狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

「集団自決」歴博パネル 日本軍関与 記述復活

2010-08-11 08:43:45 | ★集団自決

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読者のなおさんからこんなコメントを頂いた。

こんな記事を見つけました。
>歴博、旧日本軍関与の記述復活へ 沖縄戦「集団自決」展示で (共同通信)
http://news.www.infoseek.co.jp/topics/society/n_war2__20100810_2/story/
10kyodo2010081001000297/


何か恐ろしいまでの執念を感じます

確かにサヨク勢力の恐ろしいまでの執念は感じるが、肝心の同じ日(10日)の沖縄タイムスが、この共同記事をスルーしているのが不可解だ。

「軍関与復活」とは」いっても、まだ結果は出ておらず、修正した展示が公開されてから独自取材で大々的に報道するつもりなのか。

ところが、驚いたことに一方の琉球新報はこれを一面トップで大々的に報じているではないか。

それがこれ。

歴博パネル 日本軍関与 記述復活へ   2010年8月10日       

  【千葉】国立歴史民俗博物館(歴博、佐倉市、平川南館長)の第6展示室「現代」で沖縄戦における「集団自決」(強制集団死)の解説文から日本軍の関与を削除したまま一般公開されている件で、同展示責任者の安田常雄副館長は9日、琉球新報社の取材に対し、日本軍関与の記述を復活させ、早ければ来月にも展示内容を全面刷新する考えを明らかにした。解説文については近く公表する。新たな展示では膨大な「集団自決」に関する証言記録も展示される予定で、安田副館長は「沖縄戦の持っている特質を明確に示す上でも、これが主になる」と話した。
 歴博では展示のリニューアル委員会を重ね、「集団自決」の関連文書や証言資料を検証し、史実と認定した。日本軍関与の記述復活について安田副館長は「21人いる委員のうち、討議や検証に参加した委員からは慎重論などは全体を通して出なかった」と説明した。
 これに伴い現行のパネルの記述を全面的に見直す。さらに、パネルの下段で「集団自決」に関する証言資料を展示する予定だ。証言は膨大なため、図書室などでも証言を閲覧できるよう検討する。安田副館長は「単なる文言の修正だけでなく、展示全体を動かす」との考えを示した。
 展示刷新について「委員会で討議は終え、方向性については了承を得た」ことから、今後、関連団体との事務的な手続きに入る。展示刷新に伴うパネル工事の業者入札も近く行い、休館日に作業を行うという。
 9日、歴博では、現代史の研究者ら100人以上を集めたセミナーが開催され、その展示解説でも安田副館長は「沖縄戦についてはパネルをかなり修正をする。7月の委員会で基本的方向性はほぼ確定したので、沖縄戦そのものの基本的性格をシャープに表す考え」と説明した。(斎藤学)

                                                        ◇

一面に載せることにより歴博側にプレッシャーを与えるのが目的だと思われるが、いずれにしても修正結果も見ないでこの派手な取り扱いは異様である。

最近「集団自決」に関する記事が少なくなったが、「軍命の有無」の核心部分については再三書いてきたように既に勝負はあった、というのが大勢である。

今回の歴博の修正も「軍の関与」の復活に止まると思うが、そもそも「軍の関与」は「軍命なし派」の論者も認めていることであり、勿論、教科書検定意見でも認めている事実である。

軍が管理すべき手りゅう弾で自決した人がいる以上、「軍の関与」が全く無かったとは言えず、「軍の関与の有無」には必ずしもこだわってはいないからだ。(ただし「軍命なし派」でも藤岡信勝拓大教授は、「軍命令」はおろか「軍関与」も認めていない)

手りゅう弾で自決した人のほとんどは、管理が不備だった弾薬庫から盗み出したもの手りゅう弾か、親しくしていた兵士から「ねだった」物だといわれている。

この場合軍が「手りゅう弾で自決せよ」と命令したことにはならないのは誰の目にも明らかである。

最近警察官が手錠を噴出し、拾った少年が届け出て大事に至らなかったニュースがあった。⇒機動隊巡査部長が手錠紛失 少年が届け出る(2010.8.10)

