狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

『議論封殺』の不可解

2006-11-04 07:28:31 | 県知事選


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『議論封殺』の不可解
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                花岡信昭

 


日経BP社サイト「SAFETY JAPAN」連載コラム「我々の国家
はどこに向かっているのか」第32回(10月31日更新)再掲


安倍首相は70%前後の支持率を背景に順調な政権運営を続けているが、
ここへきておかしな空気が出てきた。「言論・議論の封殺」ともいえる
風潮である。

中川昭一政調会長の「核保有をめぐる論議のすすめ」、下村博文官房副
長官の「河野談話見直し」発言に対して、野党のみならず政府・与党内
からも議論そのものを封じ込めようという動きが出ている。

なんともナイーブな、といわなくてはなるまい。日本の議会制民主主義
はそれほど「ヤワ」だったのか。

安倍体制を支える要人の発言に対して、民主党はじめ野党側が責めるの
は、まだわかる。安倍政権に抵抗し、国会対策上の劣勢を挽回しようと
すれば、「なんでもあり」の世界である。

それによって、とりわけ政権担当政党になろうとする民主党の「未成熟
さ」が問われようとも、それは自身の責任で乗りこえていかなくてはな
るまい。

不可解なのは、与党内から異論が出ていることだ。10月15日、中川
政調会長がテレビで「核の議論は当然あっていい」発言したことに対し
ては、自民党や公明党の幹部から、「議論すること自体が核保有の疑念
を与えることになる」とストップがかかった。

麻生外相は24日の衆院外務防衛委員会で「日本がなぜ核を持たないか、
議論をしておいたほうがいい。議論は封殺すべきではない」と答弁した
が、これが当然の態度というべきだろう

。だが、同じ外務防衛委員会で久間章生防衛庁長官は「100人のうち
1人が核を持つべきだと言い出すと、50対50の議論が起きていると
喧伝される恐れがある」などとして慎重な姿勢を示した。

日本が核武装をしていないのは、沖縄返還をめぐる佐藤栄作首相の国会
答弁から発した「非核3原則」による。「持たず、つくらず、持ち込ま
せず」の3原則は以来、日本の「国是」ともなっている。

安倍首相も「非核3原則堅持」を繰り返して明言しているが、政権担当
者としてはここで踏み込むわけにはいかない事情もよく分かる。

しかし、北朝鮮の核実験、核保有宣言は日本にとって、当面する最大の
「脅威」なのだ。理論上の話ではなく、現実にいま進行中の事態なので
ある。

国民の間には大きな誤解がある。憲法9条によって日本の核武装が禁じ
られている、という受け止め方だ。これは完全な間違いである。

日本が核武装していないのは、憲法の制約に基づくのではなく、「政策
選択」による。日米安保条約によりアメリカの「核の傘」に入っている
ほうがあらゆる面でベターという政策判断が優先したためだ。

この基本的認識が徹底していないから、日本はアメリカの核戦略の重要
な部分を支えているという意識が欠落し、反米・嫌米の不可思議な現象
が起きる。在日米軍基地をめぐる沖縄の反応などはその典型である。

一方で日本は核拡散防止条約(NPT)体制を支持し、毎年、国連に核
軍縮決議案を提案し、採択されている。だが、アメリカは核実験全面禁
止条約(CTBT)を中国と共に批准していないから、CTBTの早期
発効を盛り込んだ日本の決議案には反対している。これが核をめぐる国
際社会の現状である。

ことは単純明快ではなく、複雑に入り組んでいるのだ。そうした実情を
踏まえて、「北の核」という現実の脅威にどう向かおうとするのか。そ
の議論の文脈に日本自主核武装の是非が含まれても、なんらの齟齬もな
い。

むしろ、議論しないことそのものがおかしい。最初から手足を縛ってし
まっては、国際社会の現実に立ち向かう外交パワーは出てこない。

日本としては、「核武装の能力も技術も備わっている。核武装に踏み切
ろうとすればただちに取り組むことは可能だ。

しかし現時点での政策選択として核武装は採用しない」ぐらいのスタン
スでいるのが、最も賢明なのではないか。議論そのものを封殺しような
どというのは、国際社会から侮られるだけだ。

下村官房副長官の「河野談話見直し」発言(10月25日、都内での講
演)も同様である。「慰安婦関係調査結果発表に関する河野官房長官談
話」は1993年8月4日、宮沢政権下で出された。いわゆる「従軍慰
安婦の強制連行」の事実を認めたものだ。

「甘言、弾圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多
くあり、更に官憲等が直接に荷担したこともあった」といった内容であ
る。

これが裏づけの乏しい調査(直前のソウルにおける元慰安婦からの聞き
取り調査など)によってばたばたとまとめられたものであることは、当
時の石原信雄官房副長官のその後の証言などによって、明らかになって
いる。国家や軍による組織的な強制連行があったという証拠はなにひと
つなかったのである。

総選挙での自民党過半数割れによる宮沢内閣総辞職、細川政権発足(8
月9日)のわずか5日前である。そのどたばたの中で、当時の盧泰愚政
権を守らなければいけないといった微妙な日韓関係を背景に打ち出され
たものだ。

安倍首相はこの「河野談話」についても「私の内閣では変更しない」と
してはいるが、もはや古文書に属するものとして、触らないほうが得策
という判断によるのであろう。たしかに「河野談話」の是非をめぐる非
生産的な議論よりも大事なことは山積している。

ではあっても、政府見解としては生きており、南京事件の過剰な犠牲者
数(30万人!)が中国側主張としてまかり通ることなどとの関連で位
置づけられるケースも多い。

下村氏は「私自身の今後の検討課題」「時間をかけて客観的、科学的知
識を収集して考えるべきではないか」などとしている。しごく当然の認
識であり、官邸中枢からこうした「正論」が出てきたことを評価したい。

その場しのぎの緊急避難的談話が10数年たって、なおむし返される。
政治家の歴史的責任を改めて実感するが、その談話の主はいま、衆院議
長の要職にある。

 

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