狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

沖縄で彷徨う「三光作戦」

2007-10-20 06:28:10 | 南京大虐殺

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「集団自決」による「暴虐非道の日本軍」といったキャンペーン報道も一段落したかと思ったら、

昨日の琉球新報夕刊「南風」というコラムにやはり「暴虐非道の日本軍」が潜んでいた。

沖縄の新聞は何としてでも「残虐な日本軍」のイメージを定着させたいのだろう。

地元の芸術家・文化人が筆を取る「南風」はあまり政治的臭いはなく、沖縄在住の女優池波志乃さん(中尾彬氏夫人)も時々寄稿している。(記憶違い?)

で、一昨日の筆者は美術家とのことだが、内容は中国捕虜で洗脳された先輩画家の洗脳を受け継ぎ「三光作戦」という中国伝統の作戦を日本軍の悪行として糾弾している。

そもそも日本語の「三光」の意味に中国式の「焼き尽くし、奪い尽くし、殺し尽くす」という意味はないし、中国に従軍した日本兵にさえこの単語を知るものは少ない。

戦後中国の捕虜から解放され帰国した元日本兵からこの言葉が流布し始めたといわれる。

中国に捕虜になった人に対する「洗脳」は過酷なもので、その亡霊は60数年経った現在でも沖縄の新聞のコラムの中から彷徨い出てくる。

中国に捕虜になった日本兵の「洗脳」については次の引用が参考になる。

≪ ソ連軍が旧満州を侵略し、日本軍捕虜を66万余、かっさらっていった。この事実は誰もが知っている。1950年に、この日本人捕虜のうち、中国は969人をソ連から引き取った。かれらは撫順収容所監獄に入れられ、連日連夜、徹底的に洗脳されたそこには長期的な戦略意図があった。

 「注目すべき点」として田辺氏は指摘する。

 「多くが北支で主に中国共産党と戦った、39,59,63,117師団という四個師団の将校」だった事実。ボロ負けにまけた恨みを晴らしたのだ。

 彼らを連日、洗脳し、「ふたつの態度と二つの道」といって、でたらめな自白をした人が帰国を許され、最後には「自白」しない将校を若手がつるし上げ、なかには自殺した軍人もいた。

 筆者も撫順の「収容所址」を見学に行った。この施設のミソは、皇帝・溥儀のベッドやら、使った風呂が展示されていること。また写真パネルの多くは、中国各地にある「反日」と同じだが、「中帰連」の寄せ書き、「中帰連」の反省文と証言が夥しく飾られていた。

 この組織こそガンだ。

 また「労工狩り」なる作り話を集中的に「証言しているのは中国抑留者全1109人のなかでも、大木仲治、小島隆男、菊池義邦(名前がつづく)。。」の11人にかぎられ、そのうちのふたりをのぞいて、ほかは「北支那方面軍第12軍の第59師団に所属していた将兵ばかり」というのだ。

 「中帰連」(中国帰還者連絡会)なる組織が、帰国してから「証言」したものが、強制連行のみならず、のちに本多勝一が書いた『天皇の軍隊』にでてくる嘘八百の元になっている、という。もとより『三光』なる皆殺し行為は、もともと毛沢東主導権が確立される前後の共産党過激派の戦術であり、日本で後にでた「三光」は、あまりの嘘に、実際の軍人体験者から抗議が集中し、版元は絶版とした。要するに虐殺を得意とするのは共産党であり、日本軍はそうした仕業をするはずがないからだ。≫(桜魂よりhttp://nipponsaisei.air-nifty.com/sakura/cat477020/index.html

それで肝心の美術家のコラムだが、とにかく読んで恐れ入る。

「洗脳」によって造られた幻の「三光作戦」をあたかも歴史的事実のように日本軍を責め続けている。

「南京大虐殺」、「従軍慰安婦」、「三光作戦」、そして「集団自決」、これらは全て「残虐非道の日本軍」という共通項でくくられている。

以下は琉球新報コラム「南風」の全文である。

“三光”を描き続けた画家  (琉球新報「南風」 10/18 16:10)

