田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

7月の終わり

2018年07月31日 | 日記
 今日は月末、明日から8月。オイラこの月に誕生日があり、取りたくもない歳を一つ重ねることになります。こればかりはあがらえず、ありがたいと思わねばなりませぬ。たしかに、この歳まで大病もせず、幸せに暮らせたことが感謝なのだ。
 
 昔々の7月末の思い出、そろそろ憂鬱になる時期だった。親元を離れていた私は、長期休暇のたびに帰省していました。故郷の休暇は、日頃の緊張感から解き放たれた、心地よい時間。人との関わりが好きでなかった私は、家族のもてなしが、二三日で薄くなることは知ってはいたが、一歩外では隣人に愛想を良くしなければならぬことが嫌だった。しかし、気兼ねなく食べ、眠り、テレビを見ることは何事にも代えらぬものだった。ま、怠けられる夏休みだった。
 
 そんな怠惰で幸せな時間、7月が終わり8月になってしまう。いつもと同じように時が過ぎ、再び街中へ帰らなければならぬ日が近づく、最初の道標が7月の末日なのでした。
 
 近頃、再び、あの昔に感じた憂鬱感を感ずることがあります。これも歳のせいなのでしょうか。

押し花の額

2018年07月30日 | 日記
 今年、我が家で流行った押し花、妻が庭の花を押し花にしました。時間が経つにつれ、鮮やかな色が失われるのは仕方ないのでしょうか。廊下の額に仕立てました。うん、なかなか立派に見えます。
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逆走台風12号

2018年07月29日 | 日記
 昨年のいつぞや、迷走台風がありました。昨晩のニュースでは、逆走台風と言われていました。気象庁は『今までの経験が生かされないコース、何が起こっても不思議ではない』と。我が家の準備は、懐中電灯と携帯電話を枕元に置きました。
 
 昨日夕刻から雨の予想が出ていましたが、降る気配はなし。夜半過ぎでも雨音聞こえず、妻が「庭の水撒きしておいて良かった」と言ってました。
 
 日曜日の今朝、雨が降った形跡はありません。風もなく暑そうな日です。凹地に避難させた、ゴム、パキラ、アボガドの木を元の位置に戻し、下ろしてあった物干し竿を復旧。昨晩の録画を見ていました。
 
 9時過ぎ、風が強くなりました。ビル風が風の音をさらに強くしています。昼ごはんの後も風が木々を揺らしています。台風本体はすっかり離れているのに、風は昨晩より強く感じます。ほんとうに逆走ですね。

昔ながらの提燈祭り

2018年07月28日 | 日記
 ○太郎君たちがお盆に遊びに来るそうです。息子が2、3歳の頃、ブラスチック製の自動車にまたがり、器用に足で漕ぎ、驚くような速さで団地の歩道を走らせていました。妻がそのことを思い出し「○太郎にも遊ばせたい」と、以前に下調べしてあったモールへ行きました。
 
 箱には、しっかり『足けり乗用』と印刷、なるほど、あの遊びを足けり乗用と言うのだと、30年後に知った私達、○太郎君もクツの親指側面を擦り切るのだろうねぇ。
 
 簡単な夕食を買い求め、早めの夕食を終え、提灯祭りに行きました。昔通りの太鼓のドンドコドンの音が聞こえ、お祓いの下をくぐりました。夜店は昔ながら、りんご飴は大が300円、小が200円と少し高め。バブル期の500円は、やはり異常だったと思います。
 
 昔々は、町内でまとまり、提灯を、枝のある木の棒にくくり付けて行列します。めいめい一人づつ持つのが近頃、一つの町内が昔ながらの方法でしたが、若干軽い竹にくくっていました。
 
 私が新婚の頃は、、枝のある木の棒に提灯をぶら下げ、ロウソクを灯し、揺れるのを防ぐ小石を入れました。提灯が30個近いと、それはそれは重くて、じつは大変な重労働でした。ま、一回だけの経験でしたが、町内の人達に可愛がられました。
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 暑かった。バテ気味、モールを含めて12000歩でした。

 お祓いを受ける町内です。

 昔はこれで提灯を運びました。重いのです。
 明るく写ってますが、夕暮れ7時過ぎでした。
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宗教が不幸をもたらす

2018年07月27日 | 日記
 松本サリン被害者の河野さんが語りました。昨日までに、オーム事件死刑囚13人の刑が執行されました。欧州連合から『死刑は残忍で冷酷であり、犯罪抑止効果がない。さらに、どの司法制度でも避けられない、過誤は、極刑の場合は不可逆である。日本において死刑が執行されなかった2012年3月までの20カ月を思い起こし、われわれは、日本政府に対し、死刑を廃止することを視野に入れた執行停止の導入を呼びかける』と批判を受けました。
 
 本来宗教は、死にゆく人を救うためにも有るものと考えます。その宗教が人を殺め、むごたらしい後遺症を与えたことに、加害者達は「終生反省し、謝罪するためにも、生かして欲しい」と言い残したそうです。一方、死刑廃止を訴える人達は、殺人は残酷、まして万が一冤罪の場合は取り返しがつかないと言っています。
 
 被害者の立場はさらに辛いと考えます。加害者が死刑になろうが、受けた苦痛は忘れられません。加害者が死刑になったからといって、テレビ会見をしなければならぬ苦痛は計り知れません。
 
 不幸をもたらすのはオームだけではありません。信教の自由の名の下に、キリスト教原理主義に心酔した兄一家、私達兄弟との一切の関係を絶ち、母の終末ケア、臨終、葬儀に音沙汰無しを貫きました。
 
 これこそが宗教と言わんばかりか、心配した姉の訪問に対しても、ドアを開けませんでした。近所隣の好奇の目にいたたまれず、姉はその場を離れました。身近なこんなところにも不幸はあるのです。