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鯲沼・田五郎・イサノ

2010-11-10 23:58:12 | 秋田の地理
この記事のタイトル、「鯲沼・田五郎・イサノ」。秋田市の地理を知らない方には、ちんぷんかんぷんだと思う。

これらはいずれも秋田市の地名であり、現在は、八橋(やばせ)地区に「八橋鯲沼町(どじょうぬまちょう)」、「八橋田五郎(たごろう)一丁目・二丁目」、「八橋イサノ一丁目・二丁目」、そして隣の寺内地区の小字「寺内字イサノ」として存在する。
1982年の住居表示実施までは、泉字鯲沼、八橋字田五郎、八橋字イサノも存在し、それらと今も残る寺内字イサノの一部を再編して、現在の「八橋◯◯」になったようだ。

この3つの地名。とてもインパクトがあると思う。
泥臭そうだったり、ジイさんバアさんの名前みたいで、ダサいと感じる人もいるかもしれないが、「北*丁目」みたいな単純な記号のような地名などより、ずっといい。
その土地にかつて住んでいた先人の暮らしぶりや風土が垣間見えるのが、“真の地名”だと思う。
そういう意味では、この3つの地名は素晴らしい。音を聞くだけでも意味深な地名だ。でも、どんな意味?


まずは鯲沼。
最初にお断りしておくが、いくつかの資料をあたった限りでは、由来が分からなかった。ドジョウがよく捕れる沼でもあったんでしょうか?
新国道(という名の県道)沿いなので、交差点(地点)名になっている
一般的には「鰌」の文字でドジョウを表すことが多いから、「鯲」を「どじょう」と読める人がどれだけいるだろうか。
なお、秋田市民には、簡易的に「どじょう沼」と書く人もいる。

ネットで「鯲」を検索すると、ほとんど地名としてしか使われていない漢字のようだ。
地図サイトで検索すると、秋田県横手市大森町と大仙市神宮寺に同じ「鯲沼」があるし、秋田県にかほ市に「鯲面」、宮城県栗原市に「鯲淵」、愛知県一宮市に「鯲池」、愛知県愛西市に「鯲田」があった。
なぜか、秋田県内に圧倒的に多く、ほかは東北地方と愛知県だけに存在するのがおもしろい。もしかして魚類のドジョウじゃない、別の何かを示すのだろうか?


八橋鯲沼町から西へ進むと、間に「八橋大沼町」や「八橋三和町」を挟んで、田五郎やイサノ。イサノ一・二丁目と田五郎二丁目は草生津川に面している。
 
バス停「八橋田五郎」があるが、泉山王環状線しか通らないので、本数は少ない。
「イサノ二丁目」というバス停もあるけど、1日1本(堂の沢県庁線)しか通らないようだ。
【2016年11月1日追記】2016年10月のダイヤ改正で、泉山王環状線と堂の沢県庁線が廃止され、「泉八橋環状線」に再編された。これにより、「鯲沼」バス停は廃止、田五郎とイサノのバス停には移動と新設があった。いずれ別記事にて。

イサノと田五郎の由来も、「角川日本地名大辞典」には出ていなかった。
しかし、秋田地名研究会という所が「秋田市の歴史地名(一)~(三)」という小さな書籍を発行していて、それが参考になった。
ただ、1992年発行の「(三)」で「(両地名の由来には)まだ定説はないようだが」と前置きがあったり、田五郎の由来に関して「(三)」と1990年の「(一)」では異なった見解が述べられて(後述)いたりするので、あくまでも説の1つと考えた方がいいのかもしれない。

まず、「(一)」では田五郎は「人名説と地形説とが考えられる」として、「田五郎さんが開拓した説」と「石ころがゴロゴロしていたから、タゴロウになった説」が出ているが、なんか説得力がない印象を受けた。
一方、「(三)」では別の説が出ていて、こっちの方が説得力がある。

田五郎もイサノも川(草生津川)と関連がある地名だというのだ。
「(田五郎の)ゴロウの音をコロの長音化とみると、コロブ(転ぶ)の語幹からの転化とも解され、川の曲流点となろう。
イサノの場合は、読み方を「イソノ」と読み替えると、その意味は「川淵の侵食地形」の意となり、寺内台地に接しながら蛇行する草生津川の流路跡地名の可能性がある。
とあった。
田五郎は川が曲がっている場所、イサノは川沿いだった場所ということだろうか。

今の淀んだ草生津川の姿と、住宅が並ぶ周辺からは想像しにくいし、具体的にどこを指して田五郎・イサノというのか現地名とずれている可能性もあるが、たしかにショッピングモール「パブリ」地点(対岸は田五郎)で川は曲がっているし、なるほどと思える。
地名っておもしろい。

