田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

納得できる教授の話し『身の程知らずの就活はムダ』

2015年01月10日 | 日記
 就職活動が実らず自殺してしまったニュースを読みました。それほどまでに就職難かといえば、どうも高望みが原因らしい。INSIGHTNOWで大阪芸術大学教授の記事を読み納得しました。「身の程知らず」の言葉も死語になっているのでしょうね。

 
 私が大学時代からのアルバイトを経て企業に採用された頃の大学の数と、今を比べたら、昔は大学はずいぶん少なかったです。また当時は、職業選択肢が多く、中学生の頃から、高校へ行くか行かない、高校へ行くならばその先の就職か進学かを考えるのが当たり前でした。今では大学へ行かないことを家庭の事情などと言いますが、当時は裕福な家庭の子供でも、大学進学が許されると表現していたほどです。当時の社会情勢が18歳を成人と考えていたからだと思います。

 
 私達が受験勉強をしていた頃は受験地獄と言われていました。でも地獄と感じた人は、余程の身の程知らずだったと思います。一般の高校生は、残りの期間を考え、合格を冷静に分析しました。せいぜい受験生が企てられる冒険は、複数受験の中に、『高嶺の花』を一校しのばせる程度でした。つまり高校生の頃から、己の身の丈を見極める訓練をさせられていたと思います。

 
 大学においての就職は①教授ルート②学校ルート③個人開拓でした。①の教授ルートは成績が優秀でなければなりませんでした。評価の、優良可 がポイント化され、優に+1、可は-1でした。可は卒業単位としては認められるのですが、ポイントではマイナスでした。特に卒業論文は重視されましたので、卒業年の4年目を論文に当てられぬと、かなり時間が不足して辛かったです。ですから今のような就職活動は当然できませんでした。もっともその活動を教授がしてくれていたのだと思いました。教授は企業と太いパイプがあり(私学でしたのでOK)採用枠を持っていましたので、教授の推薦があれば入社できました。学生の大きな希望は勤務地でしたので、卒論指導の間に教授からの情報を胸を躍らせて聞いたものでした。

 
 私が住むG市においても中小企業の中にはすぐれた技術を開発している会社があります。研究部門も充実していると聞いております。この社で働きたくて県内大学を志望する高校生もあると聞いております。必ずしも大企業でなければならないとの考えを捨てれば優秀な企業はたくさんあるのです。

 
 学生は4年間を精一杯学業に励むことができれば、きっと日本の底力になるような気がします。頑張れニッポン。