仮にこの場合、手錠の代わりに拳銃を紛失したとしよう。

偶然自殺手段を探していた自殺願望者が渡りに舟で拳銃自殺をしたとする。

警察が管理すべき拳銃で自殺したのだから、「警察の関与」は否めないとしても拳銃自殺を根拠に「警察が自殺命令をした」ということにはならない。

この場合警察が糾弾されるとしたら「拳銃保管の義務違反」ではあっても「自殺命令」ではないことは、軍隊における手りゅう弾と自決命令の関係と同じである。

                      *

例年、終戦記念日が近づくと沖縄二紙は沖縄戦特集を組んで、「残虐非道の日本兵」の印象操作記事を連載する。

沖縄二紙は、慶良間島の集団自決に関する「軍命」は、大阪高裁では証明できず、「軍命の有無」は事実上の敗訴となった。

そのせいなのか、最近の紙面に「集団自決」に関する記事は少くなってきている。

最近では、沖縄戦からさらに南に伸びて県民が多くいたといわれるサイパン、テニアンでの戦争体験を特集にしているが、時々オヤッと思うような証言を見ることがある。

「集団自決」が軍命であったと主張する重要な根拠に、「日本兵から手りゅう弾や、毒薬を手渡された」と言う証言があるが、この「手りゅう弾配布軍命説」はこれまで論破され尽くしているのでここでは深入りしないが、逃げ場を失った住民が「自決」する手段がなく大部分の人がカミソリや農具を使ったことは良く知られている。

そんな中読谷村のチビチリガマの例でも分かるように、死ぬための武器を持たない住民にとって看護婦上がりのCさんが配布した毒薬は、容易に死ぬための貴重な「宝物」であった。 毒薬配布の列に並んだ少年が、子供は駄目だと断られ悔しがったという証言もあるくらいだ。

下記引用記事もサイパンでの証言なので琉球新報も気が緩んだのか、自決用の毒薬は「貴重なお米と交換するほど」の「宝物」だったことを証言する記事であるのは爆笑物である。

これは「手りゅう弾軍命説」を主張する論者には、隠しておきたい「不都合な真実」のはずだが。

少し古い記事ではあるが自決を望む住民にとって手りゅう弾や毒薬がいかに貴重な(有り難い)「自決手段」であったかを示す証言を紹介する。

太平洋戦争時サイパン 大けがの子「おぶって逃げる」亡き家族に思い 2010年7月4日       
 1944年の太平洋戦争時、サイパンで砲弾の破片で大けがを負い、家族に一度は山中に置き去りにされた体験を持つ山口(旧姓座喜味)克子さん(76)=うるま市=がこのほど、66年前の体験を本紙に語った。4日に出発する南洋群島慰霊墓参団には喪中のため参加できないが、米軍の収容所で数え3歳で亡くなった弟の勝さんら戦争で失った家族・親類への思いを証言に込めた。
 44年6月、サイパンの山中は砲弾が雨のように降っていた。克子さんら家族5人は島東部・チャチャの家を出て山中に避難。安全な場所を求め歩く中、砲弾の破片が当時10歳の克子さんの右足ふくらはぎを直撃した。母・カマドさん=故人=が悲鳴を上げ、噴き出す血を手で押さえた。父・蔡善さん=故人=におぶわれた克子さんは「痛い、下ろして」と泣きじゃくった。
 蔡善さんは意を決して克子さんを下ろし、木の根元にもたれさせ、そばで線香をたき、手を合わせた。悲しみを抑え「必ず迎えに来るから、待っておきなさい」と声を掛けた。置き去りにされると思わなかった克子さんは「迎えに来てよ」と言い、山中に残された。
 家族は砲弾の中を北へ向かったが、カマドさんは「息をしている間はおぶっていたい」と訴えた。数時間後、痛みに耐えていた克子さんの元に家族は戻った。
家族は島北端に追い詰められた。蔡善さんは日本兵から米と引き換えに譲り受けていた毒薬を水に溶かし、家族に飲ませた。しかし、避難の途中で他の家族に分けていたため毒の濃度が薄く、誰も死ななかった。
 家族と共に米軍に保護された克子さんは収容所内で入院し、一命を取り留めた。しかし弟の勝さんは下痢が続き、栄養失調で命を落とした。(略)(宮城隆尋)
                         ◇

蔡善さんは日本兵から米と引き換えに譲り受けていた毒薬を水に溶かし、家族に飲ませた。しかし、避難の途中で他の家族に分けていたため毒の濃度が薄く、誰も死ななかった。

死ぬ手段を持たない家族にとって、手りゅう弾はお米と引き返してもよいくらいの貴重品であったのだ。

この証言を聞いて「日本兵が手りゅう弾を手渡したことが「自決命令」の証拠だと信じる人はよっぽどモノをねじ曲げて考える人だろう。

沖縄タイムスの子(孫)会社の琉球朝日放送の「QABテレビ」でも、場所が慶良間でなかったせいなのか、「軍命」による自決を意味する「悪意の手りゅう弾配布」というより、むしろ証言者の方から手りゅう弾を「ねだった」(★註)て隊長に断られ生き延びよ、と助言している。

