田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

暗礁に乗り上げる

2019年03月31日 | 日記
 団地内の工事が始まる。煮詰まっていない工事だけに準備がバタバタ。なぜか住民の駐車場を作業場にするらしく、私を含め数台は、団地内通路に駐車する許可証が配られた。道路は南側の緊急道路を開放すればよさそうだが、ここには業者が駐車するらしい。なぜ住民より業者を優遇するのだろう。
 
 ま、あの爺様は、なんでも自分で決めたがる悪癖がある。最大の欠点は決して人の言うことは聴かないし、見境なく、怒鳴る、ガ鳴るで手がつけられない。間違って包丁でも持ち出されたらたまらない。修理屋さんへ3週間預けようかと考えている。

復活したラジオ

2019年03月30日 | 日記
 老人は眠れない、定番の悩みだろう。私も睡眠時間が短くなった。昔から夜更かしは苦にならなかったが、近頃は日に何度も眠くなる。そんな時は十数分の昼寝をする。年寄りはこんな生活だろう。
 
 目覚めた夜を退屈することなく過ごすためにラジオを聴く。電源のオンオフを容易く、手元に置けば受信感度が悪くなる。窓際に置けば身を乗り出すことで目覚めてしまう。
 
 不満を一気に可決するリモコンラジオを手に入れたのは一年前。買った当初からリモコンの反応の悪さに気落ちした。特に冬場、寒くなるとリモコンは役に立たなくなった。仕方なく聴く局は一つだけになった。
 
 妻のPCのマウスが壊れた。マウスは消耗費品、家電屋さんのポイントが貯まったので買いに行った。ついでにラジオのリモコンのボタン電池も購入、一個210円。
 
 電池交換でリモコンの不調は一挙解決、不調だったのは初期電池がだめだったようだ。そうとも気づかずずいぶん不便な思いをしたのだった。あまり信じちゃいけないな・・・。

元号騒動

2019年03月29日 | 日記
 新しい元号が発表される日が近づいている。テレビを含めマスコミは狂騒じみた報道だ。それを見越してか、予想が多かった元号は外すなどと的が外れた政府見解を見た。ホント?。
 
 元号に『安』が含まれる、いや含まれない。安は安倍チャンの安の一文字だとか、耳を疑うような記事もあった。一体どんな記者が書いたのか知りたい。それともド素人の誰かが、ネットに流した冗談が、流れ流れての記事なのか、摩訶不思議な元号騒動だ。
 
 どちらにしても、昭和から平成になった時を明確に記憶している。聞き慣れない元号に違和感をおぼえた。ところが、今になって昭和と聞くと、ずいぶん遠くを感じている私がいる。元号なんてそんなもの。
 
 さてお隣の国々はずいぶん過去に元号を廃止した。昭和の中頃には、斬新的な考えを持つアカデミックな人達が、元号を廃止しよう的な運動をしたことがある。うっかり誕生日を「昭和○○年生まれ」などと言おうものなら『西暦で言ってくれ』と言われた。今そんなことを言うのはごく限られた政治団体の人だけだ。
 
 西洋において、言葉はアルファベットの並びで決まる単語である。新しい単語というのは作られるのだろうか?。病名や科学技術の進歩で今まで無かった言葉は作られるであろうが、漢字のように二つ三つからなる熟語はないだろうな。漢字の母国が元号に憧れるのも合点がいく。新しい元号、静かに待つオイラだ。

エスプレッソメーカー

2019年03月28日 | 日記
 我が家に直火式エスプレッソメーカーがある。使ったことはない。使い方が分からないのである。一体いつごろからあるのか記憶がない。少くとも私が買ったものではない。恐らく妻の職場の処分品だと思う。
 
 ネットで検索した結果、ウィンナ・コーヒーを出す器具らしい。親切にも動画を上げてくれた人もあり、さっそく試聴した。
 
 完全手動式、湯が吹きこぼれるのが恐ろしげだ。パーコレーターのように簡単な使い方はないのだろうか。豆が同じならさほど味は変わらぬような気がするオイラだ。
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年度末

2019年03月27日 | 日記
 年度末は金曜日の29日 明後日だ。印刷は終えた。これからpdfを作ろう。変更をギリギリまで待つことにする。
 
 さて今後どうなるのだろう。沈みゆく船は既に沈没しているようにも思える。共に仕事をした、昔から因縁めいたS君は昨年の10月に辞表を出しているそうだ。そんな人を使うとは・・・人使いも変、沈没の原因だろう。
 
 先を読まず、安閑とした経営は失敗する。こんなこと誰にも分かることだが、先を読めないほど困窮したのだろう。どちらにしても、社長は後期高齢者の域に達して、この辛さは可愛そう。自分の撒いた種、致し方あるまい。
 
 S君と「ゆっくり昼飯を食おう」と言ったら、たいそう喜んでくれた。考えてみれば、私が社会人になった頃、わずか7~8mの距離、道路の合い向かいが彼の家だった。ほどなくお葬式があり、彼の父親が病死なさった。高専に通う優秀な子との噂を耳にし、自転車で通う彼の後ろ姿を何度も見た。
 
 彼が入社し、彼と住所が同じだと総務から聞かされた。そして因縁が始まった。またの機会にゆっくり書くことにしよう。今日はこれにて。