【2012年12月8日追記】2012年12月8日付秋田魁新報の「土曜文化」欄の連載エッセイ(?)「遠い風近い風」において、秋田市の探検家・作家 高橋大輔氏(正しくは「はしご高」)による、「謎の八橋田五郎」という文が載っていた。田五郎と隣のイサノの由来の考察から、昔人の郷土愛や地名から広がるイメージの豊かさが述べられている。
上記、当記事と同じと思われる「秋田市の歴史地名」を資料としていて、僕はあまり信用しなかった「石ころがゴロゴロしていたから、タゴロウ」説を推している。
例として、歌手の芸名の由来でもある、北アルプスの「野口五郎岳」を挙げている。これは「野口集落の近くにある石ころがゴロゴロ転がっている土地」が由来だそうで、八橋田五郎もそれと同じではないかとしている。(以上追記)


さて、9月に紹介した、「ローソン八橋田五郎店」脇から「八橋大通り」の「八橋橋」たもとに至る、八橋田五郎二丁目地内の市道「外旭川新川線」の建設工事。
看板にあった工期の10月20日を過ぎても、開通の気配がない。
 ※以下のほとんどの写真は10月中旬に撮影したものですが、現在もあまり状況は変わっていないようです。
工区北端
柵の手前が狭い既存の道路。左がローソンで、右には小児科医院があり、その間が新しい道路。道としての体はなしている程度には工事が進んでいた。

上の写真撮影場所から振り返って北側。こちらは八橋イサノ一丁目
今回の工区よりさらに北側で別に工事が始まったようだ。用地は確保され、工事事務所などはあったが、この時点では本格的には着工していなかった。

八橋田五郎二丁目側に戻る。
この時は工事関係者はおらず、柵があるにはあったが、「立入禁止」などの表示がない。住宅地の裏道側には柵すらなかったし、歩いてもいいものだと判断して、歩いてみた。
南方向。前方右の緑が、草生津川堤防のコスモスロードの桜並木
住宅やアパートの間を縫って道が延びるが、草生津川の堤防に沿って道がカーブしていて、やがて堤防と並ぶ。
道路とコスモスロードが最も接近している地点
堤防の桜並木と新しい道路が接する地点もあった。工事に伴い、並木のソメイヨシノが2本程度伐られてしまったらしく、苗木が2本植えられていた。
南端近くから北側を見る。緩く「S字」にカーブしている
八橋大通りと交差する工区南端には、道案内の標識が既に設置されていた。
地名ばっかり。「県庁・市役所」とかはないのね
新しい道はアスファルト舗装されているが、既存道路との接続部分には段差ができていた。この上に、さらに舗装を行わなければならないようだ。
南端。左が八橋橋、右方向が八橋大通り、後方が面影橋
この交差点は丁字路から十字路になるわけだが、信号機は未設置。

工事の看板があった。以前と同じかと思ったらそうでなかった。
 以前のものと現在のもの
「新しく道路を作っています」と「新しい道路を作っています。」と微妙に言い回しが違うけど、工事内容も違った。
10月20日までだったのは「道路新設工事」で、その後12月17日まで「舗装工事」が行われているのだった。

ということで、少なくとも12月までは開通しないようだ。
以前も書いたように、北側の狭い道に車がたくさん流入したら危なさそうだし、冬場に開通することになるとすれば、さらに危ない。どうなるんだろう。

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12 コメント

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地名といえば (りお)
2010-11-11 14:13:26
「マンタラメ」はインパクト強いですよね。こちらはアイヌの言葉が元になっているようですが。
鯲沼といえば、我が家がお世話になっているCNAがあるところという印象が強いです。H18の豪雪のときにアンテナが折れてしまい、CATVに変えざるをえませんでした…。
パブリは競馬場の跡地に建っているのでしたっけ??地図で見ると競馬場の形がそのまま道路の形で残っていて、面白いですね。
八橋で一番好きな地名は「面影橋」です(地名じゃない?!)。素敵だなぁと思います。
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地名 (あんなか)
2010-11-11 21:52:41
イサノの地名の由来はずーっと今一つ分からなかったですが
おかげで分かりました。
私が小さい子供の頃の八橋は田んぼ一面に採油櫓が建つばかりでした。
八橋の開発が進んだのは八橋の一里塚にAKT局舎が出来た頃かと。
AKTの局舎はちょっと大きい民家と言った感じで幼心にも「此処が本当にテレビ局なんだろうか」と思いました。

新国道は自動車修理工場がポツポツ。
凄く見晴らしがよい道で此処まで住宅密集地になるとは思いませんでした。
私より一回り古い世代は新国道の東側に寄り添うように軌道が走っていたと言います。