 “三光”とは、かつて日本軍が中国大陸で行った「焼き尽くし、奪い尽くし、殺し尽くす」、いわゆる三光作戦のことである。
 奄美大島出身の版画家島亜壇は大阪の美術学校卒業後徴兵され、中国山東省の長島旅団の情報部に配属された。
 島は直接手を下していないが、日本軍が中国の八路軍とそれを支持する中国の民衆にたいして行った三光作戦、その地獄図を目の当たりにしていた。1945年8月敗戦、ソ連軍の捕虜となりシベリアで5年、中国で6年、11年もの抑留生活に耐えた。帰国したのは36歳、正に戦争に奪われた青春であった
 が、島は1970年ごろから版画三光シリーズに取り組み、1985年、神奈川や東京で発表、大反響を呼んだ。
 その後、
三光シリーズ(全30枚)3組は、中国の北京中国人民抗日戦争記念館、侵華日軍南京大虐殺遇難同胞記念館などに寄贈、展示されている。2005年、島は、元日本兵46人とともに中国政府に招かれ抗日戦勝利60年大会に出席した。
 日光市の島夫妻から送ってきたアルバムや現地新聞の大写しのカラー写真からは、永年の苦しみから解放されたような安堵(あんど)の表情がうかがえる。島は言っていた。「直接手を下していないが、殺された人たちはあのままでは死にきれない。ボクは心をこめて1枚1枚描いている―」と。
 島は、生涯をかけて侵略戦争の非道を担った責任と謝罪をこめて描き続け、2001年には故郷奄美の有志により大個展も開催し、故郷の人々に深い感銘を残した。昨年5月、帰らぬ人となったが、大兄は生涯の大仕事を終え、きっと笑みを浮かべて永遠の眠りについたにちがいない。墓前には島の花、あかばなーを手むけたい。
(宮良瑛子、沖縄女流美術家協会会長)

                     ◇

名古屋に三光電機という業務用ヘアドライヤーのメーカーがある。

先代社長がご存命なら85-90歳くらいだろうと思われるが、20年ほど前、社名の「三光」の由来について尋ねたことがあった。

大陸に従軍の経験もあるという社長はいわゆる「焼き尽くし、奪い尽くし、殺し尽くす」、という「三光」については全く初耳だといった。

社名の三光の謂れは兄弟三人で会社を興したので「三光」を社名とし、社のマークも光をデザインしたものだった。

三人で美容業界を照らす光になるという意気に溢れる社名が三光電機であった。

ちなみに弟さんが独立して「三星電機」という会社を作っていた。

「焼き尽くし、奪い尽くし、殺し尽くす」という物騒な名前を美容器具メーカーが社名に使うはずがないという質問時の思いは正しかった。

やはり「三光」は中国軍の作戦名だったと確信したことを、今ふと想いだした。

かつて中国が日本捕虜に行った洗脳が、今でもゾンビのように沖縄でよみがえり、女性美術家を通じて沖縄中に

「残虐非道な日本兵」の幻が撒き散らされている。

このコラムの筆者の女性美術家は芸術家というより、「プロ市民」というほうが相応しいとおもったが、

やはり同じコラム欄に次のような文も書いている。

教科書に真実を!  (9/6 16:10)

 

三光作戦については「三光作戦(政策)」に詳しい。http://home.att.ne.jp/blue/gendai-shi/sanko-sakusen/sanko-sakusen-index.html

 ◆中国共産党の洗脳についてのエントリー;
「洗脳」! 「集団自決」で特別授業 南風原高

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4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (前慶良間人)
2007-10-20 16:33:21
メールが届かないようですが。
返信する
沖縄県民の良識に期待します (くまがわ直貴)
2007-10-21 19:44:06
 沖縄の方だからこそ語れる「歴史の真実」があると私は思います。県外の者では知り得ない「琉球新報」の紙面は、大変貴重な資料です。
 この歴史的な転換期を、沖縄県民はそして日本国民は冷静に乗り越えなければならないと思います。

 教科書検定論争の裏には、絶対に特定勢力の意図があるはずなのですから。
返信する
Unknown (狼魔人)
2007-10-22 18:33:32
くまがわ直貴さん

>教科書検定論争の裏には、絶対に特定勢力の意図があるはずなのですから

仰るとおりです。

「県民大会」の呼びかけ人の身元を洗うと半島関係の人が名を連ねています。

「チュチェ思想研究会」の会長もいるので驚きます。
返信する
Unknown (Unknown)
2007-10-24 20:48:15
わたし
返信する

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