路線の普通列車が、2日間3000円【9月14日訂正】3日間6000円で乗り放題のきっぷを使った。
これを使って十和田市と青森・秋田方面を行き来するには、私鉄「十和田観光電鉄(とうてつ)」の鉄道路線を使うしかない。(他には以前紹介した、新幹線+バスや直通バスがある)

行きもこの経路を使おうと思ったのだが、あまりに接続が悪くて新幹線経由にしたのだった。
帰りは待ち時間も多くないし、乗ったことのない路線だし、何よりも追加料金がかからないので利用してみることにした。

十和田観光電鉄は、三沢駅と十和田市駅を結ぶ14.7キロの路線。途中駅は9つで、26~27分かけて走る。三沢-十和田市間の運賃は570円。
電化されているので、気動車(ディーゼルカー)ではなく電車が走っている。もちろん2両編成でワンマン運転。
地方において、第3セクターでなく私鉄が存在し、それがディーゼルカーでなく電車が走るのは珍しいが(秋田には存在しない)、よく似ているのが、弘前の「弘南鉄道」。
弘南鉄道の弘南線(黒石方面)、大鰐線とも、距離や所要時間もほぼ同じで、電車が走っている。


とうてつの現在のダイヤは平日と土日祝日の2本立て。1時間~2時間に1本の割合。
おおむね6時台から21時頃にかけて、平日17往復、土日12往復が運転されているが、両ダイヤで時間がまったく違い、しかも等間隔でないので、とても分かりにくい。
等間隔でないのは、三沢駅での青森・八戸方面との接続に配慮しているのかと思ったが、そういうことでもなさそう。(後日、また取り上げるつもりです)
以前はもう少し本数が多く、乗客が減ってこのようなダイヤになったと聞いているが、これではますます客離れが進んでしまいそう。三沢での接続を重視するか、でなければ弘南鉄道のように「毎時00分発」などの、パターン化したダイヤにするべきだと思う。


というわけで、日曜日の9時40分十和田市発の電車に乗ることにした。
前回紹介したとおり、とうてつ駅ビル店の2階、バスターミナルの上に駅がある。
バスターミナルから改札への階段

バスターミナル内の階段の上り口。アイコンの電車の図柄が違う
階段を上ると、トイレ・券売機・窓口などがあるわりと広めでシンプルな駅施設(かつてはダイエー2階への出入り口もあったはず)。改札口に駅員が立っていた。
このような構造のため、「駅の正面入口」とか、「駅名の看板」などは存在しないはず。

実は、駅ビル・バスターミナルと線路・ホームとの間には、道路と川がある。
この川、幅数メートルなのだが、あふれそうな雰囲気で流れていた。
道路上から撮影。橋のすぐ下に水があり、流れが速い
でも水はきれいで、大雨で増水しているのとは雰囲気が違い、ヘンな川だと思っていたのだが、これは「稲生川(稲生川用水)」と呼ばれる人工河川だった。
今から150年ほど前、南部藩士・新渡戸傳(新渡戸稲造の祖父)らによって造られ、長さ約40キロ。

改札からまっすぐに伸びた通路(屋根・ガラス張りの壁つきの橋)で道路と川を越える。
通路から。左が駅ビル(駐車場)、右奥の電車が置いてある先で線路が途切れている

通路の突き当たりで階段を下りるとホーム。ホームは1本だけで、ホームのすぐ先に電車を置いておく線路(留置線=上の写真の電車がいる所)はあるが、線路はそこで行き止まり。
「川沿いに1本だけある行き止まりホーム」といえば、弘南鉄道大鰐線の土手町の「中央弘前駅」を思い出した。(古さや配置は異なる)
ホーム。右が稲生川と駅ビル(バスターミナル)

 駅名標と車体側面の行き先表示
行き先表示にある「2009」って何だろう?

ホームと電車。後方に改札とホームを結ぶ通路が見える

さて、この電車、見覚えがありませんか?
弘前の皆さんや当ブログをよくご覧いただいている方には「弘南鉄道の電車と同じ」と思われるかもしれないし、少し前の首都圏を知る方は「昔の東急の電車だ」と思われるだろう。

説明すると、
以前紹介したように、弘南鉄道で現在主に使用されている車両は「7000系」。
7000系は1965年頃に製造された東京急行電鉄(東急)の電車を、1988年頃に譲り受けたもの。

一方、十和田観光電鉄の電車も、東急の中古車なのだが、7000系ではなく「7700系」という形式。2002年に譲渡された。

それにしてもそっくり過ぎるが、実は7000系を改造したものが7700系。
1987年から1991年にかけて改造工事を受けた7000系が“改名”されて、7700系となった。
改造の主な内容は、モーターを制御する方式を最新の「インバーター方式」に変更し、冷房装置を設置したこと。車体(ボディ)自体ほとんど改造されず、7000系をほぼそのまま受け継いだので、そっくりな外観になった。

つまり、元は同じ型の車両だったのを、そのまま改造されていない状態で早い時期に譲り受けたのが弘南鉄道、改造して東急でしばらく使ってから譲り受けたのがとうてつということになる。


弘南鉄道7000系では、車内保温のため、乗客がボタンでドアを開閉できる半自動スイッチを後から設置したが、とうてつ7700系にはなく、駅に停車中は開いたまま。(途中駅は前のドアしか開かないので、不要と判断しているのだろう)
7700系車内
運賃箱、整理券発行機などのワンマン運転の設備が追加されている。
ドアの部分に緑色の玄関マットみたいなのが敷かれているのがおもしろい。
車内が濡れて転倒するのを防ぐためだろうが、JRの701系電車では見栄えがスマートなシート状のものを貼っている。弘南鉄道ではどうしてたっけ?

