趣味の園芸

庭で育てている季節の草花や庭木、蘭など

さくらそう その8  遅咲きの10品種

2006-04-27 | さくらそう

4月8日以来開花したさくらそうをこのブログに掲載してきたが、
今日は8回目。下記の10品種で累計110点となる。
101鶯宿梅、   102寿、  103京の雛桜  104獅子奮迅、  105白妙、
106濡れ燕、   107倍 王、 108フェニックス   109松の位、  110三保の古事。
 
  
 
 鶯宿梅(おうしゅくばい。濃い紫色、爪白の梅弁で梅花咲き。
 「紫光梅」からの実生。
 昭和44年中村 長次郎氏の作出)
      
      
       寿(ことぶき。深い鑼弁、受け咲き。花弁の裏表とも濃い紅色。)
       増えやすいが、花つきが悪く、咲かないこともある。
       咲いても写真のように、色が抜けることがあり、不安定。  
       昭和初期の作 
    
            
            京の雛桜(徳永雅明氏の作)

           
獅子奮迅(ししふんじん。星形掴み咲き、花弁の裏は濃い紅色、
表は染め出し、すべての弁がよじれているため裏の紅色が強調される。
波打つ獅子咲きという特異な花。
解説書などでは、豪快な花で江戸末期から愛好家が多いそうだが、
我が家では12年前、さくらそうをやり始めた最初から入手して
栽培してきたが、ほとんど毎年消えてしまい、依怙地になって毎年芽を
買い求め挑戦するも、相性が悪いのか同じことを繰り替えしてきた。
やっと今年はまづまづの花が咲いてくれて、満足している。

       
      白妙(しろたえ。浅い鑼弁。掴み咲き、垂れ咲き。
      花弁は表裏とも純白。大正時代の作か)
                 
                  
                  濡れ燕(桜弁、平咲き。花弁の裏側は
                  淡い桃色、表は底紅で目がある。
                  花形、花色とも野生種に近く、
                  花茎が長く伸びる。江戸末期の作。)
  
   
     
  倍王(ばいおう。広い桜弁、抱え咲き。花弁の裏は紅ぼかし、
  表は底白で刷毛目。昭和14年ごろにはあったらしい。)
        
          
         フェニックス(出所不明)
              
                    
               松の位(まつのくらい。広い桜弁、抱え咲き。)花弁の裏は淡い紫色、表は染め出し。
               明治中期の作か)                                                                    
                     
                    三保の古事(みほのこじ。鑼弁、抱え咲き。
                    花弁の裏は濃紅色、表は内白、
                    花の表側がよく見え、繊細な鑼と
                    紅白の色の対照が美しく、古くから
                    名花と伝えられる。江戸末期の作)

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3 コメント

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鶯宿梅を見て (みいちゃん)
2006-05-07 14:27:53
今日は、一日雨ですネ。

今日みたいな日は、お家でゆっくりですか?

小生は、午前中、寺ガ池から赤峰辺りを1時間ほど走りました。途中、雨が降ったり、止んだりでした。ランには全く支障ありませんでした。さて、鶯宿梅は、何かいわれがあるのでしょうか。といいますのも、「葛城古道」の高天彦神社の入り口に「鶯宿梅」という有名な、梅があるんです。立て看板もあり

画像も撮っています。またの機会にお見せします。



返信する
鶯宿梅のこと (たが)
2006-05-07 17:35:39
今日は私にとってからだの休まる一日でした。雨のため、一切庭作業をせず、終日

パソコンにべったり向かったままでした。

たまたま気分転換にメールを開いたところ、貴兄から私のブログへコメントありの情報を

見たので、そのコメントに接しました。

雨でもランニングですね。頭がさがります。



さて、鶯宿梅のことですが、昭和44年梅の品種名を中村長次郎氏がさくらそうの新品種に命名されたものです。氏はわが浪華さくらそう会の長老ですが、平成14年に亡くなられるまで、たくさんの名花を作出されました。



1)梅に鶯とは、よい取り合わせのたとえに用いられます。

2)村上天皇の時、清涼殿の梅が枯れたので、内侍の家の梅を移し植えさせたところ、「勅なればいともかしこし鶯の宿はと問わばいかが答へむ」の歌が枝に結び付けてあり、

これを読んだ天皇は深く恥じたという故事が

あり、この故事からの引用・命名と思われます。
返信する
ありがとうございました。 (みいちゃん)
2006-05-07 18:20:58
早速、お答えをいただきありがとうございました。

そのような、故事があるんですネ。

いい勉強になりました。

高天彦神社前の「鶯宿梅」のいわれ。(御所市観光協会発行:葛城の道から)

「昔、高天寺の小僧が若死したので、その師は嘆いていました。すると梅の木に鶯が来て、「初春のあした毎には来たれども、あはでぞかえるもとのすみかに」と鳴き、それからは、この梅を鶯宿梅というようになりました」
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