ところで上州、特に浅間山麓辺りで秋田市からきたと言えば意外な地名を知っていてびっくりしました。
その地名は広面昼寝。
実はここが出身の芥川受賞作家南木佳士氏の作品に「医学生」がありここの舞台が秋田市の秋田大学医学部。
主人公の住むアパートが広面昼寝の「昼寝アパート」と設定されているからでその関係らしいです。
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由来いろいろ (taic02)
2010-11-11 22:07:45
マンタラメはアイヌ語で「源流」だとか。
古語とか音が変化したりとか、現在の日本語からは思いもつかない由来が地名になってるのが、不思議でおもしろいものです。
新国道付近の八橋地区は、住宅地と自動車関連企業ばかりある印象ですが、CNAもありましたね。我が家は最初期からのユーザーです。昔はネットが従量制だったな…

パブリが競馬場だったとは知らなかった! 戦後から昭和30年代までだったらしいですね。
単に帝国石油(帝石)の土地という印象しかなかったです。
面影橋、草生津川などなど、八橋・寺内周辺って、結構変わった地名や歴史的なものが多いですね。それだけ、古くから人が暮らしていた場所なんでしょう。
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あんなかさん (taic02)
2010-11-11 22:17:55
あくまでも1つの考察に過ぎないのかもしれませんが、なるほどと思える説ですよね。
今でも、石油採掘のポンピングユニットは所々残ってますが、昔はやぐらだったんですよね。
田んぼの中を、まっすぐに新国道と市電の線路が伸びていたと聞いていますが、今では信じられません。新国道に飛行機が不時着したという話もあったとか?!

「医学生」は秋大医学部の一期生の話でしたか。それこそ田んぼの中にぽつんと建物があったそうですが、そこも今は当時の面影はないですね。
字は違いますが、寺内にも「蛭根」という地名がありますね。「ヒルネ」も不思議な地名です。共通する由来があるのでしょう。
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古い地名 (mugi-shochu)
2010-11-12 19:02:01
以前も書きましたが、住居表示で"北○丁目"などとせず古い地名を大事にすることは大賛成です。歴史を感じますよね。
田五郎もイサノも、川に関係したものだとすれば面白いですね。田五郎は絶対人名だと思ってました。
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いまだに (taic02)
2010-11-12 20:48:24
泉金の町とか上の町とか言った方が分かりやすいし、通じやすい気がします。
逆にやるんだったら札幌みたいに「南三十六条西十丁目」とか徹底してやってほしい(笑)
秋田平野では、長い時を経て川が流れを変え、それによって豊かな土を育んできたはずであり、それが地名に現れたのでしょう。
田五郎人名説も否定はできないかもしれませんよ?!
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コメント (yoshi)
2011-10-02 16:23:20
「元イサノ団地住人」としては、イサノの由来、とてもためになりました^^

「寺内蛭根」の由来ですが、八橋小学校の課外授業で、「征夷大将軍・坂上田村麻呂が仮眠(昼寝)をした所であるのが由来」と習った記憶があります。

確かに近くには坂上田村麻呂を祀った「田村麻呂神社」がありますし、寺内の北には「将軍野
」「幕洗川」など、田村麻呂に由来する地名も多くあります。
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あくまでも (taic02)
2011-10-02 17:13:13
あくまでも説の1つなのでしょうし、本の受け売りですが、草生津川が絡んでいると言われれば、なるほどと思わされます。

蛭根にはそういういわれがあったのですか。知らなかった。
八橋から寺内というか高清水近辺は、かなり古くから人が暮らしていたようですから、歴史やエピソードをさかのぼれば、おもしろそうです。

日本の地名は、水や農業に関連したものが多いですが、それに加えて、秋田あたりは、アイヌ語や坂上田村麻呂も関係することが多いようですね。
まさに将軍野なんかずばりです。
伝説では、田村麻呂が茨島の三皇熊野神社から放った矢が刺さった所が将軍野でしたっけ? 5キロ以上ありますが。
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たしか・・・ (yoshi)
2011-10-04 19:22:48
矢が刺さった所が「八橋(矢橋)」なはずです。

これも課外授業で「田村麻呂の放った矢が馳せて飛んで来たから矢馳せ(=矢橋=八橋)」と習いました。

江戸時代までは「矢橋」と表記されていましたが、八橋となったのは、「草生津川に橋が八つかかったから」だそうです。
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ありがとうございます (taic02)
2011-10-04 22:51:57
ああ! そうでした。
そんな話を聞いたことがあります。混同してしまっていました。失礼しました。
将軍野は、田村麻呂が陣を敷いた場所だそうです。

八橋が「八」になったのもやはり草生津川が関連してくるのですね。
小さい川ですが、歴史的文化的には、それ以上の大役を果たしているようです。
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