田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

春便り

2013年01月27日 | 日記
 六兎は中島みゆきさんフリークなんですが、五輪真由美さんも大好きです。好きな歌詞の一つ『春便り 3番』が良いですね~。

♪♪♪春一番が吹き荒れる日は
♪♪♪風邪に気をつけてくださいね
♪♪♪けれど、あなたは引いたとしても
♪♪♪鬼の霍乱 と笑い飛ばすでしょう
♪♪♪リラの花は私の心
♪♪♪離れて暮らすあなたに贈る 「春便り」
♪♪♪それでは、この辺で

リラの花はよく知らないけど、中島さんの新しいアルバムにも「リラの花咲く頃」ってのがあります。良いですよ~。六兎が一番好きなのは「月はそこにある」です。一度聞いてくだされ、良いよ。

で、六兎は離れて暮らす皆様に春便りを贈ります。
多くの人は「ホーホケキョは聞いてるが、姿を見た人は少ないな・・・・
そしてメジロと勘違いしてる人が多いのでは。」
繁華街のマンションの小さな庭で、撮ったどぉ~です


明るい話題って思ったより少ない

2013年01月26日 | 日記
 今日は明るい話しじゃありません。明るい話題って思ったより少ないのだ。

 昨晩、日揮の社長が悲しい記者会見をしていました。聞いていて悲しくなりましたが、それでも社長が「知識を持った有能な社員こそが社の財産であり、かけがえの無い財産を失った。」とカメラの前で言ってくれた。いわゆる手に職を持つ人達が久しぶりに聞いた言葉だった。近頃はあらゆる技術職や有資格者が人材派遣会社にいるそうだ。依頼すれば即座にデリバリーされるらしい。しかし、そんなものは技術ではない。ありふれたコピーなのだ。老舗には素晴らしい職人がいるようにだ!。
 ところが、ところがである。この日揮という会社は、海外プラント建設のプロ集団と思っていたのだが、数年前、北方領土に○ネ○ハウスなるものを建設した会社でもあるらしい。TVで見たが安普請の建物だったぜ。ワイルドだったぜ。いったいぜんたいどれが本物の姿なのか?。六兎は解らなくなったのだ。

 さて、本日 六兎は某専門雑誌のインタービュー記事を読んだ。ワイルドなやり手社長が語っていた。その社は専門学校を経営し、営業が生徒を勧誘して資格を取らせるのを生業としている。社長曰く「生徒がわからないと言うことは、講師が悪いのです。」なるほど、理解させるのが講師の仕事だから、それはそれで的外れではない。でもね基礎力が不足している今の大学生に、先生達が四苦八苦してるのは、健全な入学試験を課さなかった高校にも責任があると思いませんか?。また、専門学校ならば、スーパー講師を育成するのも大切です。「良い講師なんていくらでもいるから。」とか「もっと良い講師を派遣させる。」では少しお粗末じゃないかなぁ。さらに、某雑誌社のインタビュアーさんが、もう少し突っ込んだ質問すれば、売れないとぼやく専門誌も売れると思うよ。

 『あ、ゴメン。ホントのこと言っちゃった。六兎は専門誌のほとんどが提灯記事ってこと知ってる。近頃は広告料も減ってるからね~。』技術大国日本、勤勉な日本人っているのですかぁ~?。
 提灯記事って?だったら、Wikiで調べてね~。(怒の六兎)


