田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

掃除で一騒動

2019年08月18日 | 日記
 今日は団地の掃除、班長だから妻が仕切ります。といっても出動はギリギリの8時30分のちょうどです。大きな声が聞こえてきます。久しぶりに会う、隣町一戸建てのママ友(昔々の)と話しています。
 
 団地の外掃除の目的は、美化もありますが、それよりもコミュニケーションの場でもあります。でも、少しの不満がありますと「班の人数が少なく、掃除ができない」「あの人は欠席が多い」など不満が出ます。
 
 さてお盆休暇でお客さんが多くなるのが団地ですが、近頃は滅法少なくなりました。我が家など、盆を外した一日ですし、上階のおばさん宅へは二人の娘さんが昼間に、たびたび訪問されています。
 
 最上階のMさん家、久しぶりに息子さん一家が逗留されました。空き駐車場にMさんの車を移動させ、息子さんの車を駐車なさるのが私の隣ですから、よくわかります。
 
 さて、何かの事情で家族が疎遠になる家庭もあります。お亡くなりなった隣家のおじいさん、お正月前に「正月なんか無い方が良い」とポツリとお話になったのが耳に残っています。
 
 そんな寂しい盆を過ごした独り住まいのお婆さん、賑やかだったお家が疎ましかったのか、二人でしていた掃除を、途中で投げ出してしまわれたそうです。なぜか険悪なムードになってしまい「二人をなだめるのが大変だった」と妻の愚痴を聞きました。

合流マナーのジッパー法

2019年08月17日 | 日記
 自動車運転免許は令和3年まで有効、再来年は返納するつもり。車の車検も今年を最後。19歳で免許を取得、たびたび自損事故のガリガリ、ゴッツンはしでかしたが、事故は一度もない。スピード違反で一度だけネズミになった。運転が上手なわけじゃない。下手で嫌いだから、よほどのことが無い限り乗らないし、知った道しか走らない。
 
 正式に運転を教えられたのが50年前の自動車学校、ハンドルから飛び出していたシフトレバーで、ロー、セカンド、トップの三段ミッション、クランクやらS字カーブ等など悪戦苦闘した。苦労した分教えを守っている。
 
 その時教わったことが近頃は違う。ライトの基本は遠目、私たちは近目だった。対向車を眩惑させるから、対向車がないところで遠目と教わった。街中だと遠目になどできなかった。間違って対向車を遠目で照らそうものなら、仕返しにピカピカやられたものだった。
 
 幸いなことに、高速道路を使う必要が無かったから良かったが、私は合流が苦手。走行車線に入りたいが、入れてもらえない。後続車の間隔が少ないように思えて仕方がない、恐怖が先に立つ。躊躇してるまに合流車線が終わってしまう恐怖を想像してしまう。ついつい、合流車線を使わなくとも済む道筋を考えてしまう私だった。
 
 ジッパー法って言われるけど、オイラのジッパー時々壊れる。

台風一過

2019年08月16日 | 日記
夜半から明け方にかけて雨が激しかった。被害が出るほどの風も雨も無かった。良かった良かった。
 
 新幹線は計画運休、さぞかし困った人は多かったと思う。先月妻が旅行パンフレットを見ていた。月に一回雑誌を送ってくるのだが、妻はそれを見るのが大好きらしく、ここぞと思うページが折ってある。そこを覗くのが楽しみ。
 
 旅行は出発日で値段が違う。平日出発、週末帰宅が一番安い。あるページに高齢者向きの、ゆったりグリーン車ってのがあった。それもお盆中の旅行だった。それをふと思い出し、大丈夫だったかと心配になった私だった。

学級委員2

2019年08月15日 | 日記
 長女が中学生になった。当時は校則が厳しく長髪は禁止、茶髪など許されるはずがなかった。不幸なことに娘は生まれつきの赤毛で、生まれてから髪を切っていなかった。少子化で、小学校のクラスは3クラスで定員は28名だった。だから目立っていた。
 
