趣味の園芸

庭で育てている季節の草花や庭木、蘭など

読 書 1

2014-12-22 | その他
 

  「古事記は神話ではない」  桜井光堂著  秋田書店

   著者によると「古事記」は単なる神話ではない。
   神勅は邪馬台国以前、 日本に3大国家が存在したことをものがたる。 3大国家とは
   九州の豊王国、 中国の葦原王国、そして大和の大ヤマト王国である。この3大国家は
   のちに豊王国と葦原王国が連合し、豊国王の神武天皇が両国の軍勢を率いて東征し、
   大ヤマト中央王国を滅亡にみちびく 。 このようにして新大和朝廷が成立するのである。
   これらの事実をしるしたものが「古事記」である。神勅とは天照大御神の勅命のこと。
 

   本書は国文学者であり国際法学者でもある著者が「古事記」の成立事情、「日本書紀」
   との綿密な比較、 そして大胆、 精緻な論証をあげて、 日本古代国家の謎を解明する。

   本書の初版が発行された昭和45年(1970年)に通読し、ユニークな論旨・論点に興味を
   もったものの、本棚の隅で埃を被っていたが、昨日再度読み直しはじめたところである。



  
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読書三昧 4

2014-12-20 | その他

 

    現代語訳 「古事記」  福永武彦訳 河出書房  
 


   古事記は、上・中・下の3巻からなり、出来上がったのは8世紀の初め、712年(和銅 5年)
   のことであり、現存する我が国最古の書物といわれている。
   上巻は天地開闢から天孫降臨にいたる神々の物語、中巻は初代神武天皇から第15代
   応神天皇までの出来事、下巻は第16代仁徳天皇から第33代推古天皇までの出来事が
   収められている。
   上巻の序文によれば、古事記の企画立案者は第40代天武天皇で、天皇はこんなことを
   いっている。
  「いろいろな家に帝紀や旧辞など歴史的な伝承があるが、どうも誤りや乱れがあるようだ。
   今ここで諸家の所伝を正しておかないと、のちのち困ることになる。本当の記録を作って
   後世に伝えようと思う。」
   そこで天皇は計画を実現すべく、 稗田阿礼という語部(かたりべ)の舎人を召し出した。
   稗田阿礼は抜群に記憶力のいい人であった。その阿礼にイザナギノ神・イザナミノ神の
   誕生からアマテラス大御神の誕生を経て7世紀後半に至るまでの天皇家の系譜やそれ
   に纏わる神話・伝説を習い覚えるよう命じた。 古事記成立のおよそ40年前のことである。

   その仕事は天武天皇が亡くなったために中断されたが、第43代元明天皇がその中断を
   惜しんで、民部省の長官である太安万侶に阿礼の暗唱を書き記すよう命じた。
   この時代、平仮名や片仮名がなかったので安万呂は阿礼の暗証を漢字だけで筆録した。
   こうして出来上がったのが、「古事記」である。
   とはいえ、史実としてすべてを受け入れるのにはムリがある。なぜなら古事記というのは
   大和政権の基盤が固まって、神々と天皇家の系譜を明らかにする目的で作られたもので、
   都合の悪い出来事は捨てられ、また意図的に作られた出来事があると考えられるからだ。

   古事記に対する興味は、そこに日本古代のさまざまの人物群像を見出すことから始まる。
   神代の巻のスサノオノ命やオホクニヌシノ命、 人皇の代になってからのヤマトタケルノ命
   や雄略天皇などの形像は、ことに鮮やかに描きだされている。 また山幸・海幸の物語や
   サホヒメ・サホヒコの物語、 またカルノミコとカルノオホイラツメの兄妹相愛の悲話のほか、
   叙事詩的な挿話も多数織り込まれている。 さらに挿入された歌謡についても興味深い。

   漢字だけの原文を訓読した「書き下ろし文」が岩波文庫で出版されているが、とても難解で、
   読み進まなかったが、この現代語訳は読みやすく、古事記に親しみを持てるようになった。
                                                        以 上
   



 

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読書三昧 3

2014-12-16 | その他
 

 
 古事記及び日本書記の研究 津田左右吉著  

   昭和15年(1940年)津田博士によるこの著作が皇室の尊厳を冒涜するという罪名で起訴された。
  これは戦争末期の混乱によるもので、博士の研究はそもそも出版法などに触れるものではなく、
  その研究方法は古典の本文批判であり、文献を分析批判し、合理的解釈を与えるという立場で
  ある。 「古事記」 「日本書紀」は歴史的事実としては曖昧であり、物語、神話に過ぎないという
  主張であった。 その結果、天皇の神聖性も否定せざるを得ないし 仲哀天皇以前の記述なども
  不確かであるという結論がなされたのである。 右翼や検察側は片言隻句をとらえて攻撃したが、
  全体を読めば、国を思い、皇室を敬愛する情に満ちているといってよい。。
  本文でクマソ征伐の物語、東国及びエミシに関する物語、神武天皇東遷の物語など章を設けて
  原典の記述を考証されているため、読み応えがある。  



