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大江健三郎氏が『世界』7月号に、「沖縄戦を裁判を終えて 近い将来への「証言」を求める」と題する論考を寄稿している。
内容は、『沖縄ノート』にでてくる「罪の巨塊」や「者」などの差別用語について、これは造語であるので差別の意味はない、としつこく弁解する噴飯ものである。
そもそも、場を改めて著者が弁解しなければ理解できない氏独特の造語で、ノンフィクションを表現するのも奇妙だが、「罪の巨塊」については、過去に当日記で何度も批判しているのでのここで深く触れない。
だが、タイトルの「近い将来への『証言』を求める」とはどういう意味なのか。
いまさら集団自決に「軍命あり」の証言を本気で求めているとは思えないが、括弧つきの「証言」なので、「正式な軍命はなかったが、顔つきで軍命を受けた」とでも主張する「証言」でも求めるつもりなのか。
沖縄タイムスの捏造体質に期待して、さらなる「軍命ならぬ軍命」(縦の構造による軍命)の「証言」を待つのだろう。
6月23日の「慰霊の日」の前後の沖縄2紙は、連日この「軍命ならぬ軍命」を証言する記事で満載であるが、よく読んでみると当然のことながら「軍命」を証言する証人は皆無である。
そんな中7月1日付沖縄タイムスの特集記事「命語(いのちがた)い(下)・・・「集団自決」の証言」で、謝花直美記者が強引な印象操作をしているのは、大江健三郎氏の要望に応えたつもりなのだろうか。 まさかね。
戦時中、慶良間諸島の阿嘉島で教員をしていた池原千代さん(87)の証言を書いた同記事を一部抜粋する。
<45年3月26日、米軍は慶良間諸島に侵攻。阿嘉島には米軍300人、戦車40台が上陸した。「女は米軍につかまると大変なことになる」。池原さんは女教師と山へ逃げた。
住民の証言によると、阿嘉の戦隊長は戦前、住民に対し「自決」を促す訓示をしていた。 山中で住民は手榴弾を手に「集団自決(強制集団死)」の時をまった。 が、米軍が退却、「集団自決」は起きなかった。>
住民の証言によると、阿嘉の戦隊長は戦前、住民に対し「自決」を促す訓示をしていた。 山中で住民は手榴弾を手に「集団自決(強制集団死)」の時をまった。 が、米軍が退却、「集団自決」は起きなかった。>
結局、阿嘉島では集団自決は起きなかった。
日本軍がいたにもかかわらず。
「自決」を促す訓示とは何か。
記事は、よく考えたら、まことに不可解な言辞を弄している。 「自決」を促す訓示のことだ。
あたかも池田さんが、阿嘉島の野田隊長が「集団自決の命令」をしたと証言した、かのような印象操作をしているではないか。
そもそも「自決」(自殺)を他人に命令されて行うこと自体が不自然なのに、(「訓示」で)促されて「自決」をするとは、いかにもにも不自然な証言ではないか。
結局、上陸した米軍は阿嘉島を占拠するよりは役場のある隣の座間味島を先に占拠すべく作戦変更したために退却をした。
その結果、阿嘉島には日本軍が駐留していたにも関わらず集団自決は起こらなかったのである。
左翼勢力が主張する「日本軍のいる所で集団自決は起きた」という主張は阿嘉島の例で見事に覆されている。
戦時中は、新聞各紙の見出しでも明らかなように、「勇壮な掛け声」を発するのは日常茶飯事であり、、軍人に限らず民間人でも集会などで演説をするときは「撃ちてしやまぬ」とか「最後の1人まで決死の覚悟で」と大言壮語したもの。
ましてや軍人の野田隊長が阿嘉島に駐留したときの挨拶で「決死」などの勇壮な訓示をしたからといって、それを「自決命令」と捉える人は1人もいなかっただろう。 ところが「軍命証言」の収集に必死の謝花記者の手にかかると、高齢の池原さんが「軍命の訓示を促された(のを聞いた)」と、極めて不自然な記事になるのである。
「ある神話の背景」の著者曽野綾子氏は、沖縄タイムス記者の問いに答え、今後軍命を示す決定的証拠や証人が現れたら、潔く前言を撤回すると言う意味の発言をしている。
大江健三郎氏の見苦しい弁解に比べ、ノンフィクションの書き手としては実にすがすがしい態度ではないか。
だが、沖縄2紙や地元研究者の必死の発掘調査にも関わらず、軍命を示す証拠や証人は皆無であったことは周知の通りである。