 入学したら校則はあって無いようなもので「筝を習っていれば長髪は可」とか「生まれつきの髪の毛は良い」など意味の分からないモノだった。当然今はハーフの子もいるから有名無実な校則だろう。
 
 さて、娘のクラスは荒れていた。学校にタバコは持ち込み、シンナーを天井裏に隠す事件もあった。妻はPTA役員を押し付けられ、授業中の構内見回りの当番があるとぼやいていた。子供たちはタバコが吸いたいのでも、シンナー依存症でもなく、危険なものを隠す、悪戯の遊びに延長だったように思う。
 
 さて新学期、例によって学級委員の選出に、いわゆる不良生徒が立候補した。彼はスポーツ万能、市の選抜にも選ばれたサッカー選手だったが、教室を逃げ出す常習犯だった。彼をまともに取り合う友人は多くなかった。彼は力づくで自分を選出せよと同級生に迫った。そのうちに面白半分で彼を押す生徒たちが現れた。「一度生徒会をやらせればわかる」「できないことを知った方が良い」などなど。先生も対応に苦慮したようだ。
 
 事件はあっけなく終わった。小学校から人望の厚かったサト君が学級委員に立候補した。サト君は運動は、からっきしだめだが、誰がみても一生懸命なのだ。シュートしても球に威力がない。全力で走っても体が浮いている。彼は一生懸命、照れ隠しの笑いもない。そんな一生懸命の彼に、スポーツを教える子もいた。
 
 不良だった子は体を壊した。内臓系の病だった。スポーツは諦めざるを得なかった。かれは学校に来なくなった。ただ学級委員のサト君が家を訪ねると、彼とは話をしたそうだ。
 
 何年後かの卒業式、彼は県立工業高校に見事入学したと発表されたそうだ。その後の彼の噂を聞かない。
 
 先日の参議院選挙、なぜかこの学級委員の選挙を思い出した。ユーチューブで視聴したが、ケンカを売って何が変わる。子供たちの方が、何倍も何十倍も賢く清潔のように思えた。こんなことを思い出した。

学級委員

2019年08月14日 | 日記
 昔々の学校でのこと。新しい学年の最初の授業は緊張に包まれていた。私のような田舎育ちは、クラスが一つしかなく、毎年同じ顔触れで担任が代わるだけだった。転校した中学一年の春、13ものクラスの張り紙から自分の名前を探すだけで疲れ切ってしまった。
 
 クラスは53人、今では想像もできない大人数だった。二つの小学校から進級した生徒は顔なじみも多く、私のように田舎からの転校生は頼れるものが何もなく、何も見逃すまい、聞き逃すまいと緊張していた。
 
 初めて会う先生の一言一言を記憶し、ノートに走り書きをした。「明日学級委員を決めます」との先生の言葉で生徒たちはざわめいた。「〇〇君は何組?」「うちのクラスには△△さんがいる」「◇◇小の一番と、□□小の一番とどっちが頭良いの?」と女子生徒が口々に話す。先生はしばらくそのままにしておいた。
 
 突然、前の女子が私を見て「あんた◇◇小?□□小?」と聞かれたが、さっぱりわからない。たぶん小学校の名前だろうと思い「◇◇小でも□□小でもない。オレ転校」と普段使わないオレを主語にした。この先、この言い方が良かったことを後々知った。
 
 学級委員は成績の良い者で決まるのが普通だ。ただしガリ勉は嫌われ、文武両道が本命、そのような者は小学校でも学級委員をしており、頼りがいがあった。女子の本命は、恥ずかしがらず男子と話せる生徒だった。こんな人を委員以外の残り50名は、なんの迷いもなく受け入れた。特に名うてのわんぱくや、ぐれ始めた子供も『あいつ頭良いし、ドッジボールも強い』と認めた。続く