仮にこのようなケースで手りゅう弾を手渡していたとしても、万が一に備えて貴重な手りゅう弾を配布するという「善意」が読み取れるではないか。

(★註)隊長命令説を否定!沖縄タイムスが

 

【おまけ】

◆琉球朝日放送 65年前のきょうは1945年7月7日(水)

01-07-07-1945-01.jpg

65年前の今日、積徳女学校の看護隊のハルさんたちは解散命令のあと地獄をさまよい、捕虜になりました。積徳高等女学校の生徒25人が看護隊として入っていた糸州の壕。ここに、司令部の玉砕と「最期まで戦え」という命令が伝わったのは6月23日のことでした。

ハルさん「隊長がこんなことになるんだったら君らを預からなかった本当に許してくれと。自分から死ぬことはない。絶対に生きて帰ってお父さんお母さんにあいなさい。そしてこの悲惨な戦場のこと、後世に伝えてほしい。これが隊長の最期の言葉」

01-07-07-1945-02.jpg

長野県の住職だった小池勇助隊長は、兵士には北部で持久戦をせよと命じる一方、非戦闘員の看護隊員には投降するよう命じました。女生徒たちは一緒にいたいと号泣しました。

ハルさん「北極星っていうのは変わらない必ず自分より北にいるから、北に向かって進んで行ってくださいって。隊長殿の言葉よ、これ。」

26日の夜、言われた通り北極星を目当てに、ハルさんたちは3人で壕を出て行きました。小池隊長は翌日、ここで自決しました。しかしハルさんもアメリカ軍の黄燐弾にやられます。

ハルさん「上にはアメリカ兵がテントを作って音楽鳴らしているの。私なんかドクガスやって死のうとしているのに、これをうま乗り体制っていうの」「やられた春ちゃん助けて逃げないで。やられた。やられた」「みんな助けて。助けて。してるけど、みんな血の海」

01-07-07-1945-03.jpg

地獄をさまよい、何も見えなくなって死んだと思ったハルさん。アメリカ軍のトラックに乗せられて水を飲まされた途端、ようやく景色が見えるようになったと言います。動員された3月6日から4カ月がたっていました。


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コメント (9)    この記事についてブログを書く
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9 コメント

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Unknown (イシコウ)
2010-08-11 09:49:24
軍が悪い!と言うと「金」になるんでしょうね、どうにもやりきれません。

どうか「天誅」が下りますように。
返信する
クラウドデモ 沖縄でも使えます (普賢)
2010-08-11 10:06:00
拡散希望>菅謝罪談話への抗議、クラウドデモの勧め


いまは夏休みです。たまには永田町周辺をハイキングしませんか?

大規模な通常のデモが組織でき、それがニュースとしてテレビで扱われるのであれば、それが最も望ましいことに違いありません。

しかし、左翼政権のなりふり構わない強権行使のもと、翼賛メディアや創価学会系警察権力が運動を潰そうとしています。

この状況下でできること、より犠牲が無く、次の行動に発展しうる可能性を持たせるということ、これらの事情を考え、以下クラウドデモから始めるのが妥当ではないかと考えた次第です。

***************************************************
レガシーデモの場合
・当たり前すぎてニュースにならない。(恣意的に不報道)
・ニュースにならないので効果が薄い。その割りに犠牲が大きい。
・抗議対象(国会など)の周囲は普通許可が下りない。
・敵の動きが急な場合、届け出や動員が間に合わない。
・組織動員が主な原動力。
・主催団体が目をつけられて弾圧されることも(在特会の例)
・シュプレヒコールなど既成の戦術も弾圧の口実になる。
・一般国民の印象がよくない。

インターネット時代の強み
・参加者のブログなどで体験談が拡散できる
・拡散のスピードが速い
・ちょっとした手間で不特定多数が協力できる(クラウドソーシング)
・主催者の顔が見えない。弾圧の際、立件しづらい。
・主導側の統制が無い分、意外な波及効果がある。
・協力者個人の主体性が発揮できる。


インターネットの弱み
・参加者の統制が取れない。
・主催者の顔が見えない。
・協力者個人の主体性に依存する。
・デマに弱い。

****************************************************
★インターネットの特性を活かした新しい抗議スタイル「クラウドデモ」を提唱します。

・デモコースが雲のように状況に応じて自律的に揺れ動くので「クラウド」
・クラウドソーシングの強みを活かすので「クラウド」
・主催者は存在しない。各BBSで拡散するだけ。
・参加者の主体的意思のみ。・実施時期は1日~数日の幅をもつ。

