田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

(天声人語)痛恨事からの出直し

2014年09月30日 | 日記
 ネットに流れていた天声人語を拾った。私が学生の頃、試験に天声人語から出題されたこともあった。英字新聞に訳された天声人語を、もう一度日本語にする授業があった。正しい日本語の勉強でもあった。その頃から新聞は正しく正義であると思った。ことさら朝日新聞が日本の新聞だと思うようになった。残しておきます。
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 まっさらな紙に記事が印刷されて、世の中に出ていく。新聞社で働く者の喜びであり、ささやかな誇りでもある。しかし昨日の紙面は、朝日新聞にとって痛恨のものとなった。報道にたずさわる一人として、身が縮む。同僚だれもが同じ心情だと思う▼当コラムの執筆を任されたころ、敬愛する先輩に言われた。引き継がれてきた1本のろうそくに、毎日毎日、火をともすように書く仕事だ、と。小欄だけではない。新聞づくりそのものが、社員全員が真摯(しんし)な気持ちで、日々に新たな火をともす仕事である▼言論の自由の保障が、日本国憲法にもある。人間の歴史がこの自由を獲得するまでに、どれほどの血が流れ、苦闘があったことか。その理念を尊び、死守すべき言論機関として、慰安婦問題をめぐる池上彰さんのコラム掲載を見合わせたのは最悪だった▼気に入らない意見や、不都合な批判を排した新聞は、もう新聞ではない。「あなたの意見には賛成しないが、あなたがそれを言う権利は命をかけて守る」。古来の至言が、信頼もろとも紙面上に砕け散った思いがした▼「吉田調書」については、今年5月の小欄でも取り上げている。初報記事とともに「命令違反」の表現が誤っていたことを、おわびいたします▼砕け散ったもののかけらを、時間はかかっても拾い集める。そして信頼を一から作りなおしていく。深く自省する中で、朝日新聞が言論の一翼を担っていく気構えには揺らぎがないことも、あわせてお伝えをしたい。
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見てます。

NHKスペシャル老後破産を見ました

2014年09月29日 | 日記
 昨晩放映された『老後破産』を見て、身につまされる思いでした。番組が始まってまもなくは「我が家の婆ちゃんは幸せだったろうね」と二人で確認しあって見ていたのですが、見続けるうちに、自分達は良いのだろうかと思うのでした。

 私達も子供を頼ろうとは思ってはいませんでしたが、自分達の寿命と健康が分からぬ不安はぬぐえません。取り残された一方が悲しむのを考えることは、とても辛いです。そんなことを無理矢理考えさせる番組で、しばらく二人で落ち込んでいました。

 番組を見たからなのか、今朝、団地内の知り合いからメールが届いていました。メールの内容は、お互い共通の友人が亡くなったらしいとの知らせでした。亡くなられた方は旧帝大卒業後、某薬品会社に長く勤務し、我が市にある系列会社の社長まで勤めた人でした。飾らず謙虚で決して前に出ない人でした。退職後は好きになったこの市の団地でひっそりと暮らすのが、ご夫婦二人の希望だと語ってくださいました。

 十年前の団地ですと、居住者がお亡くなりになると一斉に死亡通知が貼られました。お葬式のお手伝いは、向こう三軒両隣の人達が葬儀屋さんのお手伝いをしたものでした。しかし近頃は死亡通知が貼られることも無く、よほどのことが無い限り、お葬式のお手伝いをすることも無くなりました。ですからお亡くなりなっても、年末の年賀状欠礼の挨拶で知るのです。悲しいです。

 高齢者がひっそりと暮らすのが本人達の望みかといえば、決してそうではなく、社会的地位を退職後まで引きずる、一部の人達が主催する団体には嫌気な人や、国民年金ではお付き合いに使えるほどのお金は無く、どうしても家に閉じこもります。これが私が知る団地の高齢者の現実です。こんな人が多くなってしまった限界団地に住むオイラなのです。なんとかしたくて、もどうしようもなく、私もひっそりと暮らさざるをえない将来をむかえるのが現実です。今日は明るい話じゃなくてごめんなさい。

病院見舞い 生花持ち込み禁止が波紋

2014年09月28日 | 日記
 2チャンネルにこんな板が立ってました。ここしばらくは病院へ見舞いに行ってませんが、今まではお花が定番のような気がしていました。

 昔、お見舞いに行ったのは、顧客の奥様(故人)は若い頃ミス○○であったそうで、とても美しく、冗談が大好きな奥様でした。ご病気も回復期になった頃を見計らって、仕事仲間とお金を出し合い、大量の真っ赤なバラの花束を持参しました。病室で花束の塊を見て、大声で笑い「縫合が裂ける」と言ってました。あまりに多すぎる花を、帰宅する看護婦さんにプレゼントして喜ばれたと後に聞きました。

