※お願い: 人気ブログランキングの投票が分散されるのを防ぐため、次のバナーをクリックお願いします。
那覇市孔子廟訴訟が結審、11月29日判決
宗教施設か「学問の場」か、原告側「釋奠祭禮は宗教行為」
那覇市が特定の団体に市有地を無償で貸与し、久米至聖(しせい)廟(びょう)(孔子廟)の建設を許可した問題の裁判はこのほど、原告の金城テルさんの証人尋問をもって結審した。孔子廟について那覇地裁は宗教施設と認定するか、あるいは、公益性があるものと判断するかどうかが焦点となる。判決は11月29日に下される。(那覇支局・豊田 剛)
この裁判は、那覇市の市有地に設置された久米至聖廟の設置許可および設置に伴う使用料の免除措置が無効として、原告が576万円と5年分の使用料の支払いを当時市長の翁長(おなが)雄志(たけし)知事らに求めている。
孔子廟として知られる久米至聖廟は、至聖門、大成(たいせい)殿(でん)、啓聖祠(けいせいし)、明倫(めいりん)堂で構成されており、市有地である松山公園の一角を占めている。
原告代理人の徳永信一弁護士は、「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」と規定する憲法第20条1項の政教分離の原則に反すると指摘。
2010年には、北海道砂川市が空知太(そらちぶと)神社に市有地を無償で提供した問題で憲法の政教分離に反するとして違憲判断が下された凡例が基準になると言う。
裁判の論点は、孔子廟の精神的なよりどころである儒教が宗教かどうかという点にある。原告側は、孔子廟は「学問の場」だと主張している。
これについて徳永弁護士は、「キリスト教にも学問の側面があるがキリスト教が宗教ではないと言う人はいない」と指摘。
また、被告は孔子廟の最大行事で孔子の生誕を祝う釋奠祭禮(せきてんさいれい)は、沖縄を代表するエイサーやハーリー競漕(きょうそう)と同様に県民になじまれた習俗的行事だと指摘する。
これについて原告側は、年に1度だけ行われる厳かな儀式である釋奠祭禮は宗教儀式そのものだと訴える。実際、その行事そのものを知らない県民がほとんどだ。
被告はまた、孔子廟は公共性があるもので、湯島聖堂(東京都文京区)、足利学校(栃木県足利市)、多久聖廟(佐賀県多久市)でも釋奠祭禮が行われていると主張する。
ただし、これらは国の史跡または重要文化財。これに対し、久米至聖廟の管理団体で被告を側面支援する久米崇聖(そうせい)会は13年に公益社団法人の申請を取り下げられ、公益性の薄い一般社団法人に移行した。「久米三十六姓の末裔(まつえい)に限る」という会員資格がネックになった。久米三十六姓とは、明(現在の中国福建省)から沖縄に渡来した人々またはその子孫のことを指す。
儒教に詳しい加地伸行・大阪大学名誉教授は、「孔子廟の『廟』は宗教以外の何物でもない。亡くなった人の魂を祀(まつ)る場所。霊魂を呼び出してお祀りする。宗教ではないとは言えない」と指摘。その上で、釋奠祭禮について、「孔子を祀る慰霊祭は完全な宗教行為で、それが単なる学問の場であるはずがない」と批判した。沖縄で行われた講演会でコメントした。
今年の釋奠祭禮は28日午後6時から行われる。孔子廟には行事を告知する幟(のぼり)やポスターが掲示されている。昨年まで見られなかった光景だ。
原告・金城テルさんの陳述要旨
県民に馴染み薄い孔子廟
私的な宗教施設である孔子廟が公共の場で特権的に扱われていることに違和感がある。入り口の「至聖門」は、年に1度しか開かれない。「大成殿」は孔子廟の本体で、屋根を白っぽい2本の石柱が支えている。これが5本爪の龍柱で、旧大成殿には無かったものだ。普段は正面の賽銭(さいせん)箱の前を中国系と思われる信者たちが座り込み、手を合わせて熱心にお祈りしている姿を見掛ける。
長く那覇市に暮らしてきた私たち住民にとって、孔子廟は、中国渡来の久米三十六姓の一族が承継してきた中国の宗教儀式を誇示するための施設であり、中国の直轄地であることを示しているように思える。久米崇聖会は、沖縄と中国の懸け橋だと言っているが、全くの時代錯誤だ。
久米崇聖会は、釋奠祭禮は沖縄の習俗であり、その起源に宗教的要素があっても、観光等の趣旨から行政が関与しても問題がないと主張する。
釋奠祭禮は、一般の沖縄県民にとって全くなじみのないものであり、誰もが知っているエイサーや爬竜(はりゅう)船競漕(ハーリー)のような世俗化した沖縄の習俗と同一には語れない。
宗教とは、特定の神様や御霊(みたま)に対し、お線香を立てたり、ろうそくを灯(とも)したり、お供え物を捧(ささ)げたりして、お祈りするもの。同様に、釋奠祭禮は宗教儀式そのものだ。
孔子廟は、今も若狭にある天尊廟や天妃宮などと同じく、久米三十六姓が沖縄に持って来た中国の宗教施設であって、一般の沖縄県民にはなじみの薄いものだ。
孔子廟を市民の公園である松山公園に設置し、無償で使用させているのは、特定の一族から成る私的な団体である久米崇聖会に特段の便宜を与え、その宗教的活動を容易にするものだ。
私も何度か行き、とても楽しい店だった。
翁長市政の時、那覇市建設管理課 花と緑の課は、「公園を造る。公園には飲食店は出来ない。」と言って、その店を立ち退かせた。
しかし、今、そこには建物が建ち、飲食店がある。
道路の拡張工事なら立ち退きも やむを得ないが、今回のそのやり方は、立ち退かされた店主も納得がいかない。
立ち退き撤去費用などの税金も無駄遣いだ。
那覇市政の意図はなんだったのだろうか。
花と緑の課
http://www.city.naha.okinawa.jp/cms/kakuka/hanamidori/jigyou/jigyougaiyou20150521.pdf
>全面敗訴の高裁判決を受けた翁長県知事。
彼等は民主主義を標榜するが誰しも、自分が且つ家族が
何か在ったら即座に行政に縋る癖を自覚していない、つまり彼等は自由民主主義の日本だからこそやりたい放題が自由に遂行出来る幸せを自覚がない共産党員さ。
日本は論語を武士がたしなんだので、孔子に良いイメージを持っているので、「孔子」の名がつくと、気を許す傾向がある。
「日本にもある中国政府肝いりの「孔子学院」 北米で次々閉鎖、「スパイ機関」の疑い濃厚 2014/10/ 3 19:44」
http://www.j-cast.com/2014/10/03217606.html?p=all
> 純粋に語学を学ぶ身であれば好都合だろう。だが背景には、中国政府が自国の文化や思想を広めるために大金を投じている現実がある。こうした動きに危険な匂いを感じたからこそ、米大学は相次いで閉鎖を決めたとも言える。
>思想や文化に加え、宗教も絡んで、反発の声が高まっているようだ。
世界の孔子等は中國政府が多大な寄付を大学や地共体に寄せて中華思想を拡散させる国策の海外拠点であることは周知の事実です。寄付金額は知らないが莫大な筈です、なぜならアメリカの有名大学の純資産額且つ金融資産額は日本で例えれば東証一部不動産ファンドを凌ぐ大学も在るから、ちょっとやそっとでは大学は動きません。その金満財政の大学の基礎を為したのは、予てから100年前に誕生した世界一の石油王ロックフェラー財閥の潤沢な学術芸術育成の財政支援信念に在ったと見做しています。中國のアメリカ本土の孔子施設は早々にアメリカ内で反発を喰らって閉鎖の要請が市民から出ています、寄付の多寡ではなく中國政府の極端な恣意的中華思想の弊害です。
「日本は論語を武士がたしなんだ」とは、論語を超えた
思想が武士道で在り、武士道を軍隊に持ち込んだのが日本軍です。アメリカ軍人が日本軍人に抱いた最大の疑問「なぜ、日本軍人はたった一人の男の為に死ねるのか」は、軍人の使命である祖国を命を張って守ると言う自己犠牲精神からもかけ離れた、日本軍人の武士道の犠牲精神が到底理解出来なかったからでした。
人権派哲学の論語に無い武士道とは「主人の為に死ぬ」ことで、今の海上保安庁特殊救難部隊の思想で在る「他人を生かす」に通じる究極の世界で唯一の日本人らしき自己犠牲職業意識武士道精神から由来しています、だから日本軍は武士道を悪用したのです。
私のコメントの主旨は、
>「孔子」の名がつくと、気を許す傾向がある。
ので、警戒が必要ですよ。
ということ。
那覇市が“うっかり”市有地を無償で貸した背景に、「『孔子』の名がつくと、気を許す傾向があったのではないか」
ということ。