お彼岸、昔から「暑さ寒さも彼岸まで」などと言われています。春分の日、秋分の日にあたります。Wikiを見ますと。彼岸は雑節の一つで、春分・秋分を中日とし、前後各3日を合わせた各7日間(1年で計14日間)で、この期間に行う仏事を彼岸会と呼ぶ、とあります。仏事なのだそうですが、神道の私達も『彼岸のお墓参り』はあったように思います。ただし田神家はそうでもなく、行ったり行かなかったり、だったと思います。お墓を我が家の近くへ改葬したし、今年の初めには婆さまを納めましたので、妻とピクニック気分でお墓参りに行ってきました。早めに行ったのは混雑を避けるためです。
途中の道からのながめです。彼岸花が咲いています。見渡す限りお墓です。
我が家の神道は・・と言っても、特別な教えを頂いたのではなく、爺様や父母に言われたことや、故郷に伝わる慣わしを漠然として記憶しているだけですので、トンデモ神道かもしれませんが、そもそも宗教はその程度で良いと思っております。
その教えとは、お墓は神聖な場所であり、決して騒いだりふざけてはいけない。お墓にお尻を向けてはならず、後ずさりするのが良い。死は穢(ケガ)れであるが、血を分けた人には穢れではない。死は無を意味し、無は見えぬほど小さく無限の広がりを持つ。死は無であるからして死体は亡骸である。本来墓は必要とせず、いつかは消えうせる土饅頭と川原の石で良いのだが、生存の証明と子孫のよりどころであってもよい。おおよそこんなことを教えられたのでした。
正確に「よりどころ」と教えられたのではありません。私がそう解釈したのです。爺さまが六兎の手を引いて、本家のお墓のある曲がりくねった丘への道を歩いた記憶、後に仲たがいしてしまった父と共に、幼くして世を去った二人の兄のお墓参りの記憶、小さな玉石と朽ちかけた竹筒だけが墓の痕跡でした。そんなかすかな思い出が、爺さまや父が私に伝えたかったことが次第に分かりかけてきました。
次兄は若くして世を去りました。離婚しましたので、先妻と後妻にそれぞれ子があります。先妻はいまだに義弟の私を慕ってくれます。一人っ子の姪は、いまだに心のわだかまりが整理できず「お墓参りができない」と兄と慕う私に吐露します。後妻は兄の葬儀一年有余年後、遺骨を田神家の墓に納めました。それ以来会っておりませんが、子が墓参りに来ております。子にすれば実父の墓ですから当然ですが、親の心子知らずならぬ、親の心子に伝えずと感じてしまうのです。己の了見の狭さには悲しくなります。しかし、これが本音なのです。
それぞれの母が、我が子を育てたことに間違いは無いですね。分かってはいるのですが、先妻が受けた仕打ちがあまりに惨すぎますので・・・・。お墓のふもと、お寺の境内にある『子育て弁才天』にお参りしてきました。新築されて池の鯉も元気で泳いでいました。
さて長兄家族は『エホバの証人』に傾倒し、一切の宗教行事はおろか、斎場への入場もできぬ有様を知り、そのような行為をなさるなら、母の葬儀には来なくてよろしいと、母が存命中に言いました。その言葉が意に沿わなかったのか、田神家とは縁を切ると親戚中にお手紙をされました。以来、年二回の母の見舞いが無くなり、看取り介護の同意もいただけず、当然葬儀にも参列していただけませんでした。
私が今最も心を痛めていることは、かねがね長兄が「俺の骨は故郷の墓」と言っていたこと、姪が苦言を言った実姉に「エホバは脱会した」言ったことです。だとすれば、兄一家の心のよりどころは、玉石の一つ、竹筒1本も無くしたように思うのです。爺様も父も「六兎よ田神家は仲よく」と言っていたように思えるのです。こんなことを考えながらお墓参りを済ませました。帰り道、○亀で美味しいうどんを食べました。778カロリーでした。おしまい。
途中の道からのながめです。彼岸花が咲いています。見渡す限りお墓です。
我が家の神道は・・と言っても、特別な教えを頂いたのではなく、爺様や父母に言われたことや、故郷に伝わる慣わしを漠然として記憶しているだけですので、トンデモ神道かもしれませんが、そもそも宗教はその程度で良いと思っております。
その教えとは、お墓は神聖な場所であり、決して騒いだりふざけてはいけない。お墓にお尻を向けてはならず、後ずさりするのが良い。死は穢(ケガ)れであるが、血を分けた人には穢れではない。死は無を意味し、無は見えぬほど小さく無限の広がりを持つ。死は無であるからして死体は亡骸である。本来墓は必要とせず、いつかは消えうせる土饅頭と川原の石で良いのだが、生存の証明と子孫のよりどころであってもよい。おおよそこんなことを教えられたのでした。
正確に「よりどころ」と教えられたのではありません。私がそう解釈したのです。爺さまが六兎の手を引いて、本家のお墓のある曲がりくねった丘への道を歩いた記憶、後に仲たがいしてしまった父と共に、幼くして世を去った二人の兄のお墓参りの記憶、小さな玉石と朽ちかけた竹筒だけが墓の痕跡でした。そんなかすかな思い出が、爺さまや父が私に伝えたかったことが次第に分かりかけてきました。
次兄は若くして世を去りました。離婚しましたので、先妻と後妻にそれぞれ子があります。先妻はいまだに義弟の私を慕ってくれます。一人っ子の姪は、いまだに心のわだかまりが整理できず「お墓参りができない」と兄と慕う私に吐露します。後妻は兄の葬儀一年有余年後、遺骨を田神家の墓に納めました。それ以来会っておりませんが、子が墓参りに来ております。子にすれば実父の墓ですから当然ですが、親の心子知らずならぬ、親の心子に伝えずと感じてしまうのです。己の了見の狭さには悲しくなります。しかし、これが本音なのです。
それぞれの母が、我が子を育てたことに間違いは無いですね。分かってはいるのですが、先妻が受けた仕打ちがあまりに惨すぎますので・・・・。お墓のふもと、お寺の境内にある『子育て弁才天』にお参りしてきました。新築されて池の鯉も元気で泳いでいました。
さて長兄家族は『エホバの証人』に傾倒し、一切の宗教行事はおろか、斎場への入場もできぬ有様を知り、そのような行為をなさるなら、母の葬儀には来なくてよろしいと、母が存命中に言いました。その言葉が意に沿わなかったのか、田神家とは縁を切ると親戚中にお手紙をされました。以来、年二回の母の見舞いが無くなり、看取り介護の同意もいただけず、当然葬儀にも参列していただけませんでした。
私が今最も心を痛めていることは、かねがね長兄が「俺の骨は故郷の墓」と言っていたこと、姪が苦言を言った実姉に「エホバは脱会した」言ったことです。だとすれば、兄一家の心のよりどころは、玉石の一つ、竹筒1本も無くしたように思うのです。爺様も父も「六兎よ田神家は仲よく」と言っていたように思えるのです。こんなことを考えながらお墓参りを済ませました。帰り道、○亀で美味しいうどんを食べました。778カロリーでした。おしまい。