サッチャン

2013年01月23日 | 日記
 クラスメートが二十数人だった田舎の小学校から、クラス50人13クラスのマンモス中学に入学、ピカピカ一年生の話を思い出しながら、カワユイ恋の物語を書きます。
 昨年の秋、私は所用で街を歩いていました。ママチャリの前後に小学校低学年の子を乗せた中年の女性がいました。母親にしては老けていました。若いお婆さんに違いないと思いました。かなりの速度で、ズンズン近づいてきます。顔に見覚えがありました。すれ違いざまに彼女は、『さもありなん』『知ってるよ』『今日は』『お久しぶり』すべての挨拶言葉をまとめたような言葉
『うん!。』と発して遠ざかっていきました。彼女はサッチャンでした。若かりし頃の懐かしくって、少し恥ずかしい思い出がよみがえってきました。
 中学時代って当番をしましたよね。朝の会の司会、先生の板書を消し、黒板消しのチョークをポンポンして、先生のお手伝い、給食当番の監視など等、仕事はたくさんありました。それを男女二人が日替わりで当番を勤めました。男女の出席番号1番同士が当番になりました。私の相手はサッチャンでした。サッチャンは知恵遅れでした。彼女が自分からおしゃべりするのは誰も聞いたことがありませんでした。ですから、喋らなければならない当番の仕事はオイラがしなければなりませんでした。サッチャンはクラスのいじめの対象でした。いじめといっても今のような陰湿ないじめでは無く、言葉のいじめでした。「ボケとかバカ」とか言われていました。
 おおよそ月一回で当番がまわってきました。司会や当番日誌はオイラがやりました。その他、力仕事の水汲みがありました。校舎は木造でしたので、教室の前後に防火用水を兼ねて、二つのバケツを汲み置きしなければなりませんでした。先生によっては、教卓を雑巾で拭く先生もいたので、日に二回ほど、水を換えねばなりませんでした。そんなときサッチャンは、猛ダッシュで水汲みに行きました。それも両手にバケツを二つも持ってでした。教室に戻るとサッチャンのスカートはビショビショに濡れてしまっていました。
 放課後に当番日誌を書くのでした。サッチャンが大きな目を見開いて、オイラが書くのを見ていました。「サッチャン書く?。」って聞いたら、「小さな字が書けん。」と言いました。初めて聞いたサッチャンの声でした。男子のような声でした。「書いても良いよ。」と言ったら、サッチャンは、欠席の欄に0を大きく書きました。翌日当番日誌を盗み見したら、0に花丸がありました。先生はとってもやさしい、若いきれいな女先生でした。
 運動会が終わった頃、男子から当番の相手に対して不平が出ました。困った先生は「男子の1番と女子の最後の子が当番をすることにしましょう。」と決めました。男子はだれと当番ができるか暗算しました。クラスに人気のある女子が5、6人もいました。オイラはサッチャンと組まなくても良いことで嬉しくなりました。放課後はその話で持ちきりでした。ところがクラスは50人男子25人同じ数の女子でした。私とサッチャンは、丁度真ん中の13番でした。男子生徒の意地悪な笑い声と、申し訳なさそうな先生の顔を思い出します。
 それからも水汲みはサッチャンの仕事でした。あまりにスカートを濡らしてしまうので、一度バケツを一つ持ちましたが、サッチャンは「ううん。」って言いながら、すごい力でオイラからバケツを奪い取りました。ある日サッチャンとオオノさんが二人でバケツを持って教室に帰ってきました。オオノさんは呉服屋の子で、頭が良い子でオイラが密かに好きだった子でした。サッチャンはオオノさんの言うことは素直に聞きました。オオノさんは放課後も当番の仕事を見ていてくれました。サッチャンは欠席人数が思い出して書けるようになりました。オイラはオオノさんとお喋りしたり、勉強したりできるようになり、当番の日が待ち遠しくなりました。それからのサッチャンはオオノさんの近くで過ごすようになりました。クラスの多くの子達はサッチャンを避けるので、オイラはオオノさんにとっても近づきやすく、いつでも話しかけられようになりました。
 当時の体育の授業は男女が分かれました。女子は柔軟体操をしていました。サッチャンはオオノさんと組んでいました。背中合せで互いの背中に相手を乗せて背骨を伸ばす運動をしていました。何気なくサッチャンとオオノさんを見ました。当時の子達は今ほど発育はよくなく、幼児体形が多かったように思います。特にサッチャンは発育が遅れていました。反面オオノさんは背が高く髪を長く伸ばし、胸も大きくとっても目立つ存在でした。二人の腕が真っ直ぐ伸びたとき、サッチャンのツルンとした腋が白いのに反して、オオノさん腋は大人の腋でした。見てはいけないものを見た罪悪感に駆られ、ドキドキしてしまいました。それからのオイラはオオノさんがすごく年上の存在になってしまいました。結局オイラのはかない恋は進展せず、オオノさんは県内トップの高校に進学しました。サッチャンは豆腐屋さんに就職しました。
そのサッチャンに街で会いました。