 仕事仲間の友人が手術した時、彼はとてもしょげていました。麻酔の副作用からか一番のお気に入りの看護婦さんに暴言を吐いたそうです。他の看護婦さんにチクチク責められ、縫合の傷は治るのに反比例、心の傷は痛んだそうです。そんな話を漏れ伝え聞きましたので、看護婦さんが喜びそうなセットに熨斗紙をつけて渡しました。彼はそれをスポーツ新聞で二重三重に包み、戸棚に隠しました。退院時にお礼ができたがどうか言ってくれませんでしたが、後ほど丁寧な快気祝いが届きました。

 親戚へのお見舞いは現金です。しかし悩むのは祝儀袋で良いのかとか、不在がちな病室で現金保管はできるのかなどでした。近頃の病室は冷蔵庫もテレビも有料のカード使用でしたので、カードを数枚お見舞いでプレゼントしたらとても喜ばれました。自動販売機で簡単に買えるそうですが、自分で買うとすっごく無駄使いのような気がしていたそうです。

 同僚の入院では漫画本。週間漫画誌ではなく単行本のマンガで、病とは縁遠そうな『刈上げ君』や『黒鉄 ヒロシ作品』などを数冊プレゼントしました。数日後「辛いから見舞いに来てくれ。前回と同じようにきてくれ」とリクエストがありました。私は行きませんでしたけど・・・・・同室の患者さんたちに大人気だったそうです。

権利とは何だろうねぇ

2014年09月27日 | 日記
 昼ごはんを食べながら、録画してあった深夜の討論番組を見た。お爺さん批評家やお婆さん評論家が、口から泡を飛ばしながら喋りまくる。視聴者に聴いてもらおうとか、説得しようとは思えない。二人の若者は気後れか、あまり喋らなかった。もしかしたら、あきれ果てていたのかもしれない。

 朝日新聞の記事が間違いか捏造か白黒つけたいのは分かる。朝日に自白させるのか?、それとも第三者委員会に決着させるのか?、そんなものとっくに民が結論を出していると思うよ。新聞記事を欧米が信じてしまい、我が国を非難する像を隣国が建てているが、子供のケンカと同じでバカらしい。

 戦争において女性の権利が著しく侵されることは間違いない。戦争はあらゆる権利を侵す。戦後の今、迷惑をかけた弱い女性に償うことは間違っていない。だが弱いのは女性だけだろうか?。子供だって、老人だって、妊婦も戦火に見舞われなかったか?。私の住む市も7月始め空襲を受けた。800余人が亡くなられた。生存の権利を奪われたのである。戦争であったから、どちらに非があるかは、敗戦国が負わねばならぬだろうが、正式な終戦ともいえる講和条約で、悔しいが非戦闘員の虐殺とも言える空襲に口を閉ざしている。

 謝罪と補償を目的に設立されたアジア女性基金は戦後日本の姿勢を表している。だが私は、基金の関係者の無意識な一言が気になった。その一言とは「このような仕事をボランティアでしていて、びた一文もらっていない私が・・・」これ以後の発言は、頭に血の上った男共の発言で聞き取れなかった。ボランティアとか無給であることを前面に押し出し、そのことで正当性を強調することに疑問を感じた。とても不愉快であった。

特定健康診査受診

2014年09月26日 | 日記
 メタボ検診のことです。昨年この検査でメタボ予備軍になりました。一念発起、保健所Kさんのアドバイスに従い、メタボ解消に努め、減量とウエスト減には成功した私です。区切りよく一年後と考えました。昨年の受診日は10月でしたが、来月は畳表替えで忙しいので本日受診してきました。
 

体重;65.1kg→59kg(2013年受診結果表から)
腹囲;90.0cm→83cm これだけなら万々歳なのですが、いつもどおり、やはり血圧が要チェックにでした。朝自宅での血圧は138/90と、下がいつもより高めでしたが、まあ基準値です。ところがDrの前では!、155/107なんて、オイラもビックリです。ナースの再測定でも150/98なんて・・・。恥ずかしいほど病院恐怖症のオイラです。胸の動悸が治まらないオイラ、一ヶ月様子を見ましょうってってことで、血圧管理手帳を与えられました。朝と夜の二回測定記録します。結果がでる来月に見せる予定です。


 追加検査で前立腺がんの検査を願いました。帰りぎわ受付嬢からインフルエンザ予防注射を勧められましたが、オイラはあまり人前に出ないから申し込みませんでしたが、一ヶ月考えます。
 

 先ほど血圧を測ったら、138/89だった。もういったい・・・・・(泣)。