★★
本日(7月5日)午前10より那覇地裁にてパンドラの箱掲載拒否訴訟の第2回口頭弁論が行われます。
傍聴される方は9時半迄に裁判所までおいで下さい。 裁判は30~40分で終わります。
報告会はその後、11時より護国神社社務所会議室(奥武山公園内)にて行います。
2日に行われた大阪の冤罪訴訟を支援する会最終報告会の報告もして頂きます。
参加費は無料です。
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ヤスケン、(安原顕)、VS、オーケン、(大江健三郎)
大江健三郎の証人喚問、(於、大阪地裁)、も一週間後に迫りました。イデオロギーに基づく、歴史の偽造の確信犯、「岩波」、が図々しくも版を重ねた、大江健三郎、《沖縄ノート》、の虚偽、出鱈目につき、優秀な徳永信一弁護士が、どう切り込むか、結果が待たれます。
大江健三郎の性格、および考え方について、以前書き込んだものをご紹介いたします。
「産経抄」、平成十五年一月二十三日(木)
ヤスケン遂に死すーと書いたが、面識があるわけでない。辛口の文芸評論とユニークな編集で鳴らした安原顕氏が、とうとう亡くなってしまった。まだ六十三歳。昨秋、がんを公表し、「死んでたまるか」と最後までペンを捨てなかった男が--
ーーー作家を見る目のまっとうさと辛辣さは、つぎの人物月旦でも明らかだろう。同じく「清流」、昨年十二月号に載ったI氏への批判である。
三十年前、初めて会ったとき同氏は全くの無名の青年で、いろいろ原稿執筆を世話したり、処女作を出版したりした。
「しかしその後、中央公論新人賞や芥川賞程度の賞を取るや、たちまち傲慢になった。むろん無名時代を知るぼくは真っ先に切られて、現在は赤の他人である」、と。I氏はむろん実名で登場する。名編集者・安原顕の目を信じよう。
先日書いた文の中で、安原顕と大江健三郎の事に触れましたが、その好取組のいきさつに関してご紹介いたしたいと思います。
安原顕・・・「ファッシスト大江健三郎が二十年前に行った卑劣極まる、『垂れ込み』、事件をめぐって」
ーーーさて大江健三郎はデビュー以来、進歩的文化人、(朝日、岩波、NHKの御用文化人)、として戦後民主主義を標榜し続け、一
貫して差別撤廃、平和憲法死守、人権擁護の立場を取ってきた。しかし、このことはあくまでも表面上の立場であり、大江健三郎とは実は、病的なほどの権威主義者であり、(断っておくが、ぼくはそのこと自体を批判する気は毛頭ない。それこそ個人の自由だからだ)、自分への批判は断固許さぬファシストなのだ。
というのは74年秋、(ちょうど二十年前の話だ)、ぼくが中央公論社の文芸誌、「海」、の編集者をしていた頃、「レコード芸術」、のコラムで、たまたま大江健三郎、小田実の著書、「状況へ」、「状況から」、を、徹底的にぶっ叩いたことがある。すると、大江健三郎は、その批判、(罵詈雑言)、に関する反論を、あろうことか、当時の勤務先、中央公論社社長、嶋中鵬二と、「海」、編集部安原顕への連名宛ての「手紙」として送りつけてきたのだ。平たく言えば、「垂れ込み」、である。
ぼくはただちに二人の役員に呼ばれ、「この件に付き、どう責任を取るか」、と言われた。ぼくは、「オフ・タイムないしは休日に、個人が何を考え何を書こうがまったく自由であり、こうした抗議の形をとつた、「垂れ込み」、こそ、言論・思想・表現の自由の圧殺ではないか」、と反論。
しかし結論としては、「そのことは認めないでもないが、大江健三郎は会社にとって大切な作家ゆえ、もう一度批判したり、彼を怒らせるようなことをすれば、お前はただちに、「クビ」、だと、宣告される。
ぼくはこの、「垂れ込み」、自体については、まあ個人の自由とまでは言わないまでも、そうした輩が五万といることは知っているか
らそれほど驚かなかった。
そうでなくて、常日頃、「垂れ込み」、に象徴される封建的かつ卑劣な行為は断固許さぬと、標榜し続ける大江健三郎が、実はみずから非民主的、民主主義の敵といってもいい恐怖の、「垂れ込み」、男であることが、断じて許し難いのだ。大江がもし、彼の言うように真の、「民主主義者」、であるなら、自分に向けられた言論による批判、(罵詈雑言)、は言論によつて反論すべきであって、著者の勤務先の社長宛てに、「垂れ込む」、など絶対にすべきでない。