・集合時刻も解散時刻も定めない。常識的な行動時間に歩く。
・実施時間は各自自主的に判断する。

・抗議対象を時計回りに歩く。
・歩行者に許可された通路を歩く。
・あくまでも善意の「通行者」であること。

・ゼッケンやノート大のカードに抗議の内容を書く。
・無言で歩く。絶叫しても判別つかないのでやらない。
・時折こぶしを抗議対象に向かって振り上げる。

・警備の指導にはとりあえず従順に従う。
・警官は抗議対象ではない。左翼のデモではない。労いの言葉や会釈をかける。
・警備が厳しくなればその外縁を歩く。
・警備が緩くなれば包囲網を狭める。
・「退けば攻め、攻めてくれば退く」

・次の行為は弾圧の口実を作るので厳禁。
・拡声器やシュプレヒコールや放吟
・スクラム
・通路上に停滞
・車道を歩く
・住民に迷惑をかける
・旗を振り回す。できれば旗は持ち歩かない。
・立ち小便
・不法駐車

・複数のペットボトルで水分補給。捨てずに「ある目的に」再利用。
・熱射病に気をつける。寝不足・酩酊・下痢の場合は禁止。
・各自適宜喫茶店やレストランで休憩を取る。
・たとえ休憩と言えども空き地に屯するのは危険。
・路地を単独で歩いていると不当逮捕の餌食になることもある。
・一般市民の目の届く範囲でのみ行動すること。
・不当弾圧の現場に居合わせたら、必ず写真を撮ること。一見非情に見えるが、公にすることこそが被害者を救う最短の道。
・免許証など個人を特定できるもの、定期券タイプのSuicaやPasmo、関係者の情報が入った携帯電話、駅ロッカーの鍵、名簿など情報が漏れる物は持参しないこと。
・終わったら速やかに現地を離れる。打ち上げも自分の地元でする。

クラウドデモの先駆的行動は、NHK台湾情報捏造番組への抗議行動にみられたいくつかの新しい試みにあります。先駆者の皆様に敬意を表明します。

以上、拡散よろしくお願いします。

返信する
死者は聞いている (高橋)
2010-08-11 10:46:55
狼魔人様
私の主観では、軍による命令は無かったと考えています。
だって作戦指示書やら命令指示書なる物的証拠がないんですから。
ただ、末端の軍人の中には苦しみながら死ぬよりは…と考えて手榴弾を住民に渡したケースもあると思います。
しかし、その一事をして軍命令はあった、沖縄住民は自決を強要されたと考えるのは死者に対する冒涜です。
彼等は彼等なりの理由で死んでいったのであって、後世になってあれは間違いだったとか無意味だったとか、あろうことか私たちが悪う御座いましたなんて口が裂けても言ってはならないことです。
沖縄は一体誰のものだと思っているのでしょう?
沖縄に住んでいる人々のものでしょうか?
違います。
では知事や総理大臣?
違います。
日本政府?
違います。
天皇陛下?
違います。

沖縄は沖縄の為に死んでいった人々のもののはずです。
軍人だったとか民間人だったとか関係ありません。
沖縄に住む生者は沖縄で死んだ死者たちを守らねばなりません。
彼等を弔い、感謝し、安らかなるを願い、彼等の死を無駄にせぬように沖縄の生者は沖縄で生き続けねばならないのです。沖縄の為に戦い、沖縄の地で散っていった人々を罵倒し悪人扱いするような輩に沖縄に住む資格などありはしません。
返信する
Unknown (涼太)
2010-08-12 04:37:06
狼魔人様

集団自決論争の発端は、「集団自決を軍が命じたか。」であり、軍の命令が無かったことが分かると左翼陣営は、争点を「軍の関与」にそらしています。当時は戦争中であり、日本全国、軍の関与を受けない地域はないでしょう。
むしろ、左翼陣営から人殺しと罵られても、沖縄に援護法が適用される様に沈黙を守り通した、軍人のの毅然とした態度は立派です。
沖縄の左翼陣営の態度は恩の仇で返すようなものです。国家予算に匹敵する経済援助を受けながら、今尚謝罪を要求する連中と何ら変わりません。
左翼の特徴はしつこさです。慰安婦問題でも負けても、負けてもしつこく裁判闘争を繰り返しています。その根底には無理を通せば道理が引っ込む。的な考えがあります。
ならば、保守陣営は「集団自決に軍の命令も関与も無かった。」と言い続けるしかないでしょう。
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Unknown (涼太)
2010-08-12 05:05:16
狼魔人様

