田神六兎の明るい日記帳

田神六兎の過去、現在、そして起こるであろう出来事を楽しく明るくお伝えします。

せめてネットは自由でありたい

2015年01月18日 | 宗教その他
 2チャンネルで『世界に逆行…謝罪するこの国の息苦しさ』の板が立った。なんとまあ大げさな、と思いながらも少しは納得、もう少しは反論、そしてたかがTV、たかが舞台、たかが・・・・と思う。一国の首相だった男が女装して舞台に立ったのを国民は何も感じないのだろうか?。私は消え入りたいほど恥ずかしい。卑しくもわが国の首相であった男だ。批難の声はあっただろうか。私は聞いていない。

 
 3Dプリンターを使った猥褻裁判をニュースで読んだ。私は猥褻とは思わない。「体の一部がなぜ猥褻か?」などと高尚な意見を言うつもりはない。私はろくでなし子さんの○○○を見たくないからである。もし見たいならそれは、ただ『怖いもの見たさ』であるからである。なぜ伏字にしたかって、それは口に出したくない語だからだ。

 
 女性を卑下しているのではない。私自身の体のすべての部分に、猥褻な部分は無い。だがとても見られるシロモノではない。自分でも目をそむけたくなるが、長年共にしてきた我が身である。いとおしいが、とうてい人に見せるものでは無い。だから隠しているのだ。

 
 サザンの桑田氏が叩かれていた。謝罪したら「あの程度の男」とまた叩かれた。興味が無いので見ていないから、経緯を分からぬまま書くが、彼は昔同じNHK紅白で「南春雄でございます~」とパフォーマンスをした。当時の私は演歌と演歌歌手は大嫌い、サザンは好きだったが、あのパフォーマンスを見てサザンの音楽性と感性が嫌いになった。見たく聞きたくなくなった。

 
 ファンをつかむためだけのパフォーマンスなら、自分を偽ろうが、仮面を被ろうが許されることだ。パフォーマーの仕事だからだ。その収入で生計をたてるのを、他人がとやかく言う筋合いなどは無い。ファンもパフォーマンスから演技者の人となりを決め付けてはいけない。それは演技だからだ。演技が心地よいか不快かは個人が決めることなのだ。

 
 ネットは嘘と真の世界が入り混じった世界だ。そこで何を叫ぼうが、訴えようが嘘と真を決めるのはネットに触れる個人だ。ネットで個人を叩くために結集するのは見苦しいことだ。ネットは単体であってこそ良い。ネットは自由であるが、真実とは限らない。真実を広めたいなら真の世界で実践すればよい。オイラはそう思う。