狼魔人日記

沖縄在住の沖縄県民の視点で綴る政治、経済、歴史、文化、随想、提言、創作等。 何でも思いついた事を記録する。

ルーズベルトの急死が日本への原爆投下を運命づけた

2006-08-09 18:39:11 | 歴史

まもなくやって来る8月15日。

終戦の日の15ヶ月前から始まったルーズベルトの秘められた終戦工作があったという。

終戦を模索してソ連に仲介を望む日本。

終戦前の約一年間の米指導者、ルーズベルト、グルーの知られざる終戦工作を記した「正論」の「葬り去られた米国高官の対日宣言」(評論家・鳥居民)が興味深い。

交戦国の最後の一人まで皆殺しを意図して戦争継続を望んだ歴史上の戦争を知らない。

それは戦争を仕掛けた方、仕掛けられた方に関わりは無い。

日本が当事国の日露戦争に於いても交戦中でありながら時の指導者は、第三国アメリカを通じて和平の打診を続けた。

日米戦争に於いてもルーズベルトは昭和10年5月には既に日米戦争の終結の動きをしていたというのだ。

対日強硬論者で対日本・中国外交の責任者、ホーンべックを解任して対日戦争終結の窓口として前中日大使グルーを後任にした。

日本駐在の経験からグルーは戦争の終結には「無条件降伏」ではなく皇室の存在を認める条件付きが日本への降伏要求には不可欠だと著書やメディアに意見を掲載させ世論つくりをした。

世論の地ならしの後、グルーは国務長官代行の地位についた。

グルーの意志は勿論ルーズベルトの意志。

ルーズベルトは昭和20年8月15日の約一年ほど前から終戦を画策していた。

対日強硬論者のホーンべックを重用して日本を開戦に引きずり込んだルーズベルトが戦争終結要員グルーを国務長官代行に任命した。

だが、ここで歴史の歯車は思わぬ方向に回り始める。

その数ヶ月後の昭和20年4月12日ルーズベルトが脳卒中で死に、副大統領ハリー・S・トルーマンが大統領に昇格した。

その瞬間日本への原爆投下が運命ずけられた。

歴史の皮肉である。

日本の鈴木貫太郎は丁重な弔電を交戦中のアメリカに送った。

 

【正論】評論家・鳥居民 葬り去られた米国高官の対日宣言

10:47 この記事についてのブログ(5)

【正論】評論家・鳥居民 葬り去られた米国高官の対日宣言

 ■長崎への「原爆投下の日」に思う

≪歴史研究家の誤った認識≫

 今日は2発目の原爆が長崎に落とされた日だ。
 まず、私の次の推論を読んでいただきたい。
 もし
アメリカが原爆攻撃をする意図がなかったのなら、昭和20年6月末から7月中に日本は戦争の継続を断念し、降伏していたであろう。
 首をかしげる読者も多いだろう。なにをばかなことを言っているのだと鼻で嗤(わら)う歴史研究者もいよう。
 だが、そのような歴史研究者は誤っている。
 例えばある研究者は次のように述べている。
 「B29空襲による被害だけでは、天皇は『かくなる上はやむを得ぬ』といわなかったであろう」
 「
鈴木貫太郎首相も、通常爆撃だけでは降伏にもっていけなかったと証言している」
 妥当な判断だと思う人がいるかもしれないが、これは間違っている。
 
アメリカ政府が日本に原爆を投下する意図がなかったのであれば、日本が受諾できる条件をはっきり明記して、日本に降伏を呼びかけてきたからである。
 
鈴木貫太郎はこれを受諾すべきだと説き、天皇はうなずかれたことであろう。この説明だけでは誰も納得すまい。別の話をしなければならない。

≪米の狙いは
中国内戦阻止≫

 歴史研究者がまったく気づいていない問題がある。1944年(昭和19年)5月、ルーズベルトは日本に対する無条件降伏の要求をそっと取り下げた。対日強硬政策を10年にわたって取り続け、日本を
アメリカとの戦争に引き入れた対日本・中国外交の責任者、ホーンベックを解任し、前駐日大使のグルーを後任とした。
 ルーズベルトは
アメリカがこの先、無条件降伏を無理押ししないことを日本側にはっきりわからせようとした。そこでグルーは、日本にとって皇室は不可欠な存在だと演説し、日本の戦争勢力は陸軍の過激派だと説いた著書を出版し、その要点はアメリカの大多数の新聞に掲載された。そして、その半年あとにグルーは国務長官代行の地位に就いた。
 日本の政府と軍は、
アメリカのその動きは、アメリカ兵の犠牲を少なくしようと戦いを早く終わりにしたいと願ってのことだと理解した。
 そうではなかった。ルーズベルトはその理由を明かさなかったが、中国の内戦を予防するためには、日本との戦争を1日でも早く終了させねばならないと考えたのである。

≪奏上されていた早期終結論≫

 もうひとつ、歴史研究者が無視してきた重要な出来事がある。
 天皇は昭和20年6月上旬に内大臣、木戸幸一から東大法学部教授の南原繁と高木八尺(やさか)の次のような戦争の早期終結の提言を耳にして、釈然とするところがあったのである。
 
アメリカ政府は日本との戦いを早く終わりにしたいと望んでいるが、戦いが長引き、本土での戦いが続くことになれば、アメリカ政府内部の日本に対して穏健な講和を望む勢力は力を失い、強硬な主張を唱える勢力に取って代わろう。
 皇室は国民と直結することによって、日本復興の源泉とならなければならないが、戦争を続ければ、皇室の安泰、国体の護持といった目的も失われてしまう。こういう主張だった。
 紆余(うよ)曲折はあったが、天皇はこの提言によって行動した。
 その紆余曲折について述べなければならない。
 1945年4月にルーズベルトは急死し、トルーマンが大統領となった。グルーは5月末と6月上旬、大統領に対日宣言を今こそ公表するときだと説いたが、大統領は2度とも逃げて回った。
 グルーはトルーマンの考えが見当つかなかった。日本政府は
アメリカ政府の意図が見当つかず、ソ連に和平の仲介を求めることになった。
 さて、1945年7月末、グルーの対日宣言案から天皇制度保全の条項を削除した宣言をトルーマンは発表した。その16日あとに、その削除した条項を日本側に示した。その条項をそのまま復活したのではない。細工をほどこした。
 なんだ、日本に2発の原爆を落とす実験を終えるまで、日本を降伏させないために天皇制度保全の条項を保留しただけだと、のちのち批判されるのを予防するためだった。
 原爆の投下がなかったら戦争は続き、原爆の犠牲者以上の死者が出たであろうといった主張は、原爆の「公開」を日本の都市で行うよう命じた人物を救うためのお話である。(とりい たみ)


 


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1 コメント

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非常に興味深い話です (通りすがりの人)
2014-05-10 06:27:51
最近、戦争歴史に興味があり、読ませていただきました。

面白いかったです。

ただ、逆説の表現が若干読みづらいのが残念でした。
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