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読書三昧 2

2014-12-15 | その他
 

      1) 読んだ本の内容に入るまえに、 読書傾向について触れておきたい。
       趣味に属する「園芸」や語学に関する学習書は 読書対象から外す。
       富貴蘭とさくらそうの蔵書だけでも30冊あり、繰り返し読んではいる。
       英語、スペイン語、ロシア語、中国語、エスペラント語を若い頃から
       勉強してきたが、 英語とスペイン語以外は全くサマになっていない。
       辞書と入門書以外は押入れのなかで眠っていて、 日の目をみない。
      2)小説は、人の勧めや新聞などの書評をみて、気が進めば読む程度。
      3)好んで読む本は古代史についての本。 とりわけ古事記に関する本。
      4)日本語に関する考察や言葉と文字の研究書や論文はなんでも読む。


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読書三昧 1

2014-12-09 | その他


 

 蘭舎の周囲にシルバーシートを張り、 木枯らしと西風の季節に備えた。
 来春そのシートを撤去するまで、蘭舎内の富貴蘭200鉢は冬眠させる。
 5日がかりで庭の落葉を集め 草引きと棚下の鉢への水やりをすませた。
 年内庭仕事はもうしない。これから終日部屋にこもって読書三昧に入る。




 
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一昨年の日誌から

2014-12-03 | 庭木




  <平成24年12月8日の記事を抜粋>

   75坪余りの家の狭い庭の西と南にサクラとハクモクレンの巨木が立つ。
   サクラ(=桜)はソメイヨシノで、昭和48年10月1日にこの家を建てたとき
   友人が記念樹にくれた木で 樹高 1.5メートル、太さは親指大ほどだった。
   それがいまでは 私の胴回りよりも太く、枝は四方八方に張りだすため、
   西の境界のブロック塀を超える枝は日曜大工の鋸で毎年剪定している。
   最近ある園芸の本に「住宅の庭にサクラを植えるのは大馬鹿者」という     
   記事があり、それを読んでナルホドなと合点し 、腑に落ちた感じがした。
   「サクラを庭木として一応見られる木にしたいと思うなら、やはりお屋敷と
   いわれる300坪はある庭でなければもてあましてしまう。 花見というのは
   山や公園に出かけていってやるもので 家の庭でやるものとは違うのだ。 
   一本や二本庭に植えて眺める木ではない。」 そういう記事だった。
   花は7日で終わり、あとは花びらの掃除、秋は落葉集めと休む間もない。
   病虫害も多い。 とくにシロアリがサクラの太い枝の切り口から侵入する。
   家の近くに植えると、 シロアリが繁殖して、ついには家を朽ちさせること
   にもなる。 「サクラ切る馬鹿・・・・」の言い伝えはここからきているそうだ。
   全くいやになる。 

          庭の南側のハクモクレン(=白木蓮)はサクラに劣らぬ巨木だ。
          この木は 昭和54年3月4日富田林農協の植木市で買ったもの。
          記憶では樹高 約 2㍍、株元の太さは 2.5㌢くらいだったと思う。
          この夏、枝葉が伸びると葉の先まで6㍍をはるかに超えそうだ。
         放置すると、樹高/葉先が10~15㍍にもなるそうで

         このことを知るまでは、剪定もしなかったため大きくなり過ぎた。
         花後すぐ翌年の花芽が着くと聞いたため、ここ数年花が開いて
         4~5日目には花ごと剪定している。開花して10日は持つものの
         花が散り落ちるまで木に止めておくと 何となく見苦しいからだ。
         しかしこの木は一日中陽の当たる庭の真南にあって葉が茂り
         木陰をつくってくれるため、夏はたいへん貴重な存在ではある。

         冬に向かうこの時期に 蕾のない徒長枝を選って剪定している。
         今年は2㍍前後まで徒長した枝を30本、 50㌢~1㍍余りの枝を
         約80本剪定したので、庭が明るくなった感じだ。
 


       
  

         
             2010年4月2日の記事。サクラ満開。西となりの駐車場から撮影。
         
             2012年4月9日朝、表通りの向かいの歩道から撮影。

            
                  2011年4月3日の記事から。強剪定後の<ハクモクレン> 
         
           2008年3月22日快晴の午後撮影。
           約460輪の<ハクモクレン>はもうすぐ満開。

                
                    剪定前のハクモクレン樹高約6メートル。2006年10月14日撮影。

    

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