沖縄勤務時代に聞いた話ですが、普通の集落でも隣近所に、援護法の適用を受けている家があり、集落内では援護法の話はタブーだと聞きました。
もっと醜い話をしますと、長男が死んだことにして、援護法の適用を受けているが、実はその家には長男はいなくて、戸籍上は長男が次男に次男が三男になったりするとか。
その額も、一人当たり年間約200万。50年間で約1億の金がすでに支払らわれています。
これが沖縄戦の被害の実態なんでしょうか。
返信する
Unknown (太郎の嫁)
2010-08-12 10:18:12
基地の地代・雇用・振興策等沖縄が享受している事に触れない報道は、まやかしです。
だいたい「県民大会」と銘打った集会があること自体、沖縄は異常と思います。
私の県での県民大会なんか、想像もできません。
返信する
Unknown (狼魔人)
2010-08-12 11:48:58
イシコウさん

先の大戦での集団自決は何も沖縄だけの専売特許ではありません。

サイパンのバンザイクリフや樺太、満州でも日本人の集団自決はありました。

敵に囲まれパニックになって自決をした点では共通点がありますが、沖縄の場合に限って、「軍の命令」と責任転嫁するのは、次の二つが理由です。

1)沖縄返還後反日サヨク勢力が沖縄に流れ込んで「反日・反軍思想」を吹き込んだ。

2)沖縄だけは特別に「軍命」で自決した民間人にも「援護法」の適用があった。

何処の世界に命令されて、「ハイ」と唯々諾々自決したり自分の子供を殺す親がいるものですか。

「軍命による自決」は結局、物言わぬ死者を冒涜することになります。



高橋さん

わたしも若い頃は沖縄の出版物等を通して、「集団自決は残虐非道の日本軍の命令で、行われた」と考えていましたが、調べれば調べるほど、軍命は無かったと思うようになり、現在では軍命は無かったと革新するようなりました。

「集団自決」で親や子を殺害し、自分は生き残った生存者が贖罪意識にさいなまれるのは理解しても、それを実在の部隊長の命令のせいにするのは許せません。

金武村で起きた集団自決のように架空の軍人「田中軍曹」の命令としておけば、問題は起きなかったはずです。


涼太さん

>沖縄勤務時代に聞いた話ですが、普通の集落でも隣近所に、援護法の適用を受けている家があり、集落内では援護法の話はタブーだと聞きました。

このような話は沖縄ではいたるところで聞かれますし、私自身も何度か聞きました。

ですが、いざ名前を出して証言となると揃って「無かったことにしてくれ」と拒否されます。

やはり罪の意識を感じるのでしょうか。

沖縄の民間人だけに特別に適用された「援護金」経済的潤いは与えましたが沖縄人の心をズタズタに引き裂いたことになります。



太郎の嫁

戦後沖縄と同じように米軍占領下にあった奄美大島が、基地が無いため早々に返還されましたが人口は半減しました。

一方の基地のある沖縄は返還後人口が倍増しています。

喧伝されるほど危険な沖縄なら人口が減るはずなのに増え続ける理由をサヨクは説明すべきでしょう。

不良米兵と不良女子中学生との「ナンパ・トラブル」にまでも抗議して開く「県民大会」は到底まともとは言えません。

そのうち「県民大会」に参加したことが恥と思うようになるでしょう。(笑)
返信する
軍命令で死にますか? (嵐吹く)
2010-08-12 20:32:42
沖縄戦当時沖縄全域に配備されていた
陸軍憲兵は僅かに50人しかいなかった
それで1万倍の県民と軍将兵の取り締まりを
出来たのでしょうか?
今沖縄に警察官が何人いるか知りませんが
いつもガラ空きな交番を見たら
私の言わんとすることは分かるでしょう。
返信する
Unknown (涼太)
2010-08-12 22:05:32
狼魔人様

過去、数々の軍命説の証言が飛び出しましたが、検証に耐えうるものは無いですね。
むしろ、軍命は無かった。と感じる証言だらけです。左翼陣営も広義の命令とか、関与という曖昧な言葉で逃げるしかないのでしょう。
裁判の判決も、「軍の命令があったとするには躊躇する。ただ当時は命令があったと信じても仕方なかった。」です。
騒動の張本人大江健三郎も「鉄の暴風を読んで書いた。訴えるなら沖縄タイムスを訴えるべき。」と逃げ捲くっています。散々赤松さんを誹謗中傷しながら「個人攻撃はしていない。軍の構造を書いた。」とも。よくもそんな詭弁が通用するものです。
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