博士のPCはMacなのです。

2013年01月19日 | 日記
 団地の大先輩のお友達、。八十と○歳で、御茶ノ水博士にそっくりなお方から年賀メールをいただきました。御茶ノ水博士は本当に博士なのですよ。薬学博士かな・・・。で、大きな会社の社長まで務めた人です。
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田神六兎さま
 早々に年賀のご挨拶を頂戴し、恐縮しております。返信が送れまして申訳ございません。エイジングのせいにするのも変ですが・・・年齢相応の体調変化に、この頃『あきらめ 』の境地が加わり、何事もすっかり slow となってしまいました。昨年当初よりパソコン、プリンターの不調で気軽に文章の印刷もままならずに過ぎ、今年の年賀状でも年末より数百枚のアドレスも手書きとなってしまいました。 どうせ年中暇だらけですので・・下手な筆使いでやり遂げましたが、
実は相当焦りました。
 さて、私現有のオンボロパソコンやプリンターは OSも3~4代古く、現在のバージョンにアップの可否も判りませんが・・・この際、新型に買い替えた方がベターであろうと、息子や孫は言いますが、しかし私の超? 古い IT 頭脳では使いこなせるか?たいへんに不安な気持ちです。その一方では、かねがね興味があったI-Padなど を購入して、彼ら息子や孫たちを呆れ返らせております。案の定 、そのオペレーションでも、完全にお手上げで、ただ今は孫の遊び道具になっております。こんな私は、今後 IT 世界に順応できるのか ??? たいへん不安でなりません。でも、かって、写真をA3ノビまで伸ばして、展覧会にだしたり、友人と写真のネット通信だのを楽しみましたので、今一度、その世界を楽しみたいと・・儚い夢を見ておるところです。長々とグチを書きまして、申訳ござません。 又、いろいろ『 IT 世界』を教えて下さい。
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 その後電話があり、プリンターが壊れてしまった。六兎さんしか頼る人がいないと泣きつかれました。御茶ノ水博士のPCはマックなのです。私の苦手なマックなのですぅ・・・・・。Winだったら屁の河童なのですが・・・。
 本日、行ってきました。開口一番「I Padがトップ画面にならない・・」これは、なんとかクリヤ。「日本語が使えない。」少し苦労したが、これもクリヤ。「写真データをI podに移したいが。」と難問を投げかけてきた。『次回教えます。オイラも知らないから。』でやり過ごす。
 さて、本題のマックとプリンタを調べました。テスト印刷すると異常が出ます。御茶ノ水博士は「そう、こうなっちゃう。もう買換えかなぁ・・・」とつぶやくのだが、なんか変だ。何かが変だ。あれ~!!紙を入れる場所違うぞ!!。オイラが背伸びしてプリンタを覗き込むから、御茶ノ水博士は脚立を取りに室の外へ。その間に紙をセットしなおした。
 再び試験印刷をしました。成功でした。御茶ノ水博士が一言「一年ぶりに印刷ができました~ぁぁぁ・・。」嬉しそうに毛の無い頭をなでていました。ホントに元気な人だなぁ。きっとオイラより長生きするな・・。


落語 やかん

2013年01月06日 | 日記
 寄席に行くほどでもありませんが、私は落語が好きです。贔屓にしてる噺家さんを語るほどは詳しくないです。話の技術もさることながら、落語のストーリーが好きなのです。「そんなバカな。」「よく言うよねぇ、ったく。」ってのが好きです。男ですから、少しの色気も良いですね。
 紹介するのは、購読している新聞に掲載されている『落語名場面』です。
演芸評論家・梶繁男さんの評論です。
原稿用紙に移し、少しばかり雰囲気を・・。


 検索すると談志、雷門福助、円生師匠とても多くアップされてます。
先ほど述べましたが、ストーリーで考えると、これはこれで奥深い意味を感じ取れます。感じ方は人それぞれですが、またの機会に書こうと思います。