田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

明日から8%・・・

2014年03月31日 | 日記
 明日から消費税が8%です。税金は安い方が良いに決まっていますが、そうばかりは言っていられない世の中です。でも、国民からかすめとるように集めた税金ですから、使い道を解りやすく知らせて欲しいです。少し前の『100人の村人』のように、100万円の消費税を、あれとこれに使いました。実際は1兆ン千億円ですから、100万円の束がン束です・・・とか、子供でも解るお知らせにして欲しいと思います。

 一昔前、官僚と戦った国会議員が数億円を借りたままにしているらしい。数億円で買ったものは何かと聞かれ、熊手と答えたらしいけど、何に使ったか言えないのでしょうね。うっかり口を滑らせれば、選挙違反の恐れがあるからね。どこやらの知事さんも、5千万円がカバンに、入る入らぬなど、まるでコントだった。聞く人も何が知りたいのか分からないし、ご当人も、無理に押し込み、見っとも無かったね。ン億、ン千万を借りた貸したなどと言ってる人は、そもそもギャンブラーだから、政治には向きませんね。自称政治家で、もっとも政治家に向いていない人は、清濁併せ呑む人だとオイラは思うのです。だとしたら永田町には、センセがいなくなってしまうネ。

 妻のお供で、午後一でスーパーへ買い物に行きました。妻は『買占めではなく、買い溜め品のチェック』だそうです。スーパーはお年寄りで混雑していました。明日から、全てのものが数円値上がりします。今日中に買い置きしたい気持ちは分かります。お年よりは、持てないほどドッサリ買い、シルバーカー、老人車、車椅子まで動員されていました。疲れきったお年寄りが多かったです。日本の諸先生方、お願いだから政治を考えてください。心からお願いします。

3月も明日で終わり

2014年03月30日 | 日記
 年度末です。明後日から新年度ですね。昨年から今年、そして年度末に至る今日までの時の過ぎるのを早く感じております。ちょうど一年前の3月17日、我が家の婆さまは脊椎を痛めました。激痛が走り、救急の助けを借りましたが、非情にも高齢者は入院できませんでした。通っていた介護施設に助けられ、三日間をショートステイで過ごせました。その後、入院できる病院を見つけていただき、入院しました。入院闘病 百数日、奇跡の復活を果たし、晴れて退院、老人介護施設に入所できました。

 施設では車椅子から歩行訓練まで回復、廻りの人達に奇跡の復活と言われました。しかし、しばらくして悪性貧血症状が現れ、おおよそ二週間の点滴を余儀なくされ、私と妻は密かに覚悟をしました。しかし!再び奇跡の復活を成し遂げ、少しの認知症はあったものの、普通に会話はできていました。そして年末、黄疸症状が現れ、一月十七日に、大往生と言わせしめるように他界しました。

 三十数年同じ屋根の下に暮らしましたので、ふと母がいるような気がしています。妻も「つい、お婆ちゃんが好きだった物を買おうとするのよねぇ。」なんて言います。しかし、しだいに記憶から薄れていくのでしょうね。

 さてさて、こんな激動の平成二十六年の年度末でしたので、出来事が多すぎ、時の経つのが早かったのでしょう。今、私達が気がかりなのは、母の入院、他界を知らされているのに、一切音沙汰無しの兄の状況です。宗教ブログを読むほどに、JWの闇を知ることになりました。JWを脱会した人達が、自分が信じた宗教を、憎々しげに語っています。人生の大半の時間を奪われたのですから、そうなるのでしょうが、兄も義姉も娘達が、JWを信じなかった婆さまや私達を同様な気持ちで、憎らしく疎ましく思うのでしょう。

 私は、過去に一時でも信じたことは、決して騙されたのでも、急いて判断を誤ったのでも無いと思うのです。信じた時の時代に存在した己の心が判断したことなのです。己を責めず、当時の心を受け入れながら反省するのが大切だと思います。私はそうして人生を歩いてきました。それらを吐露したいのですが、文章で書くのは難しいですねぇ。

読んでスッキリ『「ライブ中に立つな」って暴論?』

2014年03月29日 | 日記
 私はコンサートには行きません。昔、とても嫌な思い出があるからです。課を超えて仕事を手伝ってくれた庶務の女の子に、お礼として、杉田二郎さんのコンサートに同伴しました。当時、彼の歌う『アナーク、ANAK』が大ヒットし、大好きな曲になったからです。
 コンサートと言っても、商工会議所の小さなホールのコンサートでした。油くさいホールでした。
 彼女がお菓子を買いに行きましたので、会議所の入り口で待っていました。そこで、初老の男性に「アンクって良い歌ですね。」と声をかけられました。男性はコンサートは始めてだと言いました。私は「アナークって読むらしいです。フィリピンの歌らしいですねぇ。」と言いました。「ああ、そう読むのですかぁ、知りませんでした。お恥ずかしい限りですわ。」と、おでこをピシャリと叩く仕草をしました。庶務の女の子がお菓子を買って戻ってきました。私と男性が会話をしていましたので、彼女は少し距離をとり、買ってきたお菓子の包みを開いていました。男性が「あ、お連れさんですか、これまた失礼しました。ピシャリとおでこを叩きました。」私が「いえいえ、会社の女の子です。仕事のお礼で、コンサートに同伴です。」と言いました。
 彼女が「お一つ、いかがですか。」と、お菓子を差し出しました。男性は「おお、ありがとうネ。」と、遠慮せずお菓子を受け取りました。そして、微笑みながら「恋人でいらっしゃいますか?。」と私達を見ながら言いました。私は「いいえ、私は所帯持ちですし、この娘はもうすぐ結婚式です。彼が来るまで私がエスコート役です・・・。」と言うと、男性が「そうですか、それは大役ですなぁ、あまりにも可愛らしい娘さんだから、我が家の息子の嫁さんになどと、不埒なことを考えてしまいました。ハハハ・・・」と響き渡る大声で笑うのでした。
 コンサートが始まりました。最初の曲は八ヶ岳だったと思います。ザワザワした観客の中のグループ数人が立ち上がりました。つられて立ち上がる人も現れました。私達はじっくり聞きたかったのに、とてもそんな雰囲気ではありませんでした。きっとあの男性もそんな気持ちだったと思います。残念でした。当時の杉田さんの歌は、そんなにノル歌じゃなかったけどねぇ。
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お前が生まれた時父さん母さんたちは
どんなによろこんだ事だろう
私たちだけを頼りにしている寝顔のいじらしさ
ひと晩中母さんはミルクをあたためたものさ
昼間は父さんがあきもせずあやしてた
お前は大きくなり自由がほしいと言う
私達はとまどうばかり
日に日に気むずかしく変わってゆく
お前は話を聞いてもくれない
親の心配見むきもせずお前は出てゆく
あの時のお前を止めることは誰にも出来なかった
きっとお前の目にも 涙があふれているだろう
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 待ち合わせの店で、彼女の連れを待つ間、二人で先ほど合った男性の話をしていました。二人とも同じことを思っていました。「あの、おじさんと息子さんは、いっしょに暮らしていないのだろうね・・・・。」
 彼女がポツリと「あのおじさん、ガッカリしただろうねぇ。せっかくの歌がだいなしね。」
彼が来ました。私は先輩面して「親父さんを悲しませるなよ。」と

私が大好きな中島みゆき嬢は、自分のコンサートで、
『もう、私もみなさんもお歳でございますので、アンコールでは立って大丈夫な構成になっておりますので、それまではお席でごゆっくりお楽しみください。』ですって。そうだよ、スッキリしたぜ。今夜も聞きながら寝ような。

お葬式から帰りました

2014年03月28日 | 日記
 T先生のお葬式に行きました。先々月、母を送った葬場の近くにある、市営斎場でした。式によっては、駐車場が満杯になりがちですので、早めに行きました。この斎場は、火葬場も墓地も併設しています。私が中学生のころは、高い煙突があり、暗くて恐ろしげな火葬場でした。今では円形の斎場ができ、近くに民営の斎場がたくさんできています。近隣住民は、あまりに多い斎場に、少々うんざりしているそうです。確かに、街は常に線香の匂いが漂っています。帰宅してもワイシャツに線香の匂いが染み付いています。

 かって、共に働いた人達としばらくぶりに合いました。私はあまり懐かしさを感じませんが、友は懐かしいらしく「OB会を計画してくれ。」と、さかんに私に言うのでした。今から二十年ほど前に、私と長◎君でOB会を開きました。当時の先生達はみな元気、席順にも気を使いました。気を使いすぎて、円形脱毛になってしまいました。

 さて、以前の社は、県内のパイオニア的な存在でしたので、社外から研修に来る人が多くいました。その人達は数年の研修を終え、元の会社に戻ります。そのような方々も、多くは定年退職しています。亡くなった方もあるそうです。そんな方はOB名簿に記載してあげなければならないのですが、会社が分裂すると、そのような気分も失せてしまうのが、今の本当の気持ちです。

 研修を受けた人の一人が、OB会の世話をしてくれるそうです。一安心です。この方は、研修中に社内恋愛を成就させ結婚しました。私の入社前の事件だったそうですが、お二人の馴れ初めから、社内恋愛暴露事件やら、恋文公開事件などを、今は亡きS先生、M先生、本日送ったT先生から、詳しく聞いたものです。そんな関係から、在職中には奥様に、何度も仕事を依頼しまた。
 昔はとても家族的で楽しかった。今はそれらが無いから、懐かしさを感じ無いのかなぁ・・・と思う六兎グッチでした。T先生お疲れ様でした。

がんばってもアナログ人間

2014年03月27日 | 仕事
 仕事はラストスパートだ。チェックの見直し、書き足し、訂正と煩雑をきわめている。そんなときに便利なのがワイド画面。今までは、見たいデータを下に敷いていたが、画面を切り替える瞬間に忘れやすく、そのつどメモをしていた。何かを参考にしながらの作業は、左手のタブレットは便利そうに思えたが、節電のために画面が消える。そのつどの復帰が面倒。デュアルモニターを考えたが、今のところ、作業スペースが狭いのと、HDMI端子が無いので設置できない。購入したワイド画面は、端にデータを開いたままでも十分な作業スペースがあるから、快適である。本格的にWin7に移行したら、もっと快適になるかもしれない。


 ところで、世の中ペーパーレスが叫ばれているが、今のように追い込みになると、訂正作業が主となる。直したヶ所にマークを入れないと、目を離した瞬間に分からなくなる。どうしても印刷しなければならない。近頃は紙もバーゲンで、500枚が300円程度で買える。ありがたいことだ。また、妻が仕事で、裏紙が必要らしく、廃物利用もできている。ただA3をカットして、A4にしているから、輪転機で紙つまりしやすいらしい。仕方が無いなぁ。