車内は、(パイプでなく)網状の網棚(荷棚)や扇風機(冷房の補助として7000系のものを残しているらしい)は古さを感じる。
でも、座席の生地は、弘南鉄道7000系みたいなエンジ色からオレンジ系に替わっており、途中にひじ掛けがあるなど、少し今風。

この日は、節電とそれほど気温が高くなかったため、冷房・扇風機とも停止し、開いた一部の窓からの風だけで、充分快適だった。(今頃、冷房のない弘南鉄道は暑いだろうな…)
車内の蛍光灯は約半分が点灯。

この電車の正面には、ピンク色の「織姫」というマークが付いていて、車内には七夕飾りがあった。
これは、7月1日から7日まで運行された「七夕電車」。もう1編成「彦星」号もあるのだが、十和田市駅の留置線にいた7700系がそれ(青いマークが付いていた)。
吹き流しや笹飾り・短冊が

さて、以前も紹介したように弘南鉄道7000系では、つり手(つり革)が東急当時のままで使われており、弘前なのに「東急食堂」「東横のれん街」といった広告(しかも古い)が揺れているのが特徴的だった。(現在は、リンゴをデザインしたものに交換された車両があるらしい)

とうてつ7700系では、
薄れて分かりにくいけど「TOKYU」、東急百貨店
7700系に改造される時にでも交換されたのか、弘南鉄道とは、つり革自体が違う(紐が短い?)が、広告のデザインも違って少し新しそう。弘南鉄道のは漢字で「東急百貨店」だった。さすが10年前はまだ東京を走っていた電車だ。
もう1種類は弘南鉄道では見なかったもの。
「心を満たす時がある 複合文化施設 Bunkamura」
Bunkamuraは、渋谷にある東急系列の複合文化施設。1989年オープンだから、7000系が弘南鉄道に譲渡された時点ではまだできていなかったようだ。
【20日追記】弘南鉄道7000系のうち、弘南線(黒石方面)用の車両には、Bunkamuraの広告のある車両があるらしい。1990年に譲渡された車両のようなので、広告設置後すぐに弘前へ来たのだろう。


電車の乗客は10人前後。9時40分発のこの電車の1本前は、8時05分だから、1時間半空白があったのに、この程度の乗車というのは寂しい。
発車する時に聞こえる機器の音は、インバーター制御独特の音で、都会的&現代的。(メーカーや設計が異なるので、JRの電車ともまた微妙に異なる)
線路は大部分の区間で稲生川と青森県道10号線に並走する。車窓風景としては田んぼが多い気がしたけれど、秋田や津軽のとはどことなく違う。牧場もあって、馬がいた。

途中駅はすべて無人駅。十和田市寄りでは、北里大学や高校の名を冠した駅が3つある。弘南鉄道でもそうだが、通学需要が重要なことを示している。
地名にちなんだ駅は、「高清水」と書いて「たかしず」、「古里(ふるさと)」、「七百(しちひゃく)」など、由来が知りたくなるような駅も。
【2013年1月22日補足】高清水には、秋田などにも流通している醤油メーカー「ワダカン」の本社がある。
三沢の1つ手前は
「大曲(おおまがり)」
大曲という名の駅は、日本中で秋田県大仙市とここ(六戸町)の2つだけ。(以前は北海道の仮乗降場にも存在したらしい)

高校生や親子連れが途中駅で降りた(計5人くらいか)ほかは、全員三沢まで乗車。途中から乗ってきた人も5人くらいだったろうか?
最後は「古牧温泉」の敷地をかすめて、三沢駅に到着。
三沢駅ホームも行き止まり式
それほど変化に富む車窓というわけでもないが、のんびりと楽しめた路線だった。


降りた三沢駅舎(十和田観光電鉄部分)はとても味のあるものだった。三沢で乗り換えた先のことなどと合わせて、また後日

※その後、この鉄道が存続の危機にあることが分かった。こちらの記事にて。

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2 コメント

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Unknown (Unknown)
2011-09-13 18:46:45
十和田市民です。
大変興味深く読み応えのある内容でした。
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ありがとうございます (taic02)
2011-09-13 20:21:31
青森に4年も住んでいて、話は聞いていたのに、初めての十和田市や十鉄でした。
廃止かどうかの話が出る直前だったわけですが、今にして思えば、経営の厳しさが垣間見られた気もします。

多くの住民のみなさんが納得でき、地域や観光の足が確保される結果となることを願っています。
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