田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

お客様が神様、もうやめにしよう

2014年09月15日 | 日記
 ファミマの店員さんを土下座させたみっともない中年男女の話ではありません。近頃ではお金を支払うお客さんが威張り散らしているそうで、「お客様が神様(金持ってる奴が偉い)」ってゲーム、もうやめにしよう。なんて、もっともな記事がありました。

 昔の思い出話です。小学6年生まで過ごした故郷には、国鉄(現JR)駅近くに2軒の商人旅館、そして新聞屋さん、郵便局兼電話局、タバコ屋(お酒と塩)、菓子屋(お菓子のみならず乾物も)、床屋、我が家、八百屋(お菓子、雑貨、魚も)、和菓子屋、農協(現JA)がありました。5、6の集落ためのお店が連なっていました。さながら銀座通りでした。

 当時の私はお小遣いを毎日もらっていました。計画性はなく「5円ちょうだい」と日に何度何度もお金をせびってました。浪費家だったと思います。駄菓子や福引を買い、済ませるとお店のひとに「ありがと」と言ってからお店を出ました。子供心に『僕がお金を使ってお店の人が儲かるのに、なぜ僕が、ありがとうと言うのだろう』と不思議でした。

 中学になり県庁所在地の市に転校しました。さすがに大きなお店で「ありがとう」は言い辛く、押し黙って買い物をしていました。ある土用日、下校が遅れ、一人で歩いていると、クラスメートの一人が元気良く、トコロテン屋から大声で「ありがとう」と言いながら駆け出てきました。私に向かって「オッス」と声をかけ、走り去りました。私はここでも買い物をして「ありがと」と言うことを聞いて安心したのと、やはりなぜだろうと思いました。実は今でも時々口に出してしまうことがあります。誰に何のお礼なのでしょうか・・・・。

 さきほどこんな言葉で検索してみました。『買い物をしてありがとうと言う』検索の結果一つヒットしました。
「店員に『ありがとう』って言う人、みすぼらしいですよね?」との質問がありました。友達とカフェでお茶をしたらしいですが、友達が何度も何度も『ありがとう』と言ったらしい。

 回答者は、「ありがとう」をやたらに使ってしまうと、「ありがとう」の価値が失われると答えていました。「ありがとう」も、ほんとうに「ありがとう」を使うべきときに使うべきなのです。客に対して払われた店員の労力に対しては相応の対価が支払われているのですから、客は店員に対して対価を支払う以上のことはしなくていいはずです。それじゃあまりにも味気ないということなら会釈や目礼、「どうも」でごく軽い謝意を表してもいいかとは思うのですが、「ありがとう」ではあまりにも分銅が重すぎ、釣り合いがとれなくなるのです。 大したことないという人には大したことないのでしょうが、こういう紙一枚分のささいなことの重なりが、論理的な思考に弱い日本人を「逆鍛錬」してしまうことになるのです。こうして、いくらでも騙されるお人よしの日本人が増えていくのです。と辛口の回答でした。

 私は今まで心からのお礼をするときは、相手が目上であろうがなかろうか身を正して腰を折り頭を下げてきました。さらに礼を尽くす時は、自分の心を一筆添えます。ですから、道を譲った時のありがと、食事を用意してくれた妻にありがとは心からのお礼と言うより、反射的に出る小さな感謝なのです。同じ言葉で、礼を尽くす度合いの程度の差はあるものの、「ありがと」「ありがとう」って良い言葉だと思うのです。

 
 昔々、物不足の故郷で、爪に火を灯すように蓄えた小銭で買い物をする村人が、店主にかけた感謝の言葉の名残だったかもしれません。こんな気持ちなら、お店の人も気分がよかったのでしょうね。残すに残せない昔の習慣ですかねぇ~。田神六兎・グッチが書きました。おしまい。