川崎市の上村遼太クンが殺された事件、上村クンの笑顔や昨年まで暮らしていた島の風景がテレビに流れます。痛ましく悲しく、見るに耐えません。疑われている加害者も少年だそうで、佐世保、名古屋の少年犯罪を思い出してしまい、とてもやるせない気分です。
以前、佐世保の高校生について思うこと、二つの記事を書きましたが、まとまらずそのままになっています。もう少し考えてからアップします。名古屋の少女に至っては、私の理解に及ばず、とうてい書くことができません。
今日気になったことは、上村クンを死に至らしめたと言われている少年達のことです。いまのところ被疑者で、必ずしも犯人だとは言えませんが、地元の不良少年だったことには間違いありません。
昔々、NHK子供電話相談室だったと思いますが、回答をなさっていた先生が、子供が知らずして『馬の背踏み』をしていることを話していました。ネットで『馬の背踏み』を検索してもヒットしませんから、先生の造語かもしくは私の聞き違いかもしれません。先生がお話された『馬の背踏み』とは、馬の背には鞍を乗せられるが、決して腰には乗せられない。どこまでが背で、どこから腰なのかは馬によって異なるそうで、少しずつ踏んで調べるそうです。それを馬の背踏みと言うと記憶しています。
不良少年と言われる子も18年前は可愛い赤ちゃんでした。そして、小学生から中学生頃は上村クンと同じだったと思います。ヤンチャから悪戯に至るには、少しずつ少しずつ変わったのでしょう。世に言う、少しずつぐれたのでしょう。何らかの理由で学校に行かなく、行けなくなり、同じ境遇の子と傷を舐め合い、互いにかばいあい、そのうちにお互いがお互いに依存しあうようになってしまうのではないでしょうか。「学校には行かなきゃならない、でも行けない。学校に行ってる子達が羨ましい、だけど憎い。いっそ学校など無くなれば良い。みんな学校へ行かねば良い。」と背踏みしながら不良の立場を造ってしまったのじゃないかなぁ。可哀想。
子供達の変化が、馬の背踏みをしているのに気づき、子供達の悩みを聞ける人がいて欲しいと思う私です。悩みを悩みと知らぬ子供達に「話すだけ話してごらん、無駄になるかもしれないが、私も精一杯考える。答えが出せなかったらゴメンなぁ・・」聞いてやるだけでも、子供達の不良化は少しは防げるのじゃないかなぁ・・・。オイラは甘すぎるかな。命を失った子はもちろんのこと、犯罪を犯した子も哀れです。
以前、佐世保の高校生について思うこと、二つの記事を書きましたが、まとまらずそのままになっています。もう少し考えてからアップします。名古屋の少女に至っては、私の理解に及ばず、とうてい書くことができません。
今日気になったことは、上村クンを死に至らしめたと言われている少年達のことです。いまのところ被疑者で、必ずしも犯人だとは言えませんが、地元の不良少年だったことには間違いありません。
昔々、NHK子供電話相談室だったと思いますが、回答をなさっていた先生が、子供が知らずして『馬の背踏み』をしていることを話していました。ネットで『馬の背踏み』を検索してもヒットしませんから、先生の造語かもしくは私の聞き違いかもしれません。先生がお話された『馬の背踏み』とは、馬の背には鞍を乗せられるが、決して腰には乗せられない。どこまでが背で、どこから腰なのかは馬によって異なるそうで、少しずつ踏んで調べるそうです。それを馬の背踏みと言うと記憶しています。
不良少年と言われる子も18年前は可愛い赤ちゃんでした。そして、小学生から中学生頃は上村クンと同じだったと思います。ヤンチャから悪戯に至るには、少しずつ少しずつ変わったのでしょう。世に言う、少しずつぐれたのでしょう。何らかの理由で学校に行かなく、行けなくなり、同じ境遇の子と傷を舐め合い、互いにかばいあい、そのうちにお互いがお互いに依存しあうようになってしまうのではないでしょうか。「学校には行かなきゃならない、でも行けない。学校に行ってる子達が羨ましい、だけど憎い。いっそ学校など無くなれば良い。みんな学校へ行かねば良い。」と背踏みしながら不良の立場を造ってしまったのじゃないかなぁ。可哀想。
子供達の変化が、馬の背踏みをしているのに気づき、子供達の悩みを聞ける人がいて欲しいと思う私です。悩みを悩みと知らぬ子供達に「話すだけ話してごらん、無駄になるかもしれないが、私も精一杯考える。答えが出せなかったらゴメンなぁ・・」聞いてやるだけでも、子供達の不良化は少しは防げるのじゃないかなぁ・・・。オイラは甘すぎるかな。命を失った子はもちろんのこと、犯罪を犯した子も哀れです。