なぜ大江は言論による反論をせず、「垂れ込み」、という手段に訴えたのか。その理由は実に明白だ。大江にとって、名もない文芸編
集者、(勤め人)、など、人間ではなく塵芥、(ゴミ・クズ)、のような存在だからだ。従って、「反論」、する気など、まったくないのである。しかし、人間以下の、「塵芥」、(ゴミ・クズ)、に批判された、これは死ぬほど悔しい。
さて、どうするか。これはもう会社に「垂れ込んで」、クビを切らせるしかない。そして大江の予定通り、ぼくは社側からはっきりと、「もう一度やったらクビだ」、と申し渡された。もしぼくが気弱な人間であれば、その結論に至るまでのネチネチとした恫喝だけで、おそらく会社を辞めていたかもしれない。---
それでは大江を怒らせた悪口雑言とは、どんな文章だったのか。もはや古文書のような駄文を晒すのはいささか恥ずかしいが、(手元にないので、「レコード芸術」、の、当時の担当者の友人にFAXしてもらった)、以下に、全文引用しておこう。
(本筋とは無関係な文章表現に、ほんの少し手を入れ、誤植は正した。)
以下に、ヤスケンの面目躍如たる、文章の冒頭の部分をご紹介します。大江のやったことはいかにもイヤラシイとは思いますが、進歩的文化人らしく、大の、「世界」、好き、「世界」、の信者とも言える、オーケンがカンカンにおこったのはムリもないと思います。
「分かりきった状況分析を、くそ真面目に啓蒙する、チンケ左翼による、典型的な愚書、「状況へ」、「状況から」、
ひとくちに読書といっても、最初から書いてある内容もほぼ検討がつくし、愚書というか駄本ということを充分に知っていながら、しかもなお馬鹿にするため、嘲笑するためにあえて読む本というのがある。
さしずめ最近の例でいえば、現在ベストセラーになっている大江健三郎の、「状況へ」、と小田実の、「状況から」、(いずれも岩波書店刊)、などはその典型的な本といえよう。
この二冊の本は、「朝日ジャーナル」、と並んで、手に取るのも不愉快な雑誌、「世界」、に一年間連載されたものを単行本にまとめたものらしいが、二人ともよくまあこんなチャチな雑文を単行本なんぞにまとめたものだと、まずそのづうづうしさというかハレンチな精神に唖然とさせられた。
しかも、書いてある内容とはまったく裏腹に、岩波書店一流の上品で瀟洒な造本、紙はピカピカの上質紙、おまけにごていねいに箱にまで入っているから呆れる。さぞかし当の大江や小田が批判している公害が出たことだろう、なにせ部数が多いからね。
そしてこの本を作るために多くの職工が汗を流したことだろう。要するにこんな駄本は本来自分達でガリでも切って街頭でタダでくばるようなチンケなパンフレツトではないか。
それを二冊で千六百円とはサギ同然ではないか!まあ恐らく大江と小田のことだ、印税はすべて市民運動とやらに使うのかもしれないが。---
#、74年と言えば今から30年以上前で、本の値段はいまより安く、1600円は今の1600円とはかなり違います
#、ガリでも切って:ガリ版、謄写版刷りのこと、今の50歳以下の人にはピンとこないかも知れませんが、コピー機械が出来る前の複写方法で、労力と腕力を要し、時間もかかりました。
#74年(昭和49年)と言えば、まだソ連、東独、東欧衛星国は健在で、日本でも学界や、マスコミ界では左翼がその思想的正当性を主張しており、昭和20年代ほどではないにしろ、左翼批判は許されぬ、それを行う者は知識人失格、保守反動呼ばわりされ、村八分になりかねませんでした。安原氏は保守派、右派とはおよそ反対の考えの持ち主ですが、こういうことを書くのは非常に型破りと言えます。
もうほとんどの書物から軍命説は消えました。
ま、それが常識ある出版社、作家の判断だと思います。
大江氏だけは強弁して訂正しませんね。
裁判でも増刷が認められたのは、真実相当性を以って許されただけで、内容に関しては裁判長も
「普通の人間が普通の判断で読めばデタラメ。」(少し私の主観が入っています。)と言われた代物です。
逆にこのまま増刷を続けても、沖縄県民を晒し者にするだけです。自分の主義主張のためなら何でも利用